悲しみの城からの脱出

親からの呪縛から自分を解放するためのブログ

自分がされて嫌なことはやらない ー それ尊重になるの? ー

2024-12-07 18:00:00 | ひとりごと

 

 

最近、よく見かける言葉。

 

自分がされて嫌なことは

相手にもしない

 

ほんとに、相手を尊重

してることになるのか?

って、見かけるたびに

考えてしまう。

 

 

自分と相手の考えや価値観が

似てれば、これでいい。

でも、真逆の場合は?

自分は嫌ではないけど、相手は嫌。

こういう場合、ほんとに、尊重

してることにはならないのでは?

と考えてしまうことがよくある。

 

 

 

これは、碧音自身、少数派の

考えの持ち主だからだろう。

大体、そんなことくらいとか

神経質などと言われる。

そして、私の言った言葉に

傷ついた!!と言って責める

人もいるのである。

 

 

 

性質が悪い人は、私の母親と

同じように【可哀想な自分】を

演じることで周りに責め立て

させようとする人である。

ホント、めんどくささしか

感じない。

 

 

 

守ってくれそうな人に、

自分の言いたいことを言わせる。

言いたいことがあるなら、

自分の口で、自分の言葉で

自分の気持ちを言えよ!!って

言いたくなってしまう。

 

 

 

でも、そういう人は、私の母を

含めて、自分の言葉を持たない。

だから、代弁してくれる人が

必要なのだろう。

なぜなら、その方が楽だから。

私から責められるのは代弁者。

自分は仲良しのフリが

いくらでもできる。

 

 

 

正直、私は、自分の言葉を

持たない人が嫌いである。

誰かの言葉を借りないと

何も言えないなんて、

いい年した大人が情けない。

 

 

誰かの言葉の【誰か】とは、

有名人やインフルエンサーのこと。

言葉を丸パクリしてドヤ顔してる

人見ると、マイナス1,000℃

くらい気持ちが急速冷凍される。

どれだけ仲良かったとしてもだ。

そのくらい、そういう人が嫌い。

 

 

 

ここで、もう一度、先程の言葉

 

 

自分がされて嫌なことは

相手にもしない

 

 

自分がされて嫌なことを、

他人にやらせてる場合って、

どうなの?って話になる。

自分はやってないことに

なるので、自分は尊重してる

という言い分が成り立ちます。

 

 

 

いろんな意味でズルいし、卑怯。

周りの人たちは、自分が操られ

てるなんて1ミリも思ってない。

何人も代弁者がいれば、その数だけ、

それぞれの正義がある。

ここで一貫性というものが、一切、

なくなってくる。

所謂、感情論を叩きつけてくる。

 

 

 

私には、そういうことをする

人達が、相手を尊重してる

ようには全く見えないのだ。

全く違う価値観や考えが持つ

から、被害者を守りたいから

と言って、感情論で責めて

いいわけではない。

 

 

 

正直、そういう人に遭遇すると

辟易するし、相手にしたくない。

それでも、彼らは、相手を尊重

してるつもりなのだろう。

私には、ただの偽善者にしか

見えない。

綺麗ごと大好きな日本人らしい

と考える私も、相当、ひねくれてる

のかもしれない。


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