戦争反対!!
脱原発!!
青森 class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
柏崎刈羽原発再稼働を問う県民投票の実現に全国からご支援を
東電 style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;">
第112回八王子アクション
2024.11.6 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!
脱原発!!
女川原発 原子炉停止し点検へ 発電は延期 計測機器トラブルで
「原発必要ない」 女川原発再稼働に反対し東北電力本店などで抗議活動
「日本人は戦時中、ひどいことをさんざんしました。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません」
4、「船中の食事」
船の中での食事は、主としてひじきご飯であった。米の中にひじきが入っているというよりも、ひじきの中に米粒が入っていた。
姉と甥(生後3か月)は消化不良を起こし、甲板上の便所に通い続けた。
私は、今でも、ひじきを見ると食欲が減退する。
1946年8月
少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。
9・29アミダステーション(八王子)
2024.9.29 少年Mの記憶ー「満州」からの帰還 感想
3、(感想)入院中の中、心からの肉声で体験案内して下さって、胸に響きます。
今この時、戦争は又新しい波を感じます。
皆で心一つに、平和を願います。
近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)
仁子さんは、ある時期、ある人間が、こういう目に遭っただけではなくそこには万人に共通する何かがあるのではないかと思い、滿さんはこれ(紙芝居)を残したのではないかと考えました。その思いをDVDを制作する過程で強く感じたので、これからこのDVDをどうしようかと考えているところですと、話されました。会場には、「満州」で生まれた滿さんの甥御さんも来ていて、「両親や滿さんに「満州」のことを聞いてもなかなか教えてくれなかったが、50を過ぎた頃、2時間ほどかけ滿さんから、家族8人で、無事に赤ちゃん(私)が日本に帰れるように力を合わせて協力していたことを聞いた」と、その語る声は言葉にならず、嗚咽に近かった。長野県飯田から来られた仁子さんの元同僚は、かつて近藤宅を訪れて、滿さんと会っていたが、「滿さんが、こんな体験をされているとは全く知りませんでした。・・・私の住んでいる飯田の隣に阿智村があって、そこに満蒙開拓平和記念館があります。私もそのボランティアスタッフの1人なんですけれども、証言する人も少なくなっているのでこのDVDを持ち込みたいと思います。満蒙開拓平和記念館と日中友好協会八王子支部が何らかの形で繋がればいいなと思っています。」と話されました。そのあと、こういうことを多くの人に知らせる必要があると思うと言う意見があったり、私も「満州」で生まれて大変な経験をしたということを1人の方が話されると、会場の中には、私も中国にいたとか、何人かの方々が次々にご自分の体験談を話されて、会場にどよめきが起こりました。くしくも9月29日は、52年前の1972年に日中共同声明が発表された日でした。
*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。
1972年9月29日 日中共同声明調印!!
7、日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
8、日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
9、日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、必要に応じ、また、既存の民間取決めをも考慮しつつ、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
1972年9月29日に北京で
日本国内閣総理大臣 田中角栄(署名)
日本国外務大臣 大平正芳(署名)
中華人民共和国国務院総理 周恩来(署名)
中華人民共和国 外交部長 姫鵬飛(署名)