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ねえさん、ねえさん、どこ行くの ー 母の教えてくれた歌 1

2022年10月07日 | 音楽で考えた
思い出
『一かけ二かけて』というわらべ歌(手合わせ歌)をご存知でしょうか。
明治時代のわらべ歌ですから、おそらく、若い人はご存知ないと思います。辛うじて私と同世代か、それ以前の方なら頷けるのではないかと思います。

私が朧気ながらも記憶していたのは、子供の頃に母親(大正15年生まれ)が歌ってくれたからです。その歌で遊ぶことはなく、小学校でも『茶摘み』や『おちゃらかホイ』などを聞いたことがある程度でその後は忘れました。

ところが、最近、どういうわけか、しきりにメロディーが浮かぶのです。何の歌だったのかと正体が知りたくなり少し調べてみました。すると、案外、奥の深い歌であることが分かりました。


歌詞について
まず、歌詞ですが、「橋から遠くを眺めると、切腹した父親のお墓参りに娘が行くところ」程度にしか覚えがなかったのですが、歌っているうちに少しづつ思い出してきたのです。幼い頃の記憶は残るのだなあと思いました。昨日のことは忘れるけれど(笑)。

さらに、ネット上の個人のホームページやブログを拝見して基本形は以下のようだったと判りました。ただし、細部はたくさんの変形があり、各地に拡散し、その土地のローカル・ルールで歌われているようです。タイトルも含めてすべてをフォローすることはできません。


『一かけ二かけ(て)』

一かけ 二かけ(て) 三かけて
四かけて 五かけて 橋をかけ
橋の欄干 腰をかけ (手を腰に/腰かけて/手をかけて)
はるか彼方(向こう)を 眺むれば

十七八の 姉さんが (姉さまが /小娘が)
花と線香を 手に持って
姉さん 姉さん(もしもし姉さん) どこ(へ)行く(の)(あなたは誰かと尋ぬれば)
私は九州 鹿児島の

西郷隆盛 娘です
明治十年 戦役に (明治十年 戦争で)
切腹なさっ(れ)た(戦死なさった) 父上の
お墓詣りに 参ります (お墓参りを致します)

お墓の前で 手を合わせ
南無阿弥陀仏と 拝みます
【お墓の前には(後ろで) 魂が
ふうわりふわりと ジャンケンポン】

( )の中は、歌詞が何通りかある箇所、または私のうろ覚えの記憶の箇所です。
最後の【 】部分は私の記憶にありません。


最初は、「かけ」が連続して調子を整え、橋、欄干へ懸かります。欄干に「腰を掛け」るのは大変危険な状況ですね(笑)。ここは導入なので調子を合わせるための言葉遊びで覚えやすくし、橋まで視点を誘導してから主人公の西郷の娘にズームインするようです。次に、娘に名乗らせ身上を語らせるというのは映画的技法を思わせます。

イントロが終わると具体的な事物に入るのですが、わらべ歌だから絵空事かというとそうでもなさそうです。
歌われている西南の役(西南戦争)は、明治10年(1877)2月29日から始まり、9月24日に西郷が城山で自刃して終結したとされます。また、西郷の娘は、奄美大島での妻である愛加那との間に生まれた菊草(結婚後、菊子)(1862-1910)が実在し、戦役終結時で15歳と思われるので、一応、辻褄が合います。西郷の墓も鹿児島市内にあります。



上野の西郷さん(明治期後半発行の絵葉書)
この頃から 『一かけ…』 は歌われていたかも知れない。西郷さんは黙して語らず。


このわらべ歌は「西郷隆盛要素」の大きい歌と言えます。事実、この歌を鹿児島や熊本発だとする説があります。
歌われている内容から、西南戦争以降に生まれたわらべ歌と分かります。だとすれば、関東地方から一歩も出ていない母がなぜ、この歌を歌えたのか疑問ですが、全国に広がっていたからか、何かの接点があったのだろうと思っています。


(参考動画)
一かけ二かけて(わらべうた)霧島市観光協会(YouTube)


(参考文献)
1 尾原昭夫編著『日本のわらべうた;室内遊戯歌編』文元社、2009年12月刊.
2 町田嘉章、浅野建二編『わらべうた;日本の伝承童謡』(岩波文庫)1973年9月刊.

つづく



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