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下山治久著『戦国大名北条氏』を読んで

2014年07月05日 | 折々の読書
 今日、7月5日は、天正18(1590)年、小田原城が豊臣軍の前に開城した日。それに因み、北条一族の本の感想を。

 この本は、戦国時代に関東地方に勢力を拡大した後北条氏について詳細にまとめたものです。
 周知のように、後北条氏(以下、ここでは単に北条氏と呼びます)は、北条早雲(宗瑞)、氏綱、氏康、氏政、氏直五代にわたる戦国大名です。その勢力範囲は、早雲時代の伊豆、神奈川から拡大が続き、東京、埼玉、さらに千葉、群馬、茨城へと広がっていきました。関東圏の覇者と言ってもよいのですが、実際のところは「辛うじて」と限定したほうがいいようです。

 というのは、その領地は、里見(安房)、上杉(越後)、武田(甲斐)、佐竹(常陸)などから常に侵略を受け続け、領国経営は安定していたわけではないからです。和睦は例外的で、紛争、戦争が続きました。小規模な国が乱立し、それらが常に不安定で流動的であったので、権謀術数、謀略が渦巻き一大勢力としてまとまることはなかったようです。

 国をまとめ、維持していくために城を多く作り、そこに一族を城主として支配にあたらせました。政略結婚や人質が有効な手段であった時代です。しかし、それにしても限界があり、優勢な敵の前には撤退を余儀なくされることも多かったのです。そして、安定した基盤を作り上げられなかったことが小田原合戦での崩壊を招来したのではないでしょうか。

 また、織田、豊臣、徳川との交渉、取引を優勢に進めることができなかったようです。時の運、不運もあるでしょうが、これが滅亡の大きなファクターだったように思えます。味方勢力や反北条側も虎視眈々と時の流れを見定めていたでしょうから。

 北条家研究の専門家による本だけあって、新書版ながら内容は濃いです。一族だけでなく、具体的な政策が紹介されたり、家臣団の様子も小田原以降まで詳細に書かれています。それだけに、戦国史を知らないとついていけないところもありますが、戦いに明け、戦いに滅んだ北条一族を知るうえで、参考になるところが多い本です。

 ■下山治久著『戦国大名北条氏;合戦・外交・領国支配の実際』(有隣新書73)有隣堂、2014年3月刊.★★★


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