細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:09:22 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 



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日本は、なぜ、核兵器禁止条約締約国会議に参加しない??

 

戦前・戦後直後と同じ、トップは無責任!!

国が原発推進していて、事故があったら責任ないなんて全くおかしい??
責任を全部下に押し付けるのは、BC級戦犯裁判、226事件と酷似だ!!

 

226事件は憲兵隊も陸・海軍も事件が起る前から情報を得ていた。なぜ事件を止めなかった??

全貌226事件

2.26事件

 
何をやっているのかさっぱり分からない??
 

 

それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
 
 

ウイグルで何が起こっているのか?

 
ウイグル抑圧継続と中国非難 年次報告「AIで市民監視」―米長官

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた

 


 

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。


731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か

 
 
戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ

 
 

 


 
「戦争の加害展」プレ企画
 

 

 


 


 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:08:14 | Weblog

*7月18日(月)の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。

 

関連パネル展




731部隊全景

731部隊の真実

東京ブラックホールー戦後0年

 

戦争を停止する道を探れないのか??
 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
 

国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 


 
 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:06:58 | Weblog

2022.4.14 日中国交正常化50周年記念 緊急集会

 

 

 
森友記録を開示せよ!!
 

 

 
 
 
 

ソニアの日記

 

コタバル 伝えられなかった戦争(2011)

 

セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)

 

開戦ー前編ー

 

 

 
 
 

推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない

 
 
反原発!!

 

 
 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃
 

 
 

 

 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分

 

マギーフィルム(字幕付き)

 
 
政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:05:55 | Weblog

「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を

 
 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月15日(月)

・現在の日本の医療・科学の基盤に戦前、戦中からの植民地主義が何の反省もなく続く姿勢があるのだと改めて確認できました。医療、科学の情報が、権威に独占されることなく、公平に開かれることを望みます。

(30代、市内)

 
 
 


 
 
 

 



 



原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 

                



 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:04:55 | Weblog

第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった

 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8

 

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

生物兵器、脅威に懸念 防御後手   (The Economist)2020.5.5


(写真は、ドイツが実施したバイオ攻撃に対応するための訓練)=AP

■2001年米国の炭疽菌事件で懸念高まったが

生物戦争への懸念は、2001年9月に米国の報道機関や上院議員らに炭疽(たんそ)菌が封入された封筒が送りつけられ5人が死亡し、しばし高まった。これをきっかけに公衆衛生も国家安全保障の一部となった。米国では空気中に散布された生物剤を早期検知する「バイオウオッチ」プログラムが導入され、30を上回る都市に検知器網が設置された。だが近年、シリア空軍によるサリン投下や、英国南部でロシアからの暗殺者らが兵器級の神経剤「ノビチョク」をドアの取っ手に塗った事件などから化学兵器への対応が優先されてきた。
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:04:04 | Weblog

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


 

 

 

 

 

 

戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 

 帝銀事件捜査が行われていた1948年1月から9月当時、まだ東京裁判やBC級戦犯裁判が行われている最中であり、一方で残虐行為のために死刑判決を受ける人がいた反面、他方では極めて組織的な残虐行為を行なったにもかかわらず、米軍に保護され、完全に免責されるという人(のちに米軍に雇われる人もいた)が存在したのである。

 つまり、帝銀事件の捜査の段階で、日本の民主化・非軍事化政策の一環として行われた戦犯追及は、大きくねじ曲げられ、戦争犯罪・戦争責任が隠蔽されたということである。その意味で、帝銀事件の捜査は、占領政策の大きな転換をもたらす分岐点なったと言えるのである。(明治大学平和教育登戸研究所資料館長) 

 
 

 
 
 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:02:39 | Weblog

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

 

 

実験医学雑報19巻 第8号(1935年)

 

(次の一文は、総ての刊行物を利用して国民一般に選挙の粛清の趣意を徹底せしたいとの内務省の依頼により特に掲載したものである)

 

選挙の粛清に就いて

 

  惟うに選挙粛清の事たるや固より一朝一夕の努力に依って克くその目的を達成し得るものに非ず又国民の普く之が必要を自覚して奮起協力するに非ずんばその効果を挙ぐること能わざる所であって、粛清の実を挙げ得たると否とは1に国民が憲政自治の本義に醒め、威武に屈せず誘惑に陥らず、克く法令の遵守して公明純正に参政報国の誠を献くると否とにかかっているものと謂われなければならない。

 今や全国に於ける選挙粛清運動は日と共に次第にその熱を加え来たり国民の意気愈々旺ならんとしている。翼くはこの熱意を続けて選挙界の空気を一新し、自由公正なる選挙の実現を図りたいものである。

 
 
 

 

 

 

 

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑


大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

大牟田「爆発赤痢」事件

北宏一郎


 


三井鉱山が建設した三池港(大正15年当時)



 
 
 
 
科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)
 
 
 
 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 13:00:59 | Weblog
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 
 
第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)

3 ヘーグ陸戦条約3条が認める賠償請求権の帰属主体

(3)被告の主張に対する反論

 

ウ 以上の条約解釈上の諸原則を踏まえると、ヘーグ陸戦条約3条の解釈上重要な点は次の通りである。

(ウ)ヘーグ陸戦条約第3条の実質は、慣習法である陸戦規則の改正であるから、同条が規定されることによって従来から国際法上の主体であった被害者個人が法主体性を喪失することはない。

(エ)ヘーグ陸戦条約第3条第1文と第2文とを総合的に解釈すれば、同条は一体として被害者個人に対し交戦国に対する直接的な損害賠償請求権を付与している。

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 



二月十三日

想い出の話
僕は軍隊生活は決して嫌ではなかった。男であるが故に行ける所と思う時は、本当に嫌と言う心持よりもむしろ好奇心が多分に取持った。

軍隊生活のあこがれを胸に画いた事さえあった。しかし私は不幸であった。この晴れの満州入を控えて主家の変動にあった。本当に涙で入営前二三週間を暮らしたのを覚えている。死に直面しながら平然と私に心配かけまいとする主人の尊い心持を知った時、私は初めて人の情によって泣いた。

私が入営の祝いに作って頂いた紋付羽織が涙を誘う形見になろうとは 神ならねば知る由もなかった。

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 

 

としとったお母さん

     あの照りつけるまいにちを

杖ついたあなたの手をひき

さがし歩いた影のないひろしま

瓦の山をこえ崩れた橋をつたい

西から東、南から北

死人を集めていたという噂の四つ角から

町はずれの寺や学校

ちいさな島の収容所まで

半ばやぶれた負傷者名簿をめくり

呻きつづけるひとたちのあいだを

のぞいてたずね廻り

ほんに七日め

ふときいた山奥の村の病院へむけて

また焼跡をよこぎっていたとき

 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 12:59:02 | Weblog

映画「ひろしま」予告編

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

 

海南島で見た生体解剖
「アイゴー、アイゴー」という叫び声が聞こえてきて・・・・
渡辺はつ
同仁会・看護婦
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 新郷・開封の同仁会診療所に看護婦として勤務
1942年 海南島同仁会診療所に勤務
1943年 現地解除。帰国
■この証言は1993年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
 
 
解説ー同仁会(粕川良谷・越田稜)
 
 同仁会の財務運営は、設立当初は会費と寄付金によってまかなわれていたが、第1次世界大戦後(1918年)は国庫補助金を受け、昭和期には同仁会が政府機関の1つとして扱われるに及び、国費によって運営されるようになった。
 南満州鉄道株式会社発足(1906年)に併行して同仁会事業の重点は中国に置かれ、早くも1913(大正2)年には北京診療班、のち22年には漢口に、24年には青島に、25年には済南にそれぞれ診療班が編成され、診療所が開設された。 
 

戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)

 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

解説

証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

日中友好運動へ

  折も折、日中間で重大な事件が起きていた。長崎国旗事件である。中国は、岸内閣のたび重なる反中国言動に強く抗議し、この事件をきっかけに、全ての交流を中断する措置をとった。この状況に危機感を深めた藤田ら「中帰連」の代表5人が、首相・岸信介を厳しく詰問する抗議声明を発表した。その声明は、彼らの戦争体験を踏まえ、侵略戦争への反省を求め、日中友好と平和の確立を主張する次のようなものであった。

 

 岸首相は、かつて私たちを侵略の戦場へ送り出した立場にありながら、今なおその戦犯としての罪を反省せず、中国を敵とみなして承認を拒み、過去の罪の上にさらに罪を重ねている。私たちは、今こそ過去の侵略戦争の反省の上に立って、政府の中国を敵とする戦争と人間不信の政策を、友好と国交回復による信頼の政策にかえ、アジアに新しい集団安全保障の平和を作り上げる為力を合わせましょう。
(以上)

 

 



 

 

                     

 

 

 

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

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細菌戦の系譜!!

2022-06-27 12:56:34 | Weblog

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

はじめに

 しかし、毒ガス戦の「遺産」は今も日本から消え去ってはいない。日本政府は、中国に遺棄した毒ガスを廃棄するための調査を1991年から実施しているが、廃棄作業の実行はこれからである。日本国内では2000年と2003年に福岡県苅田港で毒ガス弾が発見され、大型船接岸の為の浚渫工事が中断された。2002年から2003年にかけては、茨城県神栖町や神奈川県平塚市・寒川町で、毒ガスやそれに基因するとみられる有毒物による被害者(「被毒者」ともいう)が出ており、日本政府は1973年に行なった廃棄・投棄毒ガスの全国調査を再点検しなければならなくなった。中国では、2003年8月、日本軍が遺棄した毒ガス缶が黒龍江省チチハル市で掘り出され、44名が被毒し、1名が死亡するという痛ましい事故が起こった。

 
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
 

 

 
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備
えていた!!
 

 

碑文
 
ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。
 
建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春

 

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

 

付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
 
  泥ポンプの力が非常に大きいため、通常は普通の大きさの石も一緒に吸い込まれ、吐き出される。特に大きな石は、吸い上げ口の鉄網に引っかかり、故障の原因にはならない。砲弾のような物は縦に吸い込まれれば網の目を通ってしまい、泥ポンプに達するとその長さの為に回転羽の運動を阻害し、それが早期に発見できず、無理に回転を続けていると、その物が壊れるか、羽が壊れるかしてしまう。
 現在の船員は、既にもう1974年の被害者たちとはすっかり入れ替わったが、私たちの訪問の目的を知ると、1982年にこの船で起こったという砲弾の爆発事件のことを話してくれた。その時吸い上げられたのはもともと普通の砲弾であったが、回転羽とぶつかって爆発を起こした。爆発があった泥ポンプが船倉の中央部に位置するため、被害は惨憺たるものであったろう。私たちが口々に、どんな被害が出たのかと聞くと、船員たちは船倉の巨大な鉄製の泥ポンプの場所へ案内してくれた。

 

 

 

 

 
 
●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎

分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

 

「なに」佐藤の顔を見ると、「お前にできるか」「班長殿、自分が言わせてみせます」必死になって火箸を取ろうとする佐藤の顔を見るとニタリと笑い、「よし、やれるだけやってみろ」佐藤は火箸をひったくるように奪うと、近寄って行った。

 拷問は20分、25分とたっている。中年の男は体をまっすぐ伸ばし、呼吸するたびに焼けただれた皮膚を破るように骨が浮き出して見える。「貴様、言わねえか」目を吊り上げた佐藤1等兵は吊るした農民風の男を見上げると、大腿部と下腹部を所嫌わず殴り続けた。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 
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