明治・大正時代・・いやもっと古い江戸時代、いやいやもっと大昔・・・人々の生活は色々手のかかることが多かった。
例えば、朝起きて顔を洗おうと思っても、キュッとキッチンで蛇口をひねればお湯が出る現代とは違い、まず川に行って水を汲まなくてはいけない。
昨日のうちに何か食べ物を確保していなくては朝ごはんはない。
毎日手間をかけて野菜を栽培し、干して保存できなければ、冬になったら野菜は手に入らない日が何ヶ月も続く。
運よく獣を捕まえてもしかり。冷凍庫などなかった時代は、保存用に手間をかけて干し肉を作らなければすぐ腐ってしまう。
洗濯も毎日なんて出来ない。手で洗うのはすごい重労働だったことだろう。もちろんすぐには乾かない。
料理はまず火起しから。
掃除はホウキ作りから。
健康についても。
お産は病院がないから一人で産む。死ぬかもしれない。
お乳が出なければ、もちろん粉ミルクもない・・それだけで子を失う。
怪我をしても救急車は来ない。
生きていくことにとても手間をかけ、時間をかけていた。
しかし、現代は違う。
何時間もかけてやっていた洗濯は、スイッチポンで自動洗濯。ついでに乾燥。
冷凍食品や出来合いの食品が、24時間いつでもどこでもコンビニに行けば手に入る。
買ってきてから、お鍋で温めなおす必要もない。電子レンジでチン。
会議の書類だって、いちいち人数分手書きしなくったって、印刷すれば何百人分だってOKだ。
遠くの図書館に行かなくたって、パソコンを開けば何でも情報は検索できる。
掃除はルンバ。留守の間にホコリはサッパリきれいに。
会議は社員が会議室に集合しなくても、世界各国からネットで繋がったメンバーがそこにいながらにして話し合える。
用事があればどこからでも、例えば富士山のテッペンにいてもママに電話ができる。
すごい。すごいことだ。便利になった。かなりの時間が短縮されて、人間の生活はとても余裕が出来、人々は楽になる・・・はずだった・・・。
そう。楽になる予定だった。
「便利になって、時間に余裕が出来、豊かな生活を手に入れることができる」予定だったのだ。
しかし現実は・・・。
ご覧のとおり。
作業時間が短くなって余った時間を、人間は違う作業をする時間に当ててしまった。
労働時間が短くはならなかった。
家の家事が便利になって、短い時間で出来るようになった分、主婦はその時間を豊かに過ごす為ではなく、他の仕事をする時間に当ててしまったのだ。お母さんたちは外で働き始めた。
はじめは女性の社会進出、生きがい、などと前向きな流れではあったが、みんなが働き始めればそれが当たり前になり、働きたくなくても働かないと家計を支えられなくなってしまった。
50年前は大黒柱が働いていれば、女性が働きに出なくっても、子供を育て、教育し、家を買うことが出来る収入が十分男性1人にあった。
しかし、今はサラリーマンの普通の収入では希望の土地に家は買えない。子供を何人も産めない。
子育てに集中したいのだ、と思う女性までもが、いやでも働きに出なくてはならない。
・・ということは生活に必要なお金は、以前は1人分の収入でまかなえたのに、いまや2人の収入がなければやっていけないのか?
いや、夫婦二人どころではない。家を買うとき、結婚式を挙げるときなど、そのほとんどが親からの援助がある場合が多い。・・ということは、二人だけでは足りず、その親の収入も当てにあされているということだ。
・・・・最悪ではないか。ちっとも豊かになどなっていない。便利になどなっていないのだ。
会社でもそうだ。
パソコンで何でもできる、便利になって時間も短縮・・・のはずだった。
しかし現実では、さっとメモ書きすればよいことまで書類を作ることが求められたり、パソコンから何万人もの顧客データが盗まれたり、高額な不正引き出しの被害にあったり、はたまた色々な想像もできなかった犯罪の温床になってしまったり、その対応に莫大な時間が費やされている。
データで保存していて藻安心はできない。
結局は印刷してファイルになって棚を埋め尽くすことになったりしている。
ちょっとのコンピュータートラブルで、大都市がばったり停電になったり、電車が衝突したり、思わぬ時間を食っている。
パソコンやコンピューターの出現で、仕事が速くなり勤務時間が8時間から5時間になり、空いた時間を趣味などに使える、そうなったら、本当に便利だといえるが、実際にはその空いた時間で違う仕事をするようになった。
仕事量は倍に増え、でも賃金はかわらないどころか、50年前とは違い、妻を働き手にして、親から援助を受けなければ家も買えないのだ。
どう思う?この生活レベルの悪化。出費レベルの膨張。
「生活が便利になる家電」はいくら作っても便利にはならない。無意味だ。
結局人間は空いた時間を働き続ける。生活の出費は時代とともにどんどん増えるように出来ていて、どんどん出費するようになっただけだ。
医療も進歩し、生きながらえて寿命が延びた分、その間ずっと出費する時間を延ばしているだけだ。
生活を豊かにする便利な家電なんか幻だ。
例えば、朝起きて顔を洗おうと思っても、キュッとキッチンで蛇口をひねればお湯が出る現代とは違い、まず川に行って水を汲まなくてはいけない。
昨日のうちに何か食べ物を確保していなくては朝ごはんはない。
毎日手間をかけて野菜を栽培し、干して保存できなければ、冬になったら野菜は手に入らない日が何ヶ月も続く。
運よく獣を捕まえてもしかり。冷凍庫などなかった時代は、保存用に手間をかけて干し肉を作らなければすぐ腐ってしまう。
洗濯も毎日なんて出来ない。手で洗うのはすごい重労働だったことだろう。もちろんすぐには乾かない。
料理はまず火起しから。
掃除はホウキ作りから。
健康についても。
お産は病院がないから一人で産む。死ぬかもしれない。
お乳が出なければ、もちろん粉ミルクもない・・それだけで子を失う。
怪我をしても救急車は来ない。
生きていくことにとても手間をかけ、時間をかけていた。
しかし、現代は違う。
何時間もかけてやっていた洗濯は、スイッチポンで自動洗濯。ついでに乾燥。
冷凍食品や出来合いの食品が、24時間いつでもどこでもコンビニに行けば手に入る。
買ってきてから、お鍋で温めなおす必要もない。電子レンジでチン。
会議の書類だって、いちいち人数分手書きしなくったって、印刷すれば何百人分だってOKだ。
遠くの図書館に行かなくたって、パソコンを開けば何でも情報は検索できる。
掃除はルンバ。留守の間にホコリはサッパリきれいに。
会議は社員が会議室に集合しなくても、世界各国からネットで繋がったメンバーがそこにいながらにして話し合える。
用事があればどこからでも、例えば富士山のテッペンにいてもママに電話ができる。
すごい。すごいことだ。便利になった。かなりの時間が短縮されて、人間の生活はとても余裕が出来、人々は楽になる・・・はずだった・・・。
そう。楽になる予定だった。
「便利になって、時間に余裕が出来、豊かな生活を手に入れることができる」予定だったのだ。
しかし現実は・・・。
ご覧のとおり。
作業時間が短くなって余った時間を、人間は違う作業をする時間に当ててしまった。
労働時間が短くはならなかった。
家の家事が便利になって、短い時間で出来るようになった分、主婦はその時間を豊かに過ごす為ではなく、他の仕事をする時間に当ててしまったのだ。お母さんたちは外で働き始めた。
はじめは女性の社会進出、生きがい、などと前向きな流れではあったが、みんなが働き始めればそれが当たり前になり、働きたくなくても働かないと家計を支えられなくなってしまった。
50年前は大黒柱が働いていれば、女性が働きに出なくっても、子供を育て、教育し、家を買うことが出来る収入が十分男性1人にあった。
しかし、今はサラリーマンの普通の収入では希望の土地に家は買えない。子供を何人も産めない。
子育てに集中したいのだ、と思う女性までもが、いやでも働きに出なくてはならない。
・・ということは生活に必要なお金は、以前は1人分の収入でまかなえたのに、いまや2人の収入がなければやっていけないのか?
いや、夫婦二人どころではない。家を買うとき、結婚式を挙げるときなど、そのほとんどが親からの援助がある場合が多い。・・ということは、二人だけでは足りず、その親の収入も当てにあされているということだ。
・・・・最悪ではないか。ちっとも豊かになどなっていない。便利になどなっていないのだ。
会社でもそうだ。
パソコンで何でもできる、便利になって時間も短縮・・・のはずだった。
しかし現実では、さっとメモ書きすればよいことまで書類を作ることが求められたり、パソコンから何万人もの顧客データが盗まれたり、高額な不正引き出しの被害にあったり、はたまた色々な想像もできなかった犯罪の温床になってしまったり、その対応に莫大な時間が費やされている。
データで保存していて藻安心はできない。
結局は印刷してファイルになって棚を埋め尽くすことになったりしている。
ちょっとのコンピュータートラブルで、大都市がばったり停電になったり、電車が衝突したり、思わぬ時間を食っている。
パソコンやコンピューターの出現で、仕事が速くなり勤務時間が8時間から5時間になり、空いた時間を趣味などに使える、そうなったら、本当に便利だといえるが、実際にはその空いた時間で違う仕事をするようになった。
仕事量は倍に増え、でも賃金はかわらないどころか、50年前とは違い、妻を働き手にして、親から援助を受けなければ家も買えないのだ。
どう思う?この生活レベルの悪化。出費レベルの膨張。
「生活が便利になる家電」はいくら作っても便利にはならない。無意味だ。
結局人間は空いた時間を働き続ける。生活の出費は時代とともにどんどん増えるように出来ていて、どんどん出費するようになっただけだ。
医療も進歩し、生きながらえて寿命が延びた分、その間ずっと出費する時間を延ばしているだけだ。
生活を豊かにする便利な家電なんか幻だ。
高額な医療費は、払うのも苦しいし、病気と闘うのはもっと苦しい!!
抵抗しないで、いざとなったら、死ぬよ!
周りの負担を考えたら、それが一番良い手段だと思う。
それまでは、私は便利な家電にドップリお世話になるかも(*^-^*)
パソコンや、掃除機、洗濯機などはなくてもいいけど、
今更、井戸汲み、火お越しはできないしね・・・本音也