スロバキア、タトラ山脈の麓より

スロバキア人の夫と2人の娘と私の生活
(当ブログに掲載している文章や画像など、無断転載することはご遠慮ください)

こんな私が就職できた理由

2017-02-16 | スロバキア2017
子供たちが幼稚園に通い始めたら仕事に就くことが私の目標でした。スロバキア人でも就職難なこの環境で外国人の私が現地で会社勤めは無理だと決めつけ、頭に思い描いている道はいくつかありましたが、運良く、本当に運良くひょんなきっかけで仕事に就くことができました。この偶然のきっかけがなかったら果たして自営以外で私に就職の道があったか。

スロバキアで再就職を考えたとき身にしみて感じることがありました。まぁ、仕事を始めた今もそうなのですが。それは明確な目標を持って進路を決めるべきだった。学生の頃に少し憧れたことのある仕事に今携わることができ、それは嬉しいことなのですが、全く知識のないことで、大学でこれを勉強していたら今ここで役に立っただろうにと思うばかりです。

日本だと特に女性には「一般職」という枠があり、この一般職だと特に大学で専攻したことと就いた職種が全く関係ないことってよくありますよね。私もその一人です。大学進学までに海外で仕事をしたいと漠然とした思いはあったものの、「では何をしたいか」、はっきりと将来像が描けず、ただ興味のあった社会科学を専攻、それでも興味のある分野だっただけあり、人生で一番勉強が楽しいと思える幸せな4年間でした。ただし、教養を身につけるだけの大学生活、卒業したからと言って資格もなければ専門知識も特になく、就職活動も全くせず、大学の就職課のお世話になり、学校推薦で就いた仕事は建設業の経理の仕事。簿記の知識は全くなく、建設業にも経理にももちろん興味は全くない、それでもしてみたらできないこともなく、結局「経験を活かし」次の転職先でも経理の仕事に就きました。

けれどもここスロバキアで社会復帰を意識し始めた時(他の外国でも同じだと思うのですが)、言葉の壁ももちろんありますが、それ以上に資格も手に職もない私、日本のように「経験」だけでまた同じように簡単にどこかの会社の経理の仕事に就けるわけもなく、若かりし頃にもっと明確な目標を持って進路を決めれば良かったと特に感じました。そして更に言うなら大卒と言えば院卒が当然で学士などほとんど持っていても無意味なスロバキア、経済的な理由、努力不足、理由は色々ありましたが無理をしてでも大学院へ行っておけば良かったな、とこれもまた感じます。

そう言いながらも結果的にあれこれ考えている内に運よく無理だと思った現地の会社に正社員として勤務できたわけですが。

ただ、私にこのような機会が巡ってきたのもそう奇跡的なことでもないようです。

≪こんな私でも就職できたわけ≫
スロバキアはスロバキア人でさえ就職難ですが、一方で企業も人材不足に悩まされています。一瞬この矛盾に「え?」と思われるでしょうが、今スロバキアの抱える問題に優秀な人材の国外流出があります。過去15年で、30万人ものスロバキア人、それも多くは30歳以下の大卒の人たちがスロバキアを離れているそうです。そのほとんどはスロバキア東部(極東)出身だとも。私の住む地域はまさにそのスロバキア東部にあたります。そこでスロバキア語もろくにできない私にも働くチャンスが巡ってきたわけです。

現在も年1万5千人のスロバキア人が国外へ出て行っているそうです。私たちのように数年で帰ってくる人もいるのでしょうが、むしろ私たちは稀なケースでこの辺り、知人や近所を見ても西側諸国で暮らす若い世代の人たちは多いように感じます。

これはスロバキアにとって深刻な社会問題だと思うのですが、ただ、一方で私には好機となったわけですね。

参照: https://spectator.sme.sk/c/20458417/more-people-leave-slovakia-than-arrive.html

post a comment