昭和40年頃から鉄道の無煙化が進み、蒸気機関車は終焉を迎え急速に姿を消していくことになりました。40年代中頃から、高校生の私はその姿を追っていました。今から思うと彼・彼女らの旅路の終楽章を聴いていたのかも知れません。
その姿を家の中で眠っていたアルバムからご紹介いたします。
*タイトルにある「汽車」は厳密には蒸気機関車が牽引する列車をさしますが、私は子供の頃からSLよりも汽車という言葉で親しんできたため機関車自体にもこの言葉を使います。
▍八高線のD51141
勾配を駆け上がるD51重連貨物列車(D51141+D51?) 八高線(東飯能ー金子間)
昭和45年(1970)頃撮影.アサヒペンタックスSP?
撮影ポイントを探して線路端を歩いていて振り向けば重連でした。空を覆いつくすような煙、ブラストと地響きに慌ててカメラを向け撮影しました。後補機は煙だけになってしまいましたが、迫力のある1枚になりました。
当時の蒸気機関車は前照灯のすぐ横に副灯として新型のシールドビームを増設していました。この141号機も例外ではなく2灯装備なのですが、後付けの副灯が向かって左側の端に付いています。なぜ離れていたのかとても気になるところですが、その理由はわからないようです。
D51141号機は、昭和13年(1938)製造。宇都宮機関区から、田端、尾久、八王子、高崎第一機関区などで活躍し、昭和45年(1970)11月に高崎で廃車されました。∎ (つづく)
*機関車の個別データは、「機関車データベース(デゴイチよく走る!)」を参照させていただきました。