●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
(2021年2月4日)
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第3章 防衛力整備
1 中期5ヵ年計画
極秘の2次防計画
ここから、いくつかの問題が明らかになってくる。従来、中期防衛力整備計画は、国防会議および閣議で決定されるものと考えられてきた。だが、事実はそうでない。計画そのものは防衛庁庁議で決定されるのであって、国防会議はやはり「防衛(力整備)計画の大綱」(防衛庁設置法第62条2項2号)として、
経費総枠などを決めるにすぎないのである。国防会議決定事項の表題が「・・・について」とか、「・・・の大綱」となっている陰には、このようなカラクリが秘められているのである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
自衛隊員が語る旧軍技術研究
小官は戦車隊(第19師団、軽装甲車訓練場)から入校し、戦車学校にも入校していた関係上、消(散)毒車、除毒車、除毒車、除毒機の操法は、得意であり、当時山根中尉(片村中尉)、杉山少尉、いずれも化校で総務課長、管理課長をやられた方とは同期であり、演習の余暇を利用しては、操縦訓練を教えてやった。教室(実験室も含む)で教官から教えてもらうのは、資材(実毒の意味)の一部と戦術ぐらいのもので、他の課目の大部分は、雨が降ろうが、風が吹こうが、野外で実施、実物体験主義、理論よりも実物(実毒)に親炙、体で覚えるいわゆる体得するのが、習校の教育方針のようにうかがえた。」
島田は旧軍の時代、毒ガスを、「しろ」とか「みどり」と呼んでいたと言い、その教育は徹底した現地現物主義で、「除毒点を構成し終わって、資材除毒所に行き、完防を脱ぐ」と、「上衣の袖口から汗がドサッと流れる。長靴を脱ぐと、これまたざっと流れる」ようだったと書いているが、その教育状況は今から考えると大変に興味深いものがある。
しろ・・・・・煙
みどり・・・・クルツアセトフェノン
ちゃ・・・・・青酸
あか・・・・・アダムサイト ジフェニル塩化砒素
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第2章 天皇に育てる
Ⅰ
1914年から19年までの中等科時代、博物と物理の教師だったのは服部広太郎である。服部はさらに30年余りにわたて彼の科学研究のために仕え、子どものときの昆虫趣味を伸ばして、海洋生物学と分類学に対する彼の生涯にわたる強い関心を育てたのである。彼は服部の勧めで、ダーウィンの進化論を解説した啓蒙家丘浅次郎の『進化論講話』(1904年)を読み、またダーウインの『種の起原』の日本語訳も読んだようである。1927年ごろ彼はダーウィンの小さな胸像を贈られ、以後エイブラハム・リンカーン、ナポレオン・ボナパルトの像と一緒に書斎に飾っていた
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.