月の神さま。
例年より早い盛夏模様でございます。お月見の中秋の訪れが恋しい季節、さて、今回はお月様の神様について。
昨今の日本ではローマ神話のルナや、英語読みでポール・アンカの歌でポピュラーなダイアナ(ラテン語ではディアーナ)。ギリシャ神話のアルテミスなどの女神が思い浮かぶかもしれません。
ただ、世界的な神話世界では、男女ほぼ半々のような気がします。男神としてはエジプトのホルスやトート、北欧のマーニ、シュメールのナンナ。そして南米のインカやマヤでも有力な男神となっており、日本では天照、素戔嗚と並ぶ3貴子の一柱月読も男神となります。
地域的には中東では未だに月は神聖なシンボルであり、男神が多いような気がしますが、地中海の古代先進世界では女神が多いようにも感じます。
まあ砂漠地帯では太陽は過酷な天体であり、夜の方がはるかに過ごしやすかったし、穀倉地帯では太陽の恵みが穀物なり、野菜なりの発育に必要だったということに起因しているのかもしれませんね。
月は地球から最も近い天体(平均で38万4400㎞:近地点で34万5410km、遠地点では40万6700㎞)であり、これは地球の直径の約30倍に過ぎず、例えば人が肩車して(1.4mづつ)も2億6600万人で届く距離でしかありません。
太陽系の衛星としては6番目の直径ではありますが、母惑星との比率の比較では、最も大きな衛星となります。直径は地球の1/4ですが、質量的には1/18となり、密度としては水の3.34倍と軽めの天体となります。
しかしデータは兎も角、夜空に輝くその圧倒的な存在感と、満ち欠けを繰り返す神秘性、そして海面の潮の干満の原因として、太陽と双璧をなす信仰の対象であることは、古代のどの地域でも間違いはありません。
晴れた夜明けの草原の露も月にかかわるものと古代は信じられ、水をもたらすものとして更に満ち欠けが定期的であることから、農事の暦として作神(農耕神)としての役割を担い、女性の月経や妊娠に関わる存在としても各地に共通した神話をものしています。
さて、古代ギリシャ神話。一括りにできない部分(地方による)はあるにせよ、実はアルテミスはその双子の兄(弟の説もあり)アポロンが太陽神そのものではないように、月神そのものではありません。セレーネが元々月そのものの女神であり、またローマ神話のルナと同一視されたヒューペリオンとティアーの娘(ヘシオドス『神統記』によれば)とされます。銀の馬車に乗り夜空を柔らかな月光を放ちながら駆け巡る美しい神であり、ゼウスとの間に幾柱かの子をなしています。
いま一柱はペルセースとアステリアの娘で、アルテミスの従姉妹であるヘカテも、月の女神とされます。どちらかといえば新月や闇夜の側面を代表するともいわれますが、冥界を表象する女神でもあります。
対してアルテミス。前述の如くアポロンの双子の妹(姉とも)とされますが、元々はギリシャの先住民の信仰を、取り入れた狩猟と貞潔の女神です。
アポロンが金色の馬車で空を駆け巡る太陽神ヘーリオスと同一視された如く、アルテミスもセレネーやヘカテーと同一視され、月の女神とされます。
性格はギリシャの神様特有の苛烈さをもち、神話の中では水浴び姿を見られただけで、鹿に代えられ狩りに連れてきていた、犬に引き裂かれて死んだアクタイオーン伝説。また、冬の夜空を彩るオリオン伝説もアルテミスの物語となります。
水仙になったナルキッソスも、かわいがっていたニンフのエコーが彼に冷たくされて、こだまになってしまったために、水に映る己の姿に恋をしてしまい、衰弱死してしまうナルシストの語源となった物語も、アルテミスの怒りによるものです。
従っていたニンフがゼウス(アルテミスの父)により処女性を失ったことにより、雌熊に代えられた大熊座・こぐま座伝説など、相当に怖い女神様であり、人身御供を要求する神としても有名です。
さて、ギリシャの女神たちや、その他の月神達のことはさておき。
日本の神話に登場する月神は、黄泉の国から戻った伊弉諾尊が禊をした際に、左目を洗ったときに誕生したのが、天照大御神。右目からは月読神、そして鼻からは素戔嗚尊と古事記に記されております。
ご承知のように、天照は天皇家の祖として、素戔嗚は高天原で大活躍(?)後、八岐大蛇伝説などで古事記のメインキャストの一柱となります。
が、月読の記述は夜の世界を任されただけで、その後は一切古事記には出て参りません。
基本的に国家的な性格を持つ記紀の神話に、ある意味純粋な自然神であるツクヨミが活躍するはずもないのですが、書紀にはいくつかの記事があります。
まずは日月神の誕生について、書紀の本文では伊弉諾の禊に際してではなく、国生みの後に日月が高天原の主神として誕生し、そののちに蛭子が生まれたとされています。
次に古事記では素戔嗚のエピソードとして語られる、食物神の殺害とその体から発生した農耕と殖蚕の起源に関するものです。一方で食物神(ウケモチの神)殺害による、天照の激怒と絶交によった日月二神の昼夜別離の起源を示した自然神話でもあります。
更に食物神の元に月神が訪れ、その接待が悪いと切り殺すことは、月神の祭り方が悪ければ、神罰を与えるという古代信仰に基づくという説もあります。
ついでに古事記による素戔嗚の食物神のエピソードでは、素戔嗚が高天原で暴れ、天岩戸伝説後に追放されたのちに、四国の阿波にてオオゲツヒメに食を請うたところ、鼻・口・尻から種々の食物を出し献じたところを、素戔嗚が見て穢ないものを献じたと怒り、切り殺したということになっています。
元々月と農耕には世界的な古代信仰として結びつきが強く、農耕に不可欠な水として、露が夜中に発生することが月によるものと信じられたこともあり、月読の食物神殺害と穀物の起源や日月神の昼夜分裂というほうが、スムーズでもあり古くからの形を残していると思われます。
さて、書紀に登場する月読のさらなる記述として、神功皇后の出兵に際し後に八幡さまとなる誉田別命妊娠に臨月を延期するために祭主として祈ったところ、月神が神石を示し「この石にて皇后の腹をなで心を鎮めよ」との神託があり、出産を遅らせたとの記述。
後にこの石は鎮懐石(月延石とも)と呼ばれ、筑紫にて雷により三分し、京都の月読社、壱岐の月読社、福岡県糸島市の鎮懐石八幡宮に奉納されたとされます。
時代は前後するかもしれませんが、西暦487年。遣任那使である阿閉臣事代が途上で「私は月神である。私を山城に祀れば国中が幸せになる」との神託があり、帰朝後報告し勅命により壱岐より県主である押見宿祢をもって、上記の現京都市西京区の松尾大社そばに祀ったことが記されています。
上記のように、月読の本来の鎮座地は壱岐だといわれています。
元々は海洋民族と推定される壱岐氏が北九州から朝鮮半島航路の安全を祈るために、壱岐に祀ったのが月読神社とされ、日本最古の神社の一つとされています。
前述のように、月が海の汐の干満と結びついているという観想が、月神による海の支配という信仰を発達させたのでしょう。
さて、壱岐と山城(京都)以外の月読を祀る神社は、天照の鎮座している伊勢の内宮別宮に月読神社、外宮の別宮として月夜見神社の2社があります。内宮の月読神社は月読の和魂(にぎみたま)、外宮のそれは月読の荒魂(あらみたま)とされます。
壱岐との関連は不明ですが、単に月読が天照の弟というだけではなく、伊勢の海人である磯部(いそべ)の信仰していた神で一様に海の民の信仰であったのかもしれません。
更に月読を主神とするのは、出羽三山の月山神社であります。
月山は元々修験道を中心とした山岳信仰の地であり、室町期までは八幡大菩薩が当地の神とされていましたが、神仏習合により八幡神の本地仏は阿弥陀如と考えられるようになり、これが更に月読になぞられたようです。
もうひとつ延喜式の式内大社の月読神社が京田辺市にあります。元々は平城京にあり、大同年間(800年頃)に平安京に社殿を遷した際に大住山において霊光を拝し、この地に社殿を建立したとの社伝がありますが、この大住という地名は元々鹿児島の大隅からきているようです。
奈良時代に帰化人や隼人と呼ばれた人々を国内各地に分散した政策があります。これは別稿で改めますが、この京田辺市の大住も大隅隼人の移住先であり、地名の語源はこの大住隼人からきています。
元々隼人には月に対する信仰があったようで、鹿児島にはいくつかの月読を主神とした神社が散見されます。8月15日(旧暦)の祭りにもそれは残っているようです。
古事記の海彦山彦のエピソードには山彦が皇室の先祖という表記と合わせて、海彦が隼人の先祖という記述があります。
そしてこの大住の月読神社が隼人舞の発祥地という伝承があり、いまでも10月の例大祭ではこの舞が奉納されています。従って社伝の平城京からの遷移というより、むしろ大隅隼人が移住させられた時に月読神社をかの地にもたらしたと考えるほうが良いのかもしれません。
因みに隼人舞は海でおぼれている海彦を山彦が救い、服従を誓う訳ですが、この海彦がおぼれている様子を演舞したとされています。
この隼人舞は宮中での重要行事に際し演舞され、今上陛下即位後の大嘗祭でも舞われていた筈のものです。