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ブラッドベリ『華氏451度』を読んで

2016年11月01日 | 折々の読書

 
 読書の秋だからということでもないが(現在、読書週間が行われ、古本祭り中でもある),この際、読もうと思いながら敬遠していた名作を選んでみた。この手の本は人口に膾炙しているので,何となく読んだ気になってる本である。経験上、読んでもだいたい期待外れで終わることが多い。今回は,そうでもないかも知れない,というところだろうか。SFの名作と言われている『華氏451度』である。

 実は、SFは中学生の頃からよく読んでいた。最初はエドガー・バローズの「火星シリーズ」などを愛読していたので、このレイ・ブラッドベリ(1920-2012)の『華氏451度』は敷居が高く感じられたのか(笑)、タイトルは知りながらもなぜか読まずに今日まで来てしまった。今回、新訳が出ているということもあって読んでみることにした。

 未来の都市に住む模範的な昇火士、ガイ・モンターグが主人公。「昇火士」の仕事は「消防士」の逆で、火を燃やすことを職業とする。勤務先は消防署ならぬ昇火署である。

 昇火士モンターグは通報(密告)がありしだい駈け付け、禁じられている本及びその住居を焼却することを任務としている。この時代(「2022年以降、二度、核戦争を起して、二度とも勝利した!」以降という設定)では、人々は考えることはせず、何事にも疑問を呈せず、技術的に発達した、お仕着せのテレビ放送をみて毎日を過ごすのが習慣になっている。モンターグの妻、ミルドレッド(ミリー)はまさに壁のテレビに依存する女性で、それが一般的な人間の姿なのだ。

 ある日、クラリスという少女に会ってから、疑問を抱きはじめたモンターグは、火事現場で見つけた本を収集、自宅に隠すようになる。そして、昇火署を休むようになる。モンターグを見舞いに訪れたベイティー隊長の長広舌は、この社会の成立、背景を語っていて重要だ。

 「われわれの職業の歴史は知ったほうがいい…二十世紀初頭のころだな。ラジオ、テレビジョン。いろんな媒体が大衆の心をつかんだ…そして大衆の心をつかめばつかむほど、中身は単純化された…むかし本を気に入った人々は、数は少ないながら、ここ、そこ、どこにでもいた。みんなが違っていてもよかった。ところが、やがて世の中は…人口は二倍、三倍、四倍に増えた。映画やラジオ、雑誌、本は…大味なレベルまで落ちた」(p.91-92)

 以下、いかにスピードが重視され、内容が軽視されていったか、その結果、いかにみんなが幸せになったかが延々と語られる。見事なレチタティーボである。
 その後、結局、モンターグは逃亡せざるを得なくなるのだが、逃亡劇は意外な結末を迎える。

 この本は、未来の検閲社会、愚民社会、自由を標榜した画一的な社会を批判し、そうすることによって、現在の状況を批判したものと読める。こういった着想自体珍しいものではないが、原書が刊行されたのは1953年。マッカーシズムのさなかのアメリカでこのような本が書けたことは驚くに値するだろう。

 60年以上も前に書かれた本なので、古さを感じる部分もある。個人主義の抹殺に対して立ち上がる、覚醒した少数の市民をヒーローとして描くという、画一的発想も読み取れないわけではない。
 本を焼き、読書=思考を奪い取るところが強調されがちな作品だが、むしろ、テレビが精神に与える影響を危惧して書かれているように思える。それは、「ラウンジの家族」とまで呼ばれ、見ている人間を支配するようなテレビが背景に断続的に描かれ続けるということにも表れている。
 日本においてもブラッドベリが描いた社会に向ってはいないとは言い切れないのが気になるところである。

 レイ・ブラッドベリ著、伊藤典夫訳『華氏451度』[新訳版]、(ハヤカワ文庫SF)、早川書房、2014年6月刊.


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