憲法9条を世界憲法へ!!
Русские солдаты! !! Часть 2 Russkiye soldaty! !! Chast' 2(ロシアの兵士の皆さん!!パート2)
プーチン氏逮捕に懸賞金1億円 狙いは?投稿の“富豪”に単独取材(2022年3月4日)
ウクライナ侵攻反対!!
ソニアの日記
コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
憲法9条を世界憲法へ!!
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
14日(日)
・偶然立ち寄ったのですが、貴重な資料が沢山あり、驚きました。もっと見たり、拡散したいです。
(50代、市内)
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第6章 満洲国医育及び医療機関の将来
病院経常費
初年度設備費機械器具図書ー科、部、1万円 110000
人件費 部長 3 3600 1人年 10800
助手 16 1680 26880
事務員 5 1200 6000
看護婦 40 600 24000
傭員 20 600 12000
水道電灯石炭 35000
研究費(臨床・8科分)1科1500円 12000
患者費 66000
その他雑費 35000
計 337680
学校病院建築初度設備費 113万3350円
学校病院経常歳出 59万5620円
学校病院経常歳入 18万4500円(学校 1万2500円、病院 17万2000円)
歳出入補足額 41万1120円
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第4 本件細菌戦の残虐性
2 本件細菌戦による被害の重大性
(5)自然環境破壊
一度被害に遭うと、その影響は長期間にわたって人間社会のあらゆる側面に及ぶ。細菌戦による被害は、人間の命を奪い、衣食住の環境を汚染し、さらに、人間が生きるための条件である広範な地域の自然環境の汚染となって、地域住民に影響を与える。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
はじめのことば
毎日2日分の日記を打つと3か月で終了する計算ですが、読み込みながら打つ作業は意外に手間取りました。ですが、次第に目が慣れてきて当時23歳だった1青年の感性、思考、関心事にも興味がわき、魂にも触れるような感触を得て、加速しはじめました。
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅲ 細菌戦部隊の周辺
防疫研究室経理部とは
細菌培養缶や実験用ネズミの代金を支払った
天野良治
防疫研究室
〈経歴〉
1918年生まれ
1940年 近衛歩兵第1連隊に入隊
1941年 陸軍経理学校に入校
1942年 防疫研究室に配属
1943年 中国・九江の兵站部付
1944年 新潟・船舶兵団付
*この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備をした。“陳述書”よりまとめたもの。
経理部の構成
ところで、私は防疫研究室の経理部にいたわけですが、陸軍の各部隊経理部の要員の人事権は陸軍省の経理局がもっており、各部隊を移り歩くわけです。したがって、部隊に配属されても、経理部要員はあくまで経理局の監督下にあり、部隊の中では脇役的存在なので、私も防疫研究室のことについてわからないことが多くありました。
戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
解説
1 生体解剖・人体実験の背景
生体解剖・人体実験の被害者
それでは、この日本軍の軍医らによる解剖や人体実験の犠牲となったのは、どのような人々であったのだろうか。ここでは戦闘員か非戦闘員かを主な基準として、
(1)八路軍や国民党軍兵士、地下工作員など抗日軍関係、
(2)「愛国者」あるいは単に「捕虜」とあって(1)に準ずるとみなされるもの
(「愛国者」はやや曖昧な表現であり、単に「捕虜」とあるものも抗日軍
容疑の一般住民である可能性もある)、
(3) 非戦闘員(一般住民)
(4)中国人とのみあって職業や階層が不明なもの・その他(朝鮮人・ドイツ人各
1名、ロシア人5~6名を含む)に分類し、各省別に見てみると次のようにな
る。
●毒ガス戦
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
2、遺棄毒ガス兵器の発見と被災
毒ガス兵器の発見と被災
他方、毒ガス弾による被災事件が自衛隊内部で次のように取り上げられている事例があることを指摘しておきたい。ある自衛隊中堅幹部は、1961(昭和36)年3月11日に山口県U市(宇部市か)で住民が海岸で日本軍のイペリット弾を拾って警察に届けたところ、保管中にガスが漏洩し、警官2名が被災した事件を医師の診断書に基づいて紹介しているが、そこには「ガスの充満する室内で10数時間の苦闘を続けた、警察官には非常な災難であったのであり心からお見舞い申し上げる次第であるが、我々としてはその貴重な人体実験的記録を十分かみしめて今後の参考にすべきであろう」と記している(伊藤俊之介「旧軍びらん性ガスによる傷害事例」)。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
「戦犯管理所」からの証言
平田日出雄及び柴田修蔵、黒瀬市夫も、1940年9月14日からの2週間に、第39師団工兵第233連隊が湖北当陽県当陽の西南高地において、捕虜を使って毒ガス実験を行った情況を証言している。
時期:1940年9月14日より2週間
地点:湖北当陽県当陽西南高地
毒ガス訓練の責任者:酒井中将
教官:第39師団工兵第39連隊隊長金原中佐
被訓練人員:第39師団第233連隊大隊長蓑毛少佐をはじめとする将校、下士官、兵卒及び第13師団並びに当陽駐留各部隊派遣人員計150人。
警戒兵力:1個大隊(機密保持任務担当)
訓練及び実験内容:
イペリット(糜爛性ガス)実験。目的は、イペリットの効力、消毒方法及びその効果に関する研究。方法としては、宜昌作戦において逮捕した5名の抗日軍捕虜の手足を縛って実験を行った。1人目は、上半身を裸にし、顔と上半身をイペリットにさらして、その糜爛情況を観察した。2人目は、顔にイペリットを振りかけ、10分後に消毒を行って、効果を観察した。3人目は、上と同じ方法で、間隔を20分とした。4人目も、上と同じ方法で間隔を30分とした。5人目も上と同じ方法で、間隔を40分とした。実験終了後は総て刺殺した。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
5 治安出動体制
60年代の出動体制強化
これらの訓令、達、協定の体系を軸として自衛隊の治安出動体制は、しだいに整備され てきた。それは1960年を迎え、さらに全面的に強化されることになる。60年1月には陸自の東部、中部、東北の各方面総監部が発足し、全国5方面の体制が整えられた。これは、「防衛、治安、警備の地域的基盤を確立する」ことを目的としていた。各方面隊は、①警備実施計画の作成、②警備地誌の調査作成、③警備情報の収集などを担当する「警備区域」を割当てられることになり、それはさらに各師団の「警備地区」各駐屯地の「警備隊区」に区分された。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3,自衛隊における人体実験の疑念
“人道的兵器”は存在するか
この問題については、後でも触れなければならないが、彼らの生物・化学兵器の戦略的な位置づけに端的に示される。例えば、陸上自衛隊化学学校長の吉田大桂司一佐は、「化学武器のような内傷効果を与える武器」を「人道的である」とし、「現在において多発している低次元の戦争、紛争或いは暴動において、無傷害化学剤が多く使われている現実に注目しなければならない」と言い、「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となりうる素地をもっている」し、「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている(『化学学校記事』第13号)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第一章少年と家族と明治の遺産
Ⅰ
東京の人口は1901年には150万人を超えていた。その国自体と同様、すでに近代化が完成したというわけではなかったが、この都市ははちきれんばかりの活力にあふれていた。そのなかで明治天皇は、裕仁が生まれたところからそう遠くない、一本の廊下で結ばれた30数棟の木造建築が広がる、新しい静かな宮殿に住んでいたが、そこには電灯を引くことを許さなかった。石垣に閉ざされた広大な宮城は、濠(ほり)に囲まれていて、約1平方kmもの広さがあり、周囲の雑踏のただ中にあって、人口希薄で閑静な緑の島のようであった。片方には国の主要な金融、経済、行政機関が蝟集し始めた丸の内、霞ヶ関地区があった。この将来の中心ビジネス街には新しい議事堂や三菱合資の本社ビルがあり、また日本最初の洋式庭園である日比谷公園も広がっていた。広大な宮城の東は東京湾の奥で、その岸には軽・重工業が集中しだしていた。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●地球を破壊する核実験
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
概要
核兵器禁止条約は、将来的な核兵器の全廃へ向けた、核兵器を包括的に法的禁止とする初めての国際条約である。対象は核兵器で、原子力発電やX線撮影装置などの平和目的での原子力の保有は禁じていない。前文において被爆者の苦痛に対する憂慮と共に、国際人道法と国際人権法の原則が、核兵器廃絶に関して再確認された。この条約の特徴は、核兵器または核爆発装置を所有、保有、管理していた締約国が申告を要する点にある。なお非締結国への法的拘束力は無い。
当条約は1996年4月に起草され、2017年7月に国連総会で賛成多数にて採択され、2020年10月に発効に必要な50ヵ国の批准に達したため、2021年1月に発効予定となった。
なお当条約の国連総会への採択を含め、条約の推進には2007年に核戦争防止国際医師会議から独立して結成された核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きいとされ、同団体は2017年10月6日にノーベル平和賞を受賞した。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!