表裏一体
二つのものの関係が、表と裏のように密接で切り離せないこと。
▽「表裏」はおもてとうら。
「一体」は一つのものの意。
表裏は同体で切り離すことができない関係にあること。
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「つかの間」の のんびり生活が終わる・・・と思う気持ちからか
矛盾する感情 を 実感しています(もとの日常へ。。。)
「矛盾」も いわば 「表裏一体」の感情です
日常というものは、さまざまな矛盾の連続。。。
子育ても・・・そうだったかなぁ と
子どもの成長を願う気持ち(期待) と 不安 は、常に表裏一体でした。。
親 と 子 の関係を思うとき、
「親」 という字は、
木の上に立って (遠くを)見る
その字の如く、
親というものは そうやって 子どもの先を眺めて行くものだ
・・・と 過去に、子育て中の先輩からお話を聞いて
私も心がけて来ましたけ・れ・ど。。。
その表裏一体として、「灯台下暗し」という事態に陥りやすい。。。
人生(進路)を 「山登り」に例えて
迷いに留まって一歩踏み出せない・・・というよりは、
とりあえず 何かを選択して
事が始まってからの 「期待 と 不安」 という
矛盾する感情を抱えながらも 前進することが大切
※よく 例)として出させて頂いている 息子の出身高校の教え
遠くにあるからこそ 全貌が見えているのであって
いざ 登ると決めてからは その山中に在って
見えなくなってしまうもの。。。
「親」が、
子供の先を案じる気持ちと
見失ってしまうもの (足元=子どもの本質)
という矛盾も 同様であるような気もします。。。
自分自身について振り返れば!?
自分が求めて来ているもの(=願い)は、
日々の 何気ない 日常生活 や 今日に至るまでの体験の中で
あらゆる場面で、手に入れていること(足元)に 気づかされました
「のんびりしたい」 と思えば、
たとえ「つかの間」でも のんびりできたし、
「のんびり」は「退屈」 という矛盾を感じ始めたころには、
「忙しい」といえども 「充実」した「日常」に戻る。。。
禍福は糾える縄の如し
これぞ! 究極の「表裏一体」です ね
※支離滅裂ですが・・・、
子どものころから、 単に「四字熟語」好きであり、
そこからの思考の展開 や
言葉に潜む「人としての知恵(=やがて辿りつく考え)」が好きなのです
それを難しく表現すると・・「哲学」と 言うらしいです
「哲学」は 日常生活から生まれた「知恵」の結集だと 私は思っています!
誰でも 辿りつける真理・・・だと。(ちなみに私は無宗教)
こういう日常的な問答は、子どものころからの習性(祖父母からの学び)です
あしからず
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