母校
小学校から始まり
中学校 ⇒ 高校 ⇒ 大学 と
かつて身を置いた学び舎を 「母校」 と呼ぶ。。。
きょうは、
息子の母校=高校時代について語ります
この度、
高校水泳部で長年 顧問を務められていた恩師が
「定年退職」をされる・・・ということで
OBをはじめ 多くの方々が集ってパーティが開かれる とのこと。。
それが 本日のこと!
懐かしぃです
息子が水泳を始めたのは、単なる基礎体力作りの一環!
しかも 週1しか通っていなかったので、
何度も
「もう一日増やしませんか?」
「選手コースに入りませんか?」
と SC(スイミングクラブ)からお誘いを受けたものの、
当時は、「競泳」という競技の世界に頓着がなくて
週2のコースに切り替えたのは、
息子が一人でも通える状況が整ってからのこと。。。
本人の意欲が出てきて 選手コースに通うようになったのは
小学校4~5年生の頃のことで、
そのころの競技大会を観戦していて気づいたことは、
「体型」の違い
同年の選手でも、そこに至るまでの練習量が異なるので
息子は未だ「競泳選手」の体型にはなっていなかった
それでも、
小6の時には県でトップになって しばらくは上位を占めていたので
所属SCのコーチたちの期待を集めてはいた
そういう時期があったからこそ。。。
SCの競泳選手コースで
毎朝(4:30スタート)の練習 ⇒ 登校 の利便性 を優先して
地元ではない SC近くの公立中学校に通うこととなり、
全中(全国中学校水泳競技大会)にも出場したのでした。。
さて、話は戻りまして
今回退職される高校水泳部の顧問の先生とは、
高校(=母校)水泳部へのお誘いを受けたことからのご縁でした。
中学校から高校へ・・・という進路は、
どの家庭の親子にも 様々な迷いがあるものです。
わが家としては、
「たまたま」と言っては不謹慎かもしれませんが・・・、
「水泳」を始めて「競泳」に転じたのも 「たまたま」のことであり
「始めた以上は、納得できる期間は継続する」という 原則の中で
「中高一貫」という概念が高まった時代の中で、
その期間を「競泳」に打ち込んできました
当然! やるからにはどの競技選手も高みを目指します!
息子も!
まず個人選手として 県大会 ⇒ 全国大会 を 目指していました。
それは! あの 萩野公介くん や 瀬戸大也くん他の
東京オリンピックを目指す競泳選手たちもまた、
当時はまったく同じ一選手でした。
息子の結果は、
団体での全国高校総体出場ではありますが、
その体験も 多くの人がしていることではなく、
母校の高校水泳部であったからこそ 体験させて頂けた結果です。
中学~高校を決めるまでの話に戻ります
息子の高校(私立)は 偏差値(Aランク)の高い進学校ですが、
陸上部 や 野球部 や 水泳部は、県下の上位(常勝チーム)レベル⤴
入部したい選手も多くいるものの、
「学業重視」であるために、入れない・・・という学校。。
部活動としても
有望な選手に入ってもらいたいけれど
「学業が満たされない」選手は取らない、という校風で有名。
ですから、息子が母校=高校水泳部に入れたのは、
中学時代、厳しい競技生活(4:30からの朝練)の中でも
中学生としての学校生活全般に手を抜かずに努力をした結果
そういう意味で、
中学校時代は さまざまな辛い思いを体験しましたが、
腐ることなく・・・、自分の意志で「文武両道」を貫いたからこそ
高校水泳部での体験に結び着いたのだ・・・と
親としては、息子を誇らしく感じる思い出の時代でもあります
学業があってこそ 母校水泳部に入るチャンスを勝ち取った!
そして
他の競技でも「文武両道」で高みを志す友人らとの出会いがあり
それぞれの大学に進んでも尚、
未だに刺激しあって交流できる友人にも恵まれた・・・と。
OBには 同じSCの先輩も多いので
きっと楽しい時間になることでしょう
息子の「母校」は 本当にすばらしい
※どこぞの大学体育会部とは違う(>_<)
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