神様からご褒美がいっぱい頂けた話
斎藤一人さんの「幸せになる話」では普段から穏やかに楽しく愛を持ち
「幸せ楽しいツイテル」と言いながら生活していて
問題が起きてもその心はぶれることなく「良かった、勉強になった」とか言い続けていると
神様がご褒美をくれるというのです。
私はそんな体験をよくします。
一昨日、朝から色々ありました。出勤した家族が忘れ物をして戻ってきて
探し 私も探して「あめのみなかぬしさま」を唱えたら見つけてあげられて送り出した。
ほっとした。それから近くのリサイクル店に行きいつもは掘り出し物を見つけるのですが
その日は何も購入せず寄付〈不用品を無料で)だけして後にしたその後
先日の自転車がタイヤからまた空気が抜けていたので
今回は近くの個人営業の自転車さんへ向かった。するとおじいさんが何やら不満を言っている様子
店員さんが困ったように何度も説明しても同じことを繰り返しずっと文句を言ってるおじいさん
私も仕方なく待っていたが 暫くすると電話中だった他の店員さんが出てきて
「ぼけてるんですよ」とそのおじいさんの事を言っている、ぼけてしまったクレーマーなのか?
タイヤ交換との事で 時間がかかると「自転車お貸ししましょうか?」のお言葉に甘えて
借りて一度帰宅する事にした。が その電動自転車が慣れていないせいか段差で転んでしまった。
タイヤが横滑りして段差を超えられず滑って倒れて膝を打って手をついて
籠のバックの中から荷物が少し出てしまい 慌ててかたずけていたら男の人が私を心配そうに
見ている気配だったが 私が立ち上がったので通り過ぎていった。 恥ずかしい。
知人が後から声をかけてきた。
近くに住んでいる人なので会う事はあるのですが、私は笑いながら
自転車修理の代車で転んだことを話したら
「大丈夫~?」と、転んだのは見ていなかった様子
帰宅して怪我を見たら血が出ていた。タイツやジーンズ、厚手の服を着ていたので
これですんで助かった。「良かった良かった」と言いながら手当をして
手も何となく痛い、けど「大通り側に倒れなくて良かった、運が悪ければ事故に合ったかも知れないけれど
無事で良かった」と思い その後
自転車を取りに行くと 「先程のおじいさまは大丈夫でしたか?」と聞いてみたら
「勘違いしちゃってね~、大変です」とお会計をしようとしていたら電話が鳴る
店員さんはどうも自転車屋さんを継いでいる息子さんのようで電話に出ると
「今立て込んでいまして後で宜しいですか?」と言いますが相手は切らずに何やら話している
暫くして切ると「先程のおじいさんです」「噂をすれば、、大変ですね」「ハイ色々なお客様がいるので
でも新しい良いお客様を開拓にがんばります」と仰っていました。
娘が自転車を見てもらった時にそのお店はとても感じよく修理もしないのに
空気だけ入れさせて頂き「一カ月に一度くらいはは空気入れに来てもらうといいです」と声をかけてもらえてそうなので
私はその話を聞き 空気入れるだけ(無料)に親切なお店だと感じていたのです。
(先日のスーパーの中の自転車やさんの店員さんとはやはり感じが違う)
踏んだり蹴ったりの日だ と感じるところ、「いろんなことがあっておもしろい、でも良かった良かった
困ったお客様の対応に苦戦している自転車屋さんの息子さんとお話したことも
きっと今後のつながりになると思え 怪我も大したことなく、地域の自転車屋さんの苦労も
良い勉強になる と 一連の出来事を 少しもイライラしたり暗くならず学びとしてとらえていた
(昔なら「嫌になる,待たされて転んでツイてない」と言っていたに違いない。)
家族から午後には良い知らせが一報入り 夜にはまた良い知らせの追加と今日の出来事で
娘は良い事がたくさんあったと明るい未来の話が聞け 嬉しくなりました。
これは私が「斎藤一人さん【楽行】の修行通りに気持ちを持っていっているので
神様からご褒美がもらえたのだと思いました!
こんなことは年中起こります。 本当に試練の後の幸運という感じで
まさに奇跡は何度も連鎖するのです。私の道楽のような趣味のお仕事も何時になく大繁盛でした。
何があっても 暗くならず愚痴を言わず なんでも学び修行と捉え笑顔で
過ごす事は自分と周り幸運に結びつくというのは真実です。
ps、膝を擦り剥いたのなんて何年ぶりだろう、まだ今日も少し痛いけれど
これも「有難う、元気強気」(斎藤一人さん元気でいる方法)で完治も早い事でしょう。
~斎藤一人さんの楽行が呼び込む幸運の奇跡~
斎藤一人さんの「幸せになる話」では普段から穏やかに楽しく愛を持ち
「幸せ楽しいツイテル」と言いながら生活していて
問題が起きてもその心はぶれることなく「良かった、勉強になった」とか言い続けていると
神様がご褒美をくれるというのです。
私はそんな体験をよくします。
一昨日、朝から色々ありました。出勤した家族が忘れ物をして戻ってきて
探し 私も探して「あめのみなかぬしさま」を唱えたら見つけてあげられて送り出した。
ほっとした。それから近くのリサイクル店に行きいつもは掘り出し物を見つけるのですが
その日は何も購入せず寄付〈不用品を無料で)だけして後にしたその後
先日の自転車がタイヤからまた空気が抜けていたので
今回は近くの個人営業の自転車さんへ向かった。するとおじいさんが何やら不満を言っている様子
店員さんが困ったように何度も説明しても同じことを繰り返しずっと文句を言ってるおじいさん
私も仕方なく待っていたが 暫くすると電話中だった他の店員さんが出てきて
「ぼけてるんですよ」とそのおじいさんの事を言っている、ぼけてしまったクレーマーなのか?
タイヤ交換との事で 時間がかかると「自転車お貸ししましょうか?」のお言葉に甘えて
借りて一度帰宅する事にした。が その電動自転車が慣れていないせいか段差で転んでしまった。
タイヤが横滑りして段差を超えられず滑って倒れて膝を打って手をついて
籠のバックの中から荷物が少し出てしまい 慌ててかたずけていたら男の人が私を心配そうに
見ている気配だったが 私が立ち上がったので通り過ぎていった。 恥ずかしい。
知人が後から声をかけてきた。
近くに住んでいる人なので会う事はあるのですが、私は笑いながら
自転車修理の代車で転んだことを話したら
「大丈夫~?」と、転んだのは見ていなかった様子
帰宅して怪我を見たら血が出ていた。タイツやジーンズ、厚手の服を着ていたので
これですんで助かった。「良かった良かった」と言いながら手当をして
手も何となく痛い、けど「大通り側に倒れなくて良かった、運が悪ければ事故に合ったかも知れないけれど
無事で良かった」と思い その後
自転車を取りに行くと 「先程のおじいさまは大丈夫でしたか?」と聞いてみたら
「勘違いしちゃってね~、大変です」とお会計をしようとしていたら電話が鳴る
店員さんはどうも自転車屋さんを継いでいる息子さんのようで電話に出ると
「今立て込んでいまして後で宜しいですか?」と言いますが相手は切らずに何やら話している
暫くして切ると「先程のおじいさんです」「噂をすれば、、大変ですね」「ハイ色々なお客様がいるので
でも新しい良いお客様を開拓にがんばります」と仰っていました。
娘が自転車を見てもらった時にそのお店はとても感じよく修理もしないのに
空気だけ入れさせて頂き「一カ月に一度くらいはは空気入れに来てもらうといいです」と声をかけてもらえてそうなので
私はその話を聞き 空気入れるだけ(無料)に親切なお店だと感じていたのです。
(先日のスーパーの中の自転車やさんの店員さんとはやはり感じが違う)
踏んだり蹴ったりの日だ と感じるところ、「いろんなことがあっておもしろい、でも良かった良かった
困ったお客様の対応に苦戦している自転車屋さんの息子さんとお話したことも
きっと今後のつながりになると思え 怪我も大したことなく、地域の自転車屋さんの苦労も
良い勉強になる と 一連の出来事を 少しもイライラしたり暗くならず学びとしてとらえていた
(昔なら「嫌になる,待たされて転んでツイてない」と言っていたに違いない。)
家族から午後には良い知らせが一報入り 夜にはまた良い知らせの追加と今日の出来事で
娘は良い事がたくさんあったと明るい未来の話が聞け 嬉しくなりました。
これは私が「斎藤一人さん【楽行】の修行通りに気持ちを持っていっているので
神様からご褒美がもらえたのだと思いました!
こんなことは年中起こります。 本当に試練の後の幸運という感じで
まさに奇跡は何度も連鎖するのです。私の道楽のような趣味のお仕事も何時になく大繁盛でした。
何があっても 暗くならず愚痴を言わず なんでも学び修行と捉え笑顔で
過ごす事は自分と周り幸運に結びつくというのは真実です。
ps、膝を擦り剥いたのなんて何年ぶりだろう、まだ今日も少し痛いけれど
これも「有難う、元気強気」(斎藤一人さん元気でいる方法)で完治も早い事でしょう。
~斎藤一人さんの楽行が呼び込む幸運の奇跡~