今になって この映画の 深淵なテーマ を 想ったりしています。
人は 誰でも 愛されたい
その愛は さまざまなものだけれど
まずは 自分を愛し
愛する人と出逢い
愛に満ちた感情で 生きて行きたい
けれども
案外にみな 不器用で
愛 というものの表現をしらない・・・
或いは 躊躇い(ためらい)を抱く
親子であっても
愛しているのに 裏腹に 子供を傷つけてしまうこともある
愛は 美しさと同時に 残酷さをも持ち合わせている
誰かを一途に 愛すれば愛するほどに
心配 や 不安 に 心が苛まれ
憎悪 や 嫌悪 という 感情を引き起こさせたりする
しかし 根底にあるのは 愛
愛したい
愛されたい
人は・・・弱い
弱いからこそ 人と寄り添いたい
弱った人に 手を差し伸べたい
それは!
自分の中にある 傷ついた感情 や 弱さが
人の心の痛みに同調するからだろう
吉永小百合 さん 演じるところの主人公は
小学校の教師 という
いかにも倫理的な人間性を求められる既婚女性
しかし
人は 世間的(社会的)な 顔の背後に
自己 というものを抱えている
理想的な小学校の女性教師だって
他人には話せない深い悩みはある。。。
この映画は その女性教師が 余命を宣告された夫の傍らで
夫に対する非力な愛に悩み
その夫は 自己の病状 と その死に対して 妻の介入を拒み
拒まれた彼女は 癒されない感情を 他の男性と共有する
いわば 不倫 ですけれども。。。
その妻の様子を 余命宣告をされた夫は
彼の愛情で 黙認する。。。。
しかも!
妻が寄り添った(不倫)相手は、傷ついた自殺願望者。。。
そんな彼が、 自分と夫が睦まじく買い物をする姿を見て
絶望した様子を悟り・・・、
いたたまれなくなって
深夜に 自転車を走らせる主人公(吉永小百合)
そこに
もしかしたら この映画の真髄が あったかも知れない。。。
矢も盾もたまらず という言葉そのままの心理を
あの 静かな 吉永小百合さんが演じたことに
意味があったのかも。。。
愛 と 憎悪
生 と 死
理性 と 本姓
人それぞれぞれに有するそれらの矛盾に対して
真摯に向き合って
いかに 自己を 許して 自分を愛することができるか
そのことは、
20年前の小学校の教え子が殺人を犯してしまった・・・
その背後には 愛 があって
過ちを犯してしまった彼に対して吉永小百合さんが
みんな あなたを好きだから
また 逢えるからね
と 呼びかけることによって
さらに
人のこころの泡沫(うたかた)さ を象徴し
愛 は 時には過失まで至らしめてしまうものだけれども
愛は・・・人には不可欠なもの
そんなことを 感じ取った 私でした。。。。
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