核・戦争のない世界!!

2024-11-04 10:18:57 | Weblog
一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
 
 
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
 

医療倫理・研究倫理の深化

 
 
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
(2023年9月12日東京地裁) 
令和3年(行ウ)第594号 
原告増本美保外11名 被告
全国健康保険協会 
 
 意見陳述書              
2023年(令和5年) 9月12日
 
 東京地方裁判所 民事第51部lA係御中                       
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義 
 
第2 放射線の晩発性影響の評価
 
被告は、原告らの主張する放射線の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線影響とは認められないと主張します。
 そこで、まず、放射線晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。
 
2  放射線人体影響を初期放射線のみとしたことによる影響
(3)原爆症等での原告勝訴
逆に、原爆症認定訴訟や黒い雨訴訟では、放射性物質による原爆被爆者の放射線被ばくが問題とされ、原告勝訴につながりました。
 
 




被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!
日本も脱原発の方向へ!!
現在原発を利用していない国・・・イタリア・オーストリア・オーストラリア
将来的に非利用にする国・・・・・韓国・ドイツ・ベルギー・台湾・スイス

福島原発事故の写真

福島原発周辺8町村 1514人が震災関連死 7割が3回以上移転世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発 原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係?? 日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。

ALPS処理汚染水を海に捨てないで!海洋投棄を止める活動にご支援を

グリーンピースからのメールの一部より 


汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて 

8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 style="font-size: x- large;">
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会  

 放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。 

 署名提出、討論会でわかったこと 

 グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO style="font-size: x- large;"> style="font-size: x- large;"> style="font-size: x- large;">
 海を汚染しない選択を求めます 

style="font-size: x- large;"> style="color: blue;"> 



第9回「戦争の加害展」(横浜)


◆4月28日(日)
72、勉強になりました。拝見した記事や写真のほかに、当時の日本の新聞を読んだこともあります。われわれ自国の新聞で(1937年12月のものかな)人斬り試合や、皇族が南京参戦とか、天皇陛下が戦果に満足とかが記載されました。
class="MsoNormal">(40代、市外(東京)、ウェ
style="font-size: x- large;"> style="font-size: x- large;">
style="font-size: x- large;">

style="font-size: x- large;"> id="q1vgi8ys" style="display: none;"> 

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核・戦争のない世界!!

2024-11-04 10:10:19 | Weblog
飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!                      



 
 
 
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
 以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠の旧従業員(財務省所管)および元動員学徒等(厚生労働省所管)に対する接護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今世界に訴える毒ガスの島
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所跡)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)
 
化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
 毒ガスの処理事業は、内閣府は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
 
日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する中国外交見解
2024年7月30日中国外交部記者会見
东方卫视(ドラゴンTV)記者の質問
 今日は、「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する中華人民共和国政府と日本政府の間の覚書」締結25周年記念日です。報道官は関連作業の進捗状況と中国の懸念について紹介してもらえますか?
 
林剣報道官の答
 中国における日本の遺棄化学兵器は、中国侵略戦争中に日本軍国主義が犯した重大犯罪の一つであり、依然として中国人民の生命と財産、生態環境の安全に重大な脅威を与えている。今日まで、中国は日本の遺棄化学兵器問題を非常に重視しており、化学兵器禁止条約と日本の遺棄化学兵器廃棄のための日中政府間覚書の規定を遵守し、遺棄化学兵器をできるだけ早く、安全かつ清浄かつ徹底した方法で廃棄するよう日本に求めている。
 中国の強力な支援により、日本はこれまでに約13万個の日本の遺棄化学兵器を発掘・回収し、約10万個を廃棄した。しかし、日本の投資は不十分かつ不均衡で、遺棄化学兵器の廃棄プロセス全体は依然として大幅に遅れ、廃棄計画は4回も延期されている。いくつかの重要かつ困難な問題は未解決であり、廃棄の進行は著しく妨げられ、中断されている。
 日本の遺棄有毒化学兵器を除去することは、日本が逃れられない歴史的、政治的、法的責任である。中国は日本に対し、中国の懸念を真剣に受け止め、条約に基づく責任を真摯に果たし、あらゆる面で投資を拡大し、遺棄化学兵器の処理プロセスを加速するためにあらゆる努力をし、関連する廃棄計画を包括的、完全かつ正確に実施するよう強く求める。そして一刻も早く中国人民に浄土を返していただきたい。

 

 





style="color: blue;">先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 style="color: blue;"> style="color: blue;">という趣旨の内閣府の裁決がありました。
次回裁判期日:2024年12月24日(火)11:00 style="text-align: left;">
2024年10月22日(火)11:00〜
東京地裁703号法廷

弁護団は、担当箇所を振り分けて原決定による開示文書と今回出てきた文書を照らし合わせながら、開示された箇所と不開示理由の妥当性を分析検討している。
 
開示文書は約6,800頁で、文書番号としては335番まである。
 
裁判が始まってから、裁判長は文書の中身を見ることができないため、被告に対し「不開示事由一覧表」に不開示にした理由を具体的に書き込んでいくように指示。
 
今回、被告国側は文書番号150までについて不開示理由を書き込み、提出してきた。
今回の弁論で原告側は、文書番号50までの分について反論を行った。
 
また、6月17日に、不開示決定がないまま開示されなかったことによって原告の文書開示を受ける権利が侵害されたことに対し、損害賠償請求を追加した。
 
これに対し、国から認否・反論が出た。こちらの反論は次回に行うとのこと。

*日本は、なぜこんなに情報公開に後ろ向きなのだ!!毒ガス処理を含め、過去の負の遺産をすべて隠そうとしている日本政府の姿勢にあきれてしまう!!
*裁判長にすら、原本黒塗りとは何事だ!!インカメラ審理の導入を!!
*秘密保護法反対!!戦時中の文書・戦後の文書もきちんと国は公開すべきだ!!

 
\ご支援よろしくお願いします/
【口座記号番号】00120-2-732043 
【口座名称】稲垣美穂子(イナガキミホコ) 
  
他行からのお振込み頂く場合: 
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・専門家の意見書執筆費用 
・弁護団交通費用 
・弁護士費用 
 
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核・戦争のない世界!!

2024-11-04 10:08:03 | Weblog
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。 
 
南京大虐殺 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 重慶爆撃                   
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

 

 
 
 





 

 原爆    
        




 
 
 
 
 
 
  
 
日航123便の怪(1985年8月12日)
 
     
 
●東京帝国大学伝染病研究所
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
 
実験医学雑誌24巻(1940年)
雑報(2号) 
宮川所長の青山先生胸像由来の話
 両先生の一行が、この画期的なる業績を挙げ、宛も凱旋将軍の如くに帰国せられた際に、全国の医師諸君からその学勲を頌し記念するために贈られたのが今回茲に安置致しました胸像であります。私等常に伝染病の研究に従事しておりますものにとりましてはこの様な立派な歴史のあるものを吾等のもとに置きますことは単に先生の温容に接するという以外に、言い知れぬ教訓と鞭撻と勇気とを与えられるのであります。 承わる所によるとこの胸像は先生の36歳の時でありまして、藤田文蔵先生、宮尾栄助氏鋳なっております。いかにも溌剌として勇気凛々たるものがあり、ベストなる1大 悪魔と取り組もうという様な気分が溢れております。
 
 
 
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
 
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   
 
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第8章 昭和維新と統制
 
軍は2月の叛乱を調査した結果、蜂起した青年将校たちは2月20日の総選挙で左派候補が支持され、有権者が反軍感情を示したことに危機感を深めていたことが判明した。さらに、首謀者が地方出身で民衆主義的な主張をしていたにもかかわらず、農業恐慌を理由に革命家になったわけではなく、その究極の目標は、当時、多くの日本人が想像していたような農村の改革との関係をまったく持っていなかったのである。叛乱首謀者の目的は、国体の精華をさらに明らかにすることにあり、彼らはそれを日本の軍備の近代化を促進することと理解していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 




























 
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