C E L L O L O G U E +

ようこそ、チェロローグ + へ!
いつまでたっても初心者のモノローグ
音楽や身の回りを気ままに綴っています

旧水戸街道を少しだけ歩いてみる 【二】

2021年11月11日 | ぼくのとうかつヒストリア
蘇羽鷹神社から小金宿へ

一里塚を過ぎてロードサイド店舗が途切れるとすぐに蘇羽鷹(そばたか)神社の大きな看板が見えてきます。ここは千葉氏ゆかりの神社です。敷地の半分は国道建設時に削られてしまいました。

[11]


萬満寺の元を開いたのが千葉頼胤(延応元年(1239)-建治元年(1275))ですが、この辺りに城を築いていたと言われています。頼胤は元寇のため応召され戦いますが負傷し、現地(肥前の小城)で没します。

神社のある台地は、二ツ木向台(ふたつぎむこうだい)遺跡と呼ばれます。縄文時代早期、前期の遺跡で貝塚でもあり、土器、石器などが出土しています。

辺りを見晴るかす高台は住むのにも戦略的にも都合がよかったのでしょう。縄文貝塚、中世城郭、神社が重なっていたとしても不思議ではありません。


神社下の交差点で6号線を渡り再び旧水戸街道に入ります。道は下って行き、武蔵野線のガードを潜ります。

[12]


旧街道はのたりのたりとした感じで続きます。写真は、和尚坂辺りで、いい感じのアンジュレーションです。旧道沿いには、一部に緑も残りますが住宅が密集しています。江戸の昔は山林と畑や田んぼで淋しい感じだったことでしょう。


そんなことを想像しながら歩いていると、意外と早く6号線と再会します。渡れば小金宿(上総町)に入ります。数軒おいて下町となります。

[13]


小金は水戸街道の宿場として栄えました。かつての小金宿は、いまは閑静な住宅街に変貌しています。


[14]


虚無僧寺一月寺跡は住宅街の中では異彩を放っています。
もともとは普化宗の寺がありましたが、普化宗が明治期に廃止されたため、萬満寺の管理などを経て、戦後、日蓮正宗に改宗、復興がなされたようです。


[15]


一月寺を後にすると顔を出すのが元旅篭、玉屋です。小金宿の名残りをとどめる唯一の建物と言えます。

[16]


玉屋は庇及び柱が歩道に出たままの往時の姿を見ることができます。街道を行く旅人や馬が似合いそうです。


そろそろ、日も傾きかけました。先を急ぎましょう。
その前に、忘れてはいけない久保平賀古墳(藤花塚公園)。玉屋から歩いて間もなくの場所にあります。


[17]


住宅街の中に忽然と現れる小さな円墳です。大木が茂っていて塚を守っているようですが、昭和初期の調査では特段の出土物はなかったそうです。


[18]


玉屋からしばらく歩くと東漸寺(とうぜんじ)があります。存在感があります。


[19]

東漸寺の広い境内。 中雀門から本堂を見たところです。


小金宿の通りを上り、JR常磐線北小金駅前の交差点に出ます。右に折れれば旧水戸街道の続き、直進すれば本土寺参道となります。

[20]


「右水戸道中」、「右水戸海道」、「八坂神社御跡地」の3基の石碑が建っています。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。