細菌戦の系譜!!

2022-06-17 10:06:33 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 



 
 

 

 

 

 



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それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
 
 

ウイグルで何が起こっているのか?

 
ウイグル抑圧継続と中国非難 年次報告「AIで市民監視」―米長官

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた

 


 

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。


731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か

 
日本の情報公開の現状!!

 

 

 

反原発!!
北海道 泊原発「運転差し止め」判決 争点は? 原告は判決に「安心」 北電は速やかに「控訴を」
核なき世界へ!!

国連・中満次長「核不使用死守を」 ウクライナ侵攻、脅威が「現実」 時事トップセミナーで講演

「長崎の被爆者です 質問はありますか?」初の核兵器禁止条約 締約国会議 伝えたい”被爆の実相”

NATO2カ国、核禁会議に参加 ドイツとノルウェー

 
「オブザーバー参加を」 被爆者らが「核なき世界」訴え 広島
 

ロシア 地方議会で議員が反戦訴え

「プーチン大統領は謝罪すべき」 ロシアの大物退役軍人がウクライナ侵攻で異例の批判

 

アメリカも銃規制をしてもらいたい!!
米テキサス州の小学校で乱射 生徒19人と教師2人が死亡
 

戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!
 
На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ
 
「戦争の加害展」プレ企画

 

 


 


 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 10:05:08 | Weblog

*7月18日(月)の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。

 

関連パネル展




731部隊全景

731部隊の真実

東京ブラックホールー戦後0年

 

戦争を停止する道を探れないのか??
 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
Why is America not actively moving towards peace ??
 
Почему Америка не движется активно к миру??
 
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??
 
 
 
Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
 
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
 
憲法9条を世界憲法へ!!
 
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
 
 
ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.
 
戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
 
 
I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!
 
Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!

 
国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 


 
 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 10:03:40 | Weblog

2022.4.14 日中国交正常化50周年記念 緊急集会

 

 

 
森友記録を開示せよ!!
 

 

 
 
 
 

ソニアの日記

 

コタバル 伝えられなかった戦争(2011)

 

セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)

 

開戦ー前編ー

 

 

 
 
 

推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない

 
 
反原発!!

 

 
 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

 

 

 

 
 
 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分

 

マギーフィルム(字幕付き)

 
 
政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

 

 

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
浅川地下壕を歩く(2021年2月7日)

 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 10:01:59 | Weblog

韓国サンケン労組支援

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月18日(木)

・断片的に知り得ていた事が少し繋がってきた。知らなかったことが多すぎる事がわかった。45分間の見る時間を予定していたが足りない。再度の見学で続けたい。

(70代、市内)

 


 
 
 

 

 

 



 



原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 

                



 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 10:00:39 | Weblog

第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった

 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8

 

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 

 

 
=福見秀雄=
長崎大学と731部隊、細菌ウイルスの人体実験の遺伝子があり、ここにBSL4施設を造るのは人体実験を進めるようなもの
福見秀雄 ふくみ-ひでお
1914-1998 昭和時代後期の微生物学者。
一見輝かしい経歴だが、よく見ると戦争中の経歴が抜けている。
実は戦争中は陸軍軍医学校防疫研究室に勤めていた。これは731部隊の別名である。
彼のまわりには元731部隊関係者が多く、勤めていた長崎大は元731関係者の巣窟であった。
731部隊リクルーター係の田宮猛雄や731部隊別働隊の栄1644部隊にいた北岡正見とも一緒に
研究をしている。
彼はCIA工作員でもあった。
2007年に機密解除されたCIAの資料には、731部隊長・石井四郎を始め、岸信介、笹川良一、
児玉誉士夫、正力松太郎といった超大物とともに彼の名前が並んでいる。
彼もまた医学界の大物だったのだ。
人体実験の罪を無罪放免にしてもらったのだから、米国の犬になることを拒否できなかったのは
当然である。CIAはこういったスネに傷をもつ人間を脅して、無理やり工作員をやらせるのである。
福見の最大の犯罪は、戦後も人体実験を続けたことだ。
芝田進午氏が予研が起こした事件をまとめている。
その中から彼の名前が挙がっているものを引用しよう。
 
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 09:58:49 | Weblog

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 



 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 


 

 

 

 
 
戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 
この事件は、冤罪の可能性が高いことが長らく多くの識者によって指摘されてきたが、現在でも再審請求を続けている平沢弁護団が所蔵する捜査資料『甲斐捜査手記』の分析から、非常に重要なことが浮かび上がってきた。
 それは、帝銀事件捜査陣は、旧日本陸軍の秘密戦部隊(731部隊・登戸研究所、毒ガス研究をしていた六研、中野学校など)の実態を詳細に明らかにしていたが、米軍はそれらの部隊が行なった人体実験データを入手するために、731部隊をはじめとする部隊関係者の多くを免責・保護し、さらには関係者に捜査当局にも旧軍の秘密を話さないように約束させたということである。
 
 
 
 

 
 
 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 09:57:00 | Weblog

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

 

 

実験医学雑報19巻 第7号(1935年)

 

宮川米次

 

結語

 

その他医学界に於ては、近時あらゆる方面に於て欧米人に範を示す様な目星しい業績が簇々現れて来ております。ここに於て私は現代の吾等にも祖先にも劣らぬ独創の業績を為す能力があるなと、ひそかに慰めており、且つ医学以外の各方面に於ても恐らく全く同一であろうと想像しております。

 

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑


大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

大牟田「爆発赤痢」事件

北宏一郎

 


 
化学戦準備には塩素工業の発達要
 
「平時工業中化学兵器特に密接なる関係を有するものもは食塩電解工業、即ち塩素工業にして化学兵器の大部分が塩素に関係を有し塩素工業の発達は他面、化学戦準備の整備を意味するの感あり」
中村隆寿陸軍工兵中佐〈化学兵器の理論と実際〉
科研1936(昭和11)年刊
久村は陸軍技術本部長として序を記している。
科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)
 

 

 伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 
 
第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)

第1 ヘーグ陸戦条約3条に基づく謝罪及び損害賠償請求

1ヘーグ陸戦条約及びこれを内容とする国際慣習法の成立(原告らの主張の骨子)

(3)仮にそうでないとしても、遅くとも本件細菌戦の実行時点までには被害者個人の加害国に対する直接的な損害賠償請求権が国際慣習法として成立していたと言うべきである。即ち、ヘーグ陸戦条約は、世界主要44か国が参加した国際的な平和会議に於て全員一致で採択され、世界各国は、同条約の制定以降同条約の遵守を表明し、反対意思を表明する国はなく、且、その内容は現実に履行されてきた。さらに、同条約に違反する行為が戦争犯罪を構成することは国際的に承認されていた。日本も、批准後の第1次大戦に参戦する時、同条約の遵守を表明すると同時に各国にその履行を要求した。

 
 
 

 

 
 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 09:55:35 | Weblog

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二月七日

晴風アリ 零下二十三度 巡察あり張台子煙台間 十八列車で帰る

今日も巡察だ 第十五にて第十八列車で帰る 張台子煙台間だ 昨日の出来事ある故 緊張して実施すれど異常なし 非常に眠くて入浴する気なく、また寒く冬の満州は嫌になった 大阪から今日救護班が来た 流行性脳脊髄蔓延にて 一中隊の初年兵が悲しくも遼陽の空に消えていった。国には臨月の妻と母のみとか 他人事ながら泣けてくる。満州に死に来たようだ しかも二日間の病でもろくも倒れようとは その結果鞍山部隊は外出禁止となり 保菌者を調べる為に来たのだ。

 今日は土曜日 本当に帰りたくなった。この間の事件以来 夜間巡察ばかりで体が続かない。銃は真っ白になるし 眉毛は氷って目が見えなくなる。

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 

倉庫の記録


 
二日め

 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだの(ゆが)んだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。
 ところどころに娘をみつけた父母が(かが)んでなにかを飲ませてい、枕もとの(かな)ダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。
 飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動かぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人の眼。

 

 
 

 

 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 09:53:51 | Weblog

映画「ひろしま」予告編
メアリーが伝えるヒロシマ

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

 

海南島で見た生体解剖
「アイゴー、アイゴー」という叫び声が聞こえてきて・・・・
渡辺はつ
同仁会・看護婦
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 新郷・開封の同仁会診療所に看護婦として勤務
1942年 海南島同仁会診療所に勤務
1943年 現地解除。帰国
■この証言は1993年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
 
 私がいた頃は、中国人の集落に予防注射に行くほどの人数的な余裕はありませんでした。新郷では、付近の集落にチフスやコレラが流行しましたので、診療所の前を通る中国人を無理やり捕まえて、チフスやコレラの予防注射をしていました。強制的でしたが、通訳を2人おいて、予防の必要性を説明したのです。軍人以外にも商社員や民間人を装った特務機関の者もおり、そういう日本人の治療もしました。新郷は北支那方面軍の管轄下で、開封にも北京にも臨時出張がありました。
 
 

戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)

 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

 
 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

解説

証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

 侵略行為の実態を把握

 管理所の扱いに反発し、告白運動や手記運動にそっぽを向いていた連中にも、変化が生じていた。一定の期間が経過した頃から、自分たちの過去の行為と比べ、中国側の扱いが寛大であり、かつ道理のある事に気づき始めたのであった。国友の分析によれば、中国側の意図が処罰を目的としたものでないらしいとわかり始めたことから、気持ちにゆとりが出てきて、物事を冷静にみることができるようになったためだろう、という。旅行の終わった頃、かつては札付きだった連中の中から、中国側の責任者に、それはなぜなのだと尋ねる人たちが出てきた。1人の責任者は、こう答えていた。「私は、国の方針として、皆さんにその様に対応したまでだ。私たちは、皆さんがかつての中国でやったことと反対の事をしているのかもしれない。しかし、それで良いのです。私たちは、将来の事を考えて、その様にやってきたのです」。

 



 

 

                     

 

 

 

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-17 09:51:02 | Weblog

●毒ガス戦

 
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

おわりに

 

私が日本軍の毒ガス問題に関心を寄せるきっかけとなったのは、高校の図書館で、曽根兵器製造所の毒ガス後遺症患者を扱った「毒ガス後遺症の恐怖訴え」と題する1989年10月28日の『朝日新聞』の記事だった。当時高校1年生だった私は、この記事を読んで、日本軍の毒ガス製造が自国民に災厄をもたらしていたという問題と、日本軍が毒ガス兵器を実戦で使用していたという記述に驚かされた。記事には立教大学の粟屋賢太郎教授と『地図から消された島―大久野島毒ガス工場―』の作者の武田英子氏のコメントが付いており、早速私は武田氏の著作を購入した。

 
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
 
 

 

日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!

碑文

 
ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。
 
建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春

 

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

 

付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
 
この町には実際、日本軍占領期の軍関係のビルが多い。列車は橋を過ぎるとすぐ駅に着く。駅を出ると、目の前には大都市が姿を広げる。真っ直ぐな大通りが駅から一直線に市街の奥深く通じ、その両側には近代的な高層ビルが立ち並ぶ、街の中心ある花園に立つ像が目を楽しませてくれる。
 都市の近代化を楽しむ間もおかず、私たちは真っ直ぐ、ジャムス航路支局の支局長、黄其俊さんを訪ねた。黄さん(54)はハルピン交通學校の出身で、この支局ですでに30年近く働いている。航路局の仕事は1年の半分近くが川の船の上だが、黄さんは自分の仕事に強い愛着を持っていると見受けた。

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用

 

 

 

 

 
 
●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎

分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

飯を食っているところへ、炊事場の裏の方で怒鳴る声が聞こえてくる。「誰かいないか、誰かいないか」班長の声だ。佐藤一等兵はほおばった飯を詰め込むと、「佐藤一等兵行ってきます」誰に敬礼するともなく、大きな声を張り上げ、頭をペコリと下げた。その声を聞いた久保上等兵は慌てたように、「おい、佐藤」と言った。

「ハイ」

「かまどに火箸が焼いてあるから持って行ってくれ、班長殿に頼まれたんだ」

「ハイッ、わかりました」。返事を残すと炊事場に走って行った。

 
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
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