千葉県松戸市にある戸定邸(とじょうてい)を訪ねました。
戸定邸は、かねてから一度は行ってみたいと思っていた場所なのですが、どういうわけか機会がなく、私の仮想バケットリスト入りになっていました。ようやく、思い立ったが吉日と松戸駅から歩いて10分ほどの戸定邸を訪ねてきました。
戸定邸を含む一帯は、松戸市によって戸定が丘歴史公園として整備され、独特な庭園やゆかりの品を展示する戸定歴史館などがあります。
戸定邸は、松戸市南西部、江戸川にも近い高台にある木造平屋一部二階建ての純和風建物(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)で、明治17年(1884)4月に完成しました。主は、最後の将軍、徳川慶喜(1837-1913)の弟、昭武(あきたけ、1853-1910)で、ここで隠居生活を送りました。
歴史の変換点に生を受けた昭武は若くして西洋を体験します。慶応3年(1867)に、兄である徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会及びヨーロッパ各国に赴き、明治9年(1876)にはフィラデルフィア万国博覧会御用掛として訪米しています。10代、20代前半の時でした。いずれも、パリで留学をしていますが、最初の時は明治となったため途中で帰国しています。
その後、明治2年(1869)に水戸徳川家を相続、最後の水戸藩主となります。水戸藩知事を命じられますが、明治4年(1871)7月の廃藩置県により知事を免じられて以降は向島の小梅亭(旧水戸藩下屋敷)に暮らしました。
明治16年(1883)には、甥の篤敬に家督を譲り隠居、明治17年(1884)に生母秋庭(しゅうてい)とともに戸定邸に移ります。
茅葺門*
アプローチの「みその(御苑、美園)坂」を上って行くと茅葺門が迎えてくれます。松戸駅前からの喧騒が信じられないほど静かな場所です。
表玄関と内玄関
身分の高い人の住居の通例どおり、内玄関(向かって左の小さな入口)は使者などが使い、使者の間につながります。
表座敷と庭園*
戸定邸のメインとなる表座敷は身分の高い人を迎える客間と昭武の居間から成り、64畳あります。ここからは広い庭園が望めます。調査の末、2016年にオリジナルに近い状態に復元されたものです。
昭武が西洋風を意識して作庭したものという。ほぼ芝で占められた空間が日本庭園とは一線を画しますが西洋庭園とも異なっています。微妙にずれる視点が不思議な空間へ誘うようです。
柱と釘隠し
思わず、用材に眼が走ります。柾目の杉の柱など、現在では入手困難な貴重な木材がふんだんに使われていて驚かされます。長押には葵の葉を4枚組み合わせた釘隠しが視線を受け止めます。
杉戸
表座敷にある一枚物の杉の戸が目を引きます。
廊下と灯かり*
渡り廊下によって9つの建物を結んでいます。建物の配置によって光と翳が異なった表情を見せてくれます。よく見ると鈍く光る太い杉の丸太材が軒を支えています。角材ではなく丸太なのは数寄屋風なのでしょうか。いずれにせよ、このような木材は現代では調達が難しいものでしょう。
硝子戸*
硝子戸は後代のものでしょうが、個人的に古いガラス独特の歪みが懐かしく、萌えます。激動の時代に屈折した人生を送ったであろう昭武にとって、ここは彼の無憂宮であったのかも知れないなあ、などと夢想してしまいます。
奥座敷
昭武の後妻、八重が使った部屋です。昭武もここを寝所としていたようです。実用的で簡素な和風のよさが引き立ちます。
八重(1868-1937)は、静岡の士族、斎藤貫之の娘とされます。
離座敷
昭武が生母の秋庭(万里小路睦子[までのこうじちかこ]、1921年没)のために明治19年に増築した棟です。出身の万里小路家を表す竹と雀、女性らしく蝶をあしらった欄間が目を引きます。
離座敷の一部
湯殿
湯殿は昭和期の状態です。元々はタイルの湯舟はありませんでした。
湯殿天井
湯殿の天井も一枚物の大きな杉板を張っています。
中庭をはさんで見る台所棟*
台所棟(奥)は1階が台所、2階が女中部屋となっています(内部は非公開)。
庭園から見た戸定邸
建物自体がひとつのアンサンブルのように佇んでいます。一時は市の公民館として使用されたり、一部が移築されたりしましたが、松戸市が復元に努力した結果、現在の姿になりました。
一見すると、地方の農家のようですが、住まいを守るように配置された樹木と、思いっきり息ができる広い芝生の空間は、変革の時代にあった昭武には安息をもたらしたのではないかと思われます。
写真、自転車、園芸、狩猟など、欧米体験者らしく殿様趣味とハイカラ趣味をあわせ持っていた昭武。ここで暮らした彼の内面は果たしてどのようなものであったのでしょうか。
昭武は明治43年(1921)58歳で生涯を閉じます。場所は元水戸藩下屋敷の小梅亭でした。
戸定の崖の下を走る常磐線の轟音が私を夢想から現実に引き戻します。
炎暑の中、2回にわたって訪ねた戸定邸でしたが、ボランティアガイドさんや関係者の皆さんのお陰で充実した見学になりました。ありがとうございました。
今回は、戸定歴史館が休館中(2022年7月15日まで展示替えのため)であったため、暑さの収まったころに、また、訪ねてみたいと思っています。∎
戸定邸は、かねてから一度は行ってみたいと思っていた場所なのですが、どういうわけか機会がなく、私の仮想バケットリスト入りになっていました。ようやく、思い立ったが吉日と松戸駅から歩いて10分ほどの戸定邸を訪ねてきました。
戸定邸を含む一帯は、松戸市によって戸定が丘歴史公園として整備され、独特な庭園やゆかりの品を展示する戸定歴史館などがあります。
戸定邸は、松戸市南西部、江戸川にも近い高台にある木造平屋一部二階建ての純和風建物(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)で、明治17年(1884)4月に完成しました。主は、最後の将軍、徳川慶喜(1837-1913)の弟、昭武(あきたけ、1853-1910)で、ここで隠居生活を送りました。
*
歴史の変換点に生を受けた昭武は若くして西洋を体験します。慶応3年(1867)に、兄である徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会及びヨーロッパ各国に赴き、明治9年(1876)にはフィラデルフィア万国博覧会御用掛として訪米しています。10代、20代前半の時でした。いずれも、パリで留学をしていますが、最初の時は明治となったため途中で帰国しています。
その後、明治2年(1869)に水戸徳川家を相続、最後の水戸藩主となります。水戸藩知事を命じられますが、明治4年(1871)7月の廃藩置県により知事を免じられて以降は向島の小梅亭(旧水戸藩下屋敷)に暮らしました。
明治16年(1883)には、甥の篤敬に家督を譲り隠居、明治17年(1884)に生母秋庭(しゅうてい)とともに戸定邸に移ります。
茅葺門*
アプローチの「みその(御苑、美園)坂」を上って行くと茅葺門が迎えてくれます。松戸駅前からの喧騒が信じられないほど静かな場所です。
表玄関と内玄関
身分の高い人の住居の通例どおり、内玄関(向かって左の小さな入口)は使者などが使い、使者の間につながります。
表座敷と庭園*
戸定邸のメインとなる表座敷は身分の高い人を迎える客間と昭武の居間から成り、64畳あります。ここからは広い庭園が望めます。調査の末、2016年にオリジナルに近い状態に復元されたものです。
昭武が西洋風を意識して作庭したものという。ほぼ芝で占められた空間が日本庭園とは一線を画しますが西洋庭園とも異なっています。微妙にずれる視点が不思議な空間へ誘うようです。
柱と釘隠し
思わず、用材に眼が走ります。柾目の杉の柱など、現在では入手困難な貴重な木材がふんだんに使われていて驚かされます。長押には葵の葉を4枚組み合わせた釘隠しが視線を受け止めます。
杉戸
表座敷にある一枚物の杉の戸が目を引きます。
廊下と灯かり*
渡り廊下によって9つの建物を結んでいます。建物の配置によって光と翳が異なった表情を見せてくれます。よく見ると鈍く光る太い杉の丸太材が軒を支えています。角材ではなく丸太なのは数寄屋風なのでしょうか。いずれにせよ、このような木材は現代では調達が難しいものでしょう。
硝子戸*
硝子戸は後代のものでしょうが、個人的に古いガラス独特の歪みが懐かしく、萌えます。激動の時代に屈折した人生を送ったであろう昭武にとって、ここは彼の無憂宮であったのかも知れないなあ、などと夢想してしまいます。
奥座敷
昭武の後妻、八重が使った部屋です。昭武もここを寝所としていたようです。実用的で簡素な和風のよさが引き立ちます。
八重(1868-1937)は、静岡の士族、斎藤貫之の娘とされます。
離座敷
昭武が生母の秋庭(万里小路睦子[までのこうじちかこ]、1921年没)のために明治19年に増築した棟です。出身の万里小路家を表す竹と雀、女性らしく蝶をあしらった欄間が目を引きます。
離座敷の一部
湯殿
湯殿は昭和期の状態です。元々はタイルの湯舟はありませんでした。
湯殿天井
湯殿の天井も一枚物の大きな杉板を張っています。
中庭をはさんで見る台所棟*
台所棟(奥)は1階が台所、2階が女中部屋となっています(内部は非公開)。
庭園から見た戸定邸
建物自体がひとつのアンサンブルのように佇んでいます。一時は市の公民館として使用されたり、一部が移築されたりしましたが、松戸市が復元に努力した結果、現在の姿になりました。
一見すると、地方の農家のようですが、住まいを守るように配置された樹木と、思いっきり息ができる広い芝生の空間は、変革の時代にあった昭武には安息をもたらしたのではないかと思われます。
写真、自転車、園芸、狩猟など、欧米体験者らしく殿様趣味とハイカラ趣味をあわせ持っていた昭武。ここで暮らした彼の内面は果たしてどのようなものであったのでしょうか。
昭武は明治43年(1921)58歳で生涯を閉じます。場所は元水戸藩下屋敷の小梅亭でした。
戸定の崖の下を走る常磐線の轟音が私を夢想から現実に引き戻します。
*
炎暑の中、2回にわたって訪ねた戸定邸でしたが、ボランティアガイドさんや関係者の皆さんのお陰で充実した見学になりました。ありがとうございました。
今回は、戸定歴史館が休館中(2022年7月15日まで展示替えのため)であったため、暑さの収まったころに、また、訪ねてみたいと思っています。∎
Nikon Z 6 / NIKKOR Z 24-70mm f/4 S, NIKKOR Z 24-50mm f/4-6.3* 2022年6月下旬撮影.