まだ頭がボーとしている。
こんなときは茶漬けにしてもらっている。
鮭茶漬の素をいれて熱いお茶をかける。
冷蔵庫に入っている保存食、蕗の佃煮、大根の酢漬け、胡瓜のキムチ、そしてチリメンジャコと梅干を出すとそれで朝食を済ませて出て行く。りんご2分の1も出しておく。
私も一緒に朝食、パン1枚にレーズンのトースト、野菜ジュースに黄粉牛乳にりんご2分の1.を食べる。
洗濯をしたりして簡単に家事を済ませてパソコンの前にすわった。
連日忙しくて私のブログはいつも短い。今日は少し書かなければと思ってパソコンの前に座ると「四天王寺ワッソ」の連載が気になる。
今日は夕方4時の仕事だができない。外出の支度でできない。
朝から朝寝をしたいが四天王寺ワッソの連載が気になる。
保存の原稿、何回か分けての連載、ワードを出して次の分を貼り付けた。
このままおいて朝寝しょうと思うがパソコンのキーを叩いている。
結局仕上げていく。
あれこれと創設者の思いが伝わってくる。できる限り知っていることは紹介しておこう。多少、文章が重複するところみもあるが誤解や勘違いがあってはこの連載をしている意味がない。
皆さんに申し上げたい。
創案者に対して賛否両論、敵・味方もあるかもしれないで机上の論理では何も理解が生まれてこない。
やはり裏方の人の仕事の現場を見ることでこの祭の意気込みと創案者の無念の思いが伝わってくる。
少なくとも韓日問わずマスコミに関わるものは1度、裏方の仕事を見てみるものだと思った。
私は裏方の仕事、倉庫の見学を通して創案者から受け継がれて今、韓日双方の若い人たちが裏方の仕事、1日も気を抜くことなく管理されていることを見ると日本人も何からでもお手伝いしたい気持ちに駆られる。
私にできることは何か。
まず「倉庫」の裏方を伝えようと思って連載に取り組んだがこの祭は創案者のことを書かなくては筆が運ばない。
だったら創案者が命がけで奔走されたことに次いで経済破綻そして在日韓国人の歴史も少し盛り込まないと文章に臨場感がでてこないとことに気がついた。最初は3・4回の連載だったがあれこれ盛り込んでいくうちに文章の量が増えて7・8回の連載になりそうだ。
日韓を通して多くの報道記者の先輩たちがおられる。
しかし私は私なりに在日韓国人の女性の視点から文章を起こしていった。
ややもすれば日本人から見ると意に添わないところもあるだろう。
しかし1世の背中を見て来た2世なら創案者の心情は理解できる立場にいると考えてありのままの文章にした。
それでもまだまだ書き込みたいことはたくさんあるが控えないこともあるので心を鬼にして出さないことにした。
そんなことでもう9時前になってきた。
今日は夕方4時からの仕事、夫の夕食、ホットプレートに煮込みうどんの出汁などを仕込んでいくことにした。
まだ当分、仕事は続く。しかし駆け足で師走が来ている。
あれもこれもしなければならないが仕事もこなさなければならない。
若いときは忘年会も仕事のうちと考えて飛んでいったが今は忘年会、若い記者に任せている。この席に参加してあった人に名刺交換をして日常会話からさりなげなくその人の話しを聞いていく。雑談の中に記事にする企画がいっぱい詰まっている。初めはどれが企画記事につながるかわからないがこれも場数を踏むことでしらずしらずに身についていく。若い記者にはそう願っている。
紙面は行事を追いかけるのではなくてどこの新聞も出していない企画を探すことも紙面作りの使命である。人それぞれに生き方が違う。私の知らないことをどれだけ体験して来ている人が多いことか。こんなこと頭に置くとその人の人生が分かり雑談も仕事につながることを自覚していく。
私も一朝一夕でなったのではない。
失敗の連続だった。
雑誌記者時代の編集局長は厳しかった。
「パーテイ会場に入れば誰でも名刺交換して3つの情報を取って来い」という。この意味が最初は分からなかった。
そして在日韓国人の新聞社に転職して先輩のデスクたちは「パーテイ会場でも現場で少しでもみんな話して雑談をして何か話をいっぱい聞いて下さい」という。ようやく雑談は情報収集につながっていくことに気がついた。
そしてデスクたちの機転もすごかった。
電話で打ち合わせする中で私の雑談、長引かせても話をした。
そしたら「あっ。それ。今度の企画にしょう」ということでいくつもの企画記事になり連載になっていった。
そうした中で雑談の重要性もわかってきた。
こんなこと知りながら夜の現場は苦手になった。
年のせいもある。バイタリテイーも薄れてきたのかもしれない。
先日、あるところで40代半ばの在日韓国人の女性にあった。
パワーと行動力にあふれていた。
何かをする人はアイデアや発想に富んでいた。
40代はまだまだ燃えることができる。
若い人の行動力に期待している。
無駄な時間もやがて自分につながってくる。
そして多くのいい先輩記者やデスクに恵まれたことに感謝している。
現在、若い人は年輩の話しに耳を傾けない人が多くなってきているが先輩たちは体験があるから話してくれる。話してくれることは見込みがあるから話してくれる。素直に聞く耳を持ってもらいたい。
そう思ってがんばってもらいたいと願っている。
こんなときは茶漬けにしてもらっている。
鮭茶漬の素をいれて熱いお茶をかける。
冷蔵庫に入っている保存食、蕗の佃煮、大根の酢漬け、胡瓜のキムチ、そしてチリメンジャコと梅干を出すとそれで朝食を済ませて出て行く。りんご2分の1も出しておく。
私も一緒に朝食、パン1枚にレーズンのトースト、野菜ジュースに黄粉牛乳にりんご2分の1.を食べる。
洗濯をしたりして簡単に家事を済ませてパソコンの前にすわった。
連日忙しくて私のブログはいつも短い。今日は少し書かなければと思ってパソコンの前に座ると「四天王寺ワッソ」の連載が気になる。
今日は夕方4時の仕事だができない。外出の支度でできない。
朝から朝寝をしたいが四天王寺ワッソの連載が気になる。
保存の原稿、何回か分けての連載、ワードを出して次の分を貼り付けた。
このままおいて朝寝しょうと思うがパソコンのキーを叩いている。
結局仕上げていく。
あれこれと創設者の思いが伝わってくる。できる限り知っていることは紹介しておこう。多少、文章が重複するところみもあるが誤解や勘違いがあってはこの連載をしている意味がない。
皆さんに申し上げたい。
創案者に対して賛否両論、敵・味方もあるかもしれないで机上の論理では何も理解が生まれてこない。
やはり裏方の人の仕事の現場を見ることでこの祭の意気込みと創案者の無念の思いが伝わってくる。
少なくとも韓日問わずマスコミに関わるものは1度、裏方の仕事を見てみるものだと思った。
私は裏方の仕事、倉庫の見学を通して創案者から受け継がれて今、韓日双方の若い人たちが裏方の仕事、1日も気を抜くことなく管理されていることを見ると日本人も何からでもお手伝いしたい気持ちに駆られる。
私にできることは何か。
まず「倉庫」の裏方を伝えようと思って連載に取り組んだがこの祭は創案者のことを書かなくては筆が運ばない。
だったら創案者が命がけで奔走されたことに次いで経済破綻そして在日韓国人の歴史も少し盛り込まないと文章に臨場感がでてこないとことに気がついた。最初は3・4回の連載だったがあれこれ盛り込んでいくうちに文章の量が増えて7・8回の連載になりそうだ。
日韓を通して多くの報道記者の先輩たちがおられる。
しかし私は私なりに在日韓国人の女性の視点から文章を起こしていった。
ややもすれば日本人から見ると意に添わないところもあるだろう。
しかし1世の背中を見て来た2世なら創案者の心情は理解できる立場にいると考えてありのままの文章にした。
それでもまだまだ書き込みたいことはたくさんあるが控えないこともあるので心を鬼にして出さないことにした。
そんなことでもう9時前になってきた。
今日は夕方4時からの仕事、夫の夕食、ホットプレートに煮込みうどんの出汁などを仕込んでいくことにした。
まだ当分、仕事は続く。しかし駆け足で師走が来ている。
あれもこれもしなければならないが仕事もこなさなければならない。
若いときは忘年会も仕事のうちと考えて飛んでいったが今は忘年会、若い記者に任せている。この席に参加してあった人に名刺交換をして日常会話からさりなげなくその人の話しを聞いていく。雑談の中に記事にする企画がいっぱい詰まっている。初めはどれが企画記事につながるかわからないがこれも場数を踏むことでしらずしらずに身についていく。若い記者にはそう願っている。
紙面は行事を追いかけるのではなくてどこの新聞も出していない企画を探すことも紙面作りの使命である。人それぞれに生き方が違う。私の知らないことをどれだけ体験して来ている人が多いことか。こんなこと頭に置くとその人の人生が分かり雑談も仕事につながることを自覚していく。
私も一朝一夕でなったのではない。
失敗の連続だった。
雑誌記者時代の編集局長は厳しかった。
「パーテイ会場に入れば誰でも名刺交換して3つの情報を取って来い」という。この意味が最初は分からなかった。
そして在日韓国人の新聞社に転職して先輩のデスクたちは「パーテイ会場でも現場で少しでもみんな話して雑談をして何か話をいっぱい聞いて下さい」という。ようやく雑談は情報収集につながっていくことに気がついた。
そしてデスクたちの機転もすごかった。
電話で打ち合わせする中で私の雑談、長引かせても話をした。
そしたら「あっ。それ。今度の企画にしょう」ということでいくつもの企画記事になり連載になっていった。
そうした中で雑談の重要性もわかってきた。
こんなこと知りながら夜の現場は苦手になった。
年のせいもある。バイタリテイーも薄れてきたのかもしれない。
先日、あるところで40代半ばの在日韓国人の女性にあった。
パワーと行動力にあふれていた。
何かをする人はアイデアや発想に富んでいた。
40代はまだまだ燃えることができる。
若い人の行動力に期待している。
無駄な時間もやがて自分につながってくる。
そして多くのいい先輩記者やデスクに恵まれたことに感謝している。
現在、若い人は年輩の話しに耳を傾けない人が多くなってきているが先輩たちは体験があるから話してくれる。話してくれることは見込みがあるから話してくれる。素直に聞く耳を持ってもらいたい。
そう思ってがんばってもらいたいと願っている。