□本日落語三席。
◆桂三枝(六代文枝)「文句の叫び」(NHK-Eテレ『日本の話芸』)。
NHK大阪ホール、令和5(2023)年1月12日収録(第432回「NHK上方落語の会」)。
◆笑福亭羽光「あるある帝国」(NHKラジオ第一『真打ち競演』)。
三重県多気町BANKYO文化会館、令和5(2023)年2月17日※3月11日OA。
◆三代目桂文我「日和違い」(日本文化チャンネル桜『落語動画』)。
※公演情報不明。
ネットでちょっとめずらしいネタさがしである。これは別に初めて聞くわけではない。ただ、2011年以後だと、瀧川鯉昇でしか聞いていなかった。上方落語での「日和違い」はどんなもんだったかなと思ったのである。
ちなみに、2010年以前を検索すると、やはり三代目桂文我の音源が二件出てきた。しかも、両方ともにNHKラジオ第一『ラジオ名人寄席』からのものである。一つは2007年7月、もう一つは2005年9月。前者は「NHK上方落語の会」という公演情報がある。後者は公演情報なし。どちらにしても、その当時の公演でなく、ずいぶんと古い時代の音源だろう。
今回聞いたものは、客数数十人といった小規模の会場のように聞こえた。
この落語は、ものの言いよう聞きようで理解のしかたが異なるということを眼目としている。
以前に瀧川鯉昇で聞いたものは、ほぼ標準語の東京言葉だから理解しやすかったと思うが、今回のようにちょっと古い大阪弁だと、最近の人たちにはわかりにくいところが多々あるのではないだろうか。
とくに、落げに至るところで、魚屋に天気を尋ねるところ。「今日は降りかなあ、……今日は大降りかなあ」と男が聞くと、魚屋は「大鰤はないけど鰆ならあるがなあ。鰆切ろうか」と答える。そして、さらに男が「あほらしうもない。俵着るほど降りゃしょまい」で落げである。
「鰆切る」に対する「俵着る」の地口がわかるかどうか。それと、最後の「降らないだろう」を意味する「降りゃしょまい」の大阪弁はちょっと今では通じないんじゃないだろうか。
こういった古い大阪弁どおりではわかりにくいところが、演者によって敬遠されているのだろうか。だとしたら、ちょっともったいない。
東京落語でも演じられているくらいだったら、今風の大阪弁で演じることも可能なんじゃないだろうか。誰かそんなふうに作りかえて、上方落語としての「日和違い」を再生してほしいものだ。
なお、桂枝雀が作りかえた「日和違い」というのもあるにはあるが、こちらはちょっと独特の枝雀ワールドを醸し出した「日和違い」である。これはこれとして枝雀落語を楽しむものとして存在していればよい。
◆桂三枝(六代文枝)「文句の叫び」(NHK-Eテレ『日本の話芸』)。
NHK大阪ホール、令和5(2023)年1月12日収録(第432回「NHK上方落語の会」)。
◆笑福亭羽光「あるある帝国」(NHKラジオ第一『真打ち競演』)。
三重県多気町BANKYO文化会館、令和5(2023)年2月17日※3月11日OA。
◆三代目桂文我「日和違い」(日本文化チャンネル桜『落語動画』)。
※公演情報不明。
ネットでちょっとめずらしいネタさがしである。これは別に初めて聞くわけではない。ただ、2011年以後だと、瀧川鯉昇でしか聞いていなかった。上方落語での「日和違い」はどんなもんだったかなと思ったのである。
ちなみに、2010年以前を検索すると、やはり三代目桂文我の音源が二件出てきた。しかも、両方ともにNHKラジオ第一『ラジオ名人寄席』からのものである。一つは2007年7月、もう一つは2005年9月。前者は「NHK上方落語の会」という公演情報がある。後者は公演情報なし。どちらにしても、その当時の公演でなく、ずいぶんと古い時代の音源だろう。
今回聞いたものは、客数数十人といった小規模の会場のように聞こえた。
この落語は、ものの言いよう聞きようで理解のしかたが異なるということを眼目としている。
以前に瀧川鯉昇で聞いたものは、ほぼ標準語の東京言葉だから理解しやすかったと思うが、今回のようにちょっと古い大阪弁だと、最近の人たちにはわかりにくいところが多々あるのではないだろうか。
とくに、落げに至るところで、魚屋に天気を尋ねるところ。「今日は降りかなあ、……今日は大降りかなあ」と男が聞くと、魚屋は「大鰤はないけど鰆ならあるがなあ。鰆切ろうか」と答える。そして、さらに男が「あほらしうもない。俵着るほど降りゃしょまい」で落げである。
「鰆切る」に対する「俵着る」の地口がわかるかどうか。それと、最後の「降らないだろう」を意味する「降りゃしょまい」の大阪弁はちょっと今では通じないんじゃないだろうか。
こういった古い大阪弁どおりではわかりにくいところが、演者によって敬遠されているのだろうか。だとしたら、ちょっともったいない。
東京落語でも演じられているくらいだったら、今風の大阪弁で演じることも可能なんじゃないだろうか。誰かそんなふうに作りかえて、上方落語としての「日和違い」を再生してほしいものだ。
なお、桂枝雀が作りかえた「日和違い」というのもあるにはあるが、こちらはちょっと独特の枝雀ワールドを醸し出した「日和違い」である。これはこれとして枝雀落語を楽しむものとして存在していればよい。