「言われて嫌な事を言ってはいけないと分かる事も悟り」だと斎藤一人さんがお話されていました
言われた方は気にしても傷つけた本人はちっとも気にしてなんかいないという事
人を注意するにしても言い方ひとつで印象は変わるものだと思いました
例えば皆の前でなじる等、いくら正しくてもちょっと配慮が欠ける人は愛のない人に見えます
人生そんな生優しいいもんじゃない。(スパルタと言うのか?)という部分も
あるかと思いますが確かに斎藤一人さんの仰る通り 人に対して優しく接する事ができる人
優しい物言いのできる心配りができる人の方が断然
幸せになれ、神から守られ幸運に恵まれるのだという気がしています。
人のことをなじったり罵倒する人は自分もそういう目に合うと思います(学び)
はたまた 自分が罵倒されてきたから人にも仕返ししているのか?
魂年齢の高い人は自分が嫌な思いをしたら人にはしない、という考えになるのに対して
魂年齢の低い人は自分がされて嫌な事を人にもして仕返しするような思いになるのでしょうか
それでは悪循環になるのだと思います。
最近、優しい人だと思っていた方が気に入らぬことがあると意外にきつい
言動をする(もう少し違う言い方があるのでは?と感じ)ところがあると知り
普通に見える人〈普段と違う一面を見て)にも
盲点はあるんだと、気を付けたいと思いました。
些細な事ですが、その方の幸せに関してもきっと影響があるのでは?? なんて
きっとその方は誰かに指摘されない限り気が付かないのだと感じましたが
もしかしたら知る人ぞ知りその界隈では噂さになっているのかも知れない、と感じました。
何時でも人の心を明るくする人でいることで自分の幸せも約束され神に守ってもらえるように
なるので 人の心を暗くする人傷つける人になっている可能性がないように注意が必要だと。
普通の人の普通の言動が少し気になった話で
人のふり見て我がふり直せ という感じでした。