核時代39年(1984年)5月初版発行
釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ
原田左中(はらださちゅう)
憲兵軍曹
〈旧部隊名〉
元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊
もう夜も更けて冷たい夜風は全身に染み透った。私は心の中でこの男はきっと八路軍の工作員かもしれない、この男に泥を吐かせたらきっと大きな成果を上げることができる。どのように白状させてやろうか、どんな拷問をかけてやるか・・・などと考えながら歩いていた。それから2時間も歩いたかと思われる頃、ある村に到着した。村には灯一つ見えず、静かである。村の人々は昼間の疲れでぐっすりと寝入っている。私達が村の中頃まで来たとき、突然噛みつくように犬が吠えだした。そして村のあちらこちらで激しい犬の鳴き声が起こった。私はなんだか全身に強い反撃を受けたように感じ、立ち止まって拳銃を握りしめ、あたりを見回した。
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
38年2月1日 統裁部
昭和38年度統合防衛図上研究(三矢研究)実施計画
昭和3X年3月末までの諸情勢下記の通り
2 アジアの情勢
(3)以上の情勢に対し西側諸国は
○南ベトナムに対する所要の増援
○タイ国協同防衛作戦の遂行
○ラオス中立政策の回復と共産義勇軍のラオスからの撃退
○中印国境に対するけん制
等の方針を決定し、それぞれこれらの目的達成のため3月上旬から逐次次のような行動を開始した。
3月末の態勢は別図の通りである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。