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旧水戸街道を少しだけ歩いてみる 【一】

2021年11月09日 | ぼくのとうかつヒストリア
萬満寺から一里塚まで

馬橋(千葉県松戸市)の萬満寺(まんまんじ。臨済宗大徳寺派)と言えば、この地方では有名なお寺です。子供の頃から名前は聞いていたのですが、まだ行ったことはありません。
そこで、今回は萬満寺に出かけてみようと思いました。どうせなら、コロナ禍での運動不足解消のため、旧水戸街道を歩くことを考えてみたのでした。

ただし、寄る年波で脚力に自信がなくなっているので、現地までは電車で行き、帰り道を街道をなぞって歩くことにしました。萬満寺近くにある一里塚から向小金(むかいこがね)の一里塚までのおよそ4kmを基本コースに設定し、せっかくですから、途中で本土寺に寄って紅葉を眺めるオプションも考えました。
さて、欲張りハイブリッド・マイクロツーリズム。どうなることやら。


[1]


初めての旧街道歩きのスタートに選んだのは東京ベイ信用金庫馬橋支店。
ここは、江戸時代に栢日庵立砂(はくじつあんりゅうさ)こと大川平右衛門(生年不明~寛政11年(1799))が油屋を営んでいた場所です。

馬橋の油屋、大川立砂は商いの傍ら俳諧でも活躍し、その実力は東葛地方や江戸にも知られていました。特に、小林一茶(1763-1828)を父子共に庇護したことは有名です。
現在は、隅の標柱以外、当時を語るものは何もありませんが、ここで立砂と一茶は交流を深めていたのでした。


[2]


小林一茶には立砂をはじめ、流山の味醂醸造家秋元双樹(あきもとそうじゅ)など何人かの有力なパトロンとも言うべき人物がいました。東葛地方には今でも多くの一茶の句碑が見られます。
一茶は、親子ほど年の離れていた立砂を爺と呼んで慕っていたようです。藤沢周平の小説『一茶』にもその様子が描かれています。


[2a]


地名の由来となった馬橋。立砂の居宅跡からほど近い場所にあります。旧水戸街道の長津川に架かる橋が洪水でたびたび流されるので困っていたところ、鎌倉時代に忍性(良観上人。萬満寺の前身大日寺を開いた。)が馬の鞍の形の橋を架けさせたところ流失しなくなり、以後、馬橋と呼ばれるようになったということです。
現在の橋は昭和60年(1985)7月竣工。橋の形も川の姿も変わっています。
(この項は、2021/11/18追記)



[3]


大川立砂居宅跡から萬満寺までは数分の距離です。写真上は旧水戸街道の曲がり角に面して建つ萬満寺。初の対面です。
旧街道筋だけあって、通りには大きな構えの家が散見されます。


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萬満寺山門は屋根が立派です。右の鐘楼台(平成19年竣工)と仲良く羽を広げているようにも見えます。


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金剛力士像のある仁王門。無病息災を祈る仁王様の股くぐりが有名です。仁王像は作者不明ながら国指定重要文化財です。


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萬満寺の本堂はさらに大きく立派なものです。ご本尊は阿弥陀如来。
建長8年(1256)に千葉頼胤が真言宗の大日寺を開いたのが始まりとされます。康歴3年(1379)に臨済宗の萬満寺となったと言われます。


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大川立砂とその子、斗🈶(とゆう、生年不明~天保4年(1833))はともに一茶に対する支援を惜しみませんでした。立砂は俳諧を始めた頃の一茶と知り合い、その後には一茶に看取られたと言われます。萬満寺にある墓内に松戸史談会による碑と説明板が建てられています。

鍬かけて長閑にしたる榎かな 立砂
山ぶきや草にかくれて又そよぐ 斗🈶 (説明板より)


さて、江戸時代の俳諧の隆盛と社会を思いながら萬満寺を出ると、水戸街道は、しばらく、なだらかな登りになって国道6号線(現水戸街道)の八ヶ崎(はちがさき)交差点と出会います。

この辺りは江戸を望見できることから江戸見坂と言われたそうです。水戸方面から歩いてきた旅人はここで一息ついたのでしょう。


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旧水戸街道(画面右奥)から八ヶ崎交差点を渡って振り返った風景です。
中央が道しるべ、右手に進むと小金、柏方面。左側の横断歩道が見える道が印西道。旧水戸街道は右手の国道6号線としばらく重なります。


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八ヶ崎交差点角に建つ道しるべ。正面に「青面(しょうめん)金剛 左水戸街道」と刻まれています。右側は「総州葛飾郡馬橋村」、反対側には「文化三年丙寅冬十月如意日 呑印西道」(文化三年は1806年)。
江戸時代に道行く旅人を見つめた道しるべは、今は激しく行き交う自動車の流れを見つめています。


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道標から少し歩くと一里塚跡の標柱が立っています。水戸街道の一里塚があったとされる場所です。
説明には、「主要な街道に日本橋を起点として一里(約4km)ごとに塚を設け、里程や人馬賃銭の目安にした」などとあります。
次の一里塚は向小金の香取神社で、そこが今日のゴールです。



撮影日 2021/11/5
Nikon Z 6 / NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
改訂履歴 2021/11/18、写真 [2a] 及び説明を追加しました。



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