かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

真夜中のメル

2008年06月19日 | 今日のワタシ
コミュニケーションツールとして、メールは100%信頼していない。
日本人は特に小学生時代から「行間を読む」ことを教育されており、場合によっては筆者(この場合はメール差出人)の思惑とは違った、読み手本意の解釈をしてしまうことがあるからだ。
特に相手が憎からず思っている異性だったりする場合は要注意。
想像が妄想へと膨らんで、あらぬ方向へ発展してしまう恐れもある。
実はこれで失敗した経験アリ。

しかし同じメールでも、携帯メールの場合は少し状況が変わる。
短い文章を短い時間でやりとりすると、実際の会話に近い感覚が得られる。

夕べはなんとも気持ちの整理がつかず、ベッドに入ってから友人 I に携帯でメールした。
速やかに反応アリ。
まあ最初からそれを期待して、I を真夜中のカウンセラーとして選んだわけなのだけれど。
冗談交じりのおしゃべりで気を紛らわせてもらおう・・・そんな軽い気持ちのつもりだった。

ところが・・・
真夜中のカウンセリングは泣いたり怒ったりのバトルに発展。
結局二人合わせてやりとりしたメールの数は22通に及んだ。
眠気も加わって途中からは、いったい自分が何を悲しんでいるのか、誰に怒っているのか、自分でもわけがわからなくなった。

携帯の明かりが眠い目に痛いし、メールを打つのもうっとおしくなり、電話に切り替えようとも思ったが、I は電話恐怖症であることを思い出し、そのままメールで対戦。
おやすみと打った最後のメールは夜中の2時をすぎていた。

誉めたりおだてられたりしてもらおうという当初の企みはもろくも崩れ去り、夕べの痛いところを容赦なくついてくる I のメールは見事にワタシを打ちのめしてくれた。
けれど、ホンキで相手になってもらったからか、寝不足にはなったけれど、最後は
お互い友人であることに感謝を言い合って終了。

ツールはなんであれ、まっすぐな本気のコミュニケーションが、今最も欲しいもののひとつ。
















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嗚呼 | トップ | おばさんたち »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

今日のワタシ」カテゴリの最新記事