地図のない旅

地図を持たない行き当たりばったりの旅日記です。旅先で触れたこと、感じたことを写真を織り交ぜて綴っていきます。

小諸城址懐古園

2009-10-23 23:51:26 | ☆攻城戦
小諸で一夜が明けて、「懐古園」に向かう事にします。
懐古園は、元々『小諸城』でしたが、現在残っている城跡の元になったものは、武田信玄の軍師であった、山本勘助の縄張りだと言い伝えられています。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができたので、「穴城」とも言われるそうです。


2009.9.28


泊まったホテルは、懐古園の目の前でした。
とても便利な場所にあったので、ゆっくりとチェックアウトすることができました。
昨日は、比較的朝早いチェックアウトだったので、今日はややのんびりです。



3分と歩かない内に、「三の門」に辿り着きます。
今日は月曜日なので、観光客の姿もまばらです。
空いているのは、とっても良い事です



「三の門」をくぐって進んで行くと、「二の門跡」があります。



 二の門跡







ここは、「二の丸」があった場所です。
石段の上が二の丸跡で「白鶴城」があったそうです。



 北丸跡







北丸跡は、弓道場になっています。
元は、隠居所だったそうです。



 南丸跡







「北丸跡」の向かいには、「南丸跡」があります。
ここには、武器庫などがあったとされています。
現在は、懐古園の中の藤村記念館の横に、当時のままに復元されています。



 黒門橋






緊急時に取り外す事のできる太鼓橋が架かっていたそうです。
橋の下は、紅葉谷と言われる「空堀」になっています。



 黒門跡







元は、「一の門」が建っていた場所です。
現在は、台石が残っているだけですが、是非復元して欲しいものです。




 本丸跡(懐古神社)






かつて本丸があった場所です。
明治13年に神社が祀られ、「懐古神社」と呼ばれました。









手水舎もなかなか立派です。
小諸城の歴史と山本勘介に敬意を称して、手水を遣います。









 懐古神社 本殿






本殿では、丁寧に拝みます。
懐古神社の境内には、興味を引くいくつかのものがあります。




 懐古園の碑






懐古園が造られた時の記念碑です。
題字は、勝海舟の筆によるものだそうです。



 山本勘介の鏡石







山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石です。
勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられているそうです。








城の本丸跡には珍しい(と、おいらは思いますが...)噴水です。
まあ、噴水自体は珍しくも何ともありませんが...。



懐古神社のすぐ傍には、「天守台」があります。


 天守台






小諸城が現在のような構えとなったのは、仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃この場所に建てられたものでです。
寛永3年(1626年)に落雷によって焼失し、その後再建される事なく現在に至っています。
再建されると良いですね。


いよいよ、今回の旅も終焉に近づきました。
小諸城を攻略した後は、続いて上田城攻略(詳しくは、別記事『上田城跡公園』で)に向かいます。


この記事は、デジブックで公開済です。
別記事『小諸懐古園』をご覧ください。





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