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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

午後2時17分、12時頃から雨が降り出した。

2012-03-04 15:28:26 | 直言!
11時20分頃からスバゲテイーを湯がいて昼食はスバゲテイーにした。
12時、顔を洗って化粧はしないで眼鏡をかけたまま散歩に行く簡単で寒くないように着替えた。12時10分に家を出た。
家の近所を歩いて近くの喫茶店に行ったのが12時30分、新聞2紙を読んで喫茶店を出たのは1時半、ここから自宅近くのスーパーまで歩いた。
幾つか食材の足りないものがあってそれを買って自宅に戻ると1時55分です。
出る直前に固定電話に留守電が入っていた。
夫はまた私の電話だと取らない。
私はそまののにして散歩に出かけた。
私のいない間に電話があって電話連絡していると2時20分になっていく。

昼寝をすると太るので昼寝をしないことにした。
自宅にいるときは昼食の後、家の近所を散歩しながら歩いて近所の喫茶店、駐車場の多い喫茶店に行って新聞を読むことにした。
先週、先々週と忙しくて所用と仕事で昼寝をする時間がなかった。
そしたら顔が小さくなってきた。
これは嬉しい。昼寝が太るもとだった。
食べるとつい横になって新聞を読んでいる。
長いことこんな生活スタイルしてきたのが今のツケになっている。
生活を改めることにした。

今日の3月4日付け、産経新聞に作家の伊集院静さんの「彼らの心の折れない理由」を読んだ。今度の掲載記事も自分の出自を隠していると思っていたが自分のルーツを出しておられたので私もそんな形、まだまだ足元に及ばないが在日韓国人として日本で生まれて育ったその心情は良く似ていると思った。

伊集院静さんは作家になってまもなく在日韓国人の商工会議所、京都の在日韓国人の商工会議所に講師として呼ばれて講演に来られた。
私は取材で入った。帰られる間際に名刺交換をしている。
当時は民団新聞でなくて統一日報大阪支社にいたと思っている。
講演会の最後に伊集院静さんが直接、皆の前で話された。
韓国名は趙忠来(チョウチュレ)、日本名の西山忠来さんで講演会に来られていた。
場所はどこかの京都市内のホテルだったがすっかり忘れてしまっている。
確か、マルハンコーポレーションの創設者(創設当時は西原産業)韓昌祐さんが京都の在日韓国人商工会議所の会長になられてそうまだ時節が経っていなかった。講演会が終わるとすぐどこかに行かれた。
今でこそ日本国籍に変える在日同胞は増えている。そして帰化も容易になった。
おそらく30数年前にされているだろう。

今日の新聞記事で掲載されていた言葉「震災以後(東北大震災のこと)、自分の生き方に加えたものがある。それは、在日韓国人であった家族と自分を受け入れてくれた日本と日本に向けてよりよい文学を書いていきたいという強い思いだ」
私はこの下りを読んでなるほど。なるほどと思った。
私は伊集院静さんの足元にも及ばないが、縁があって15年の専業主婦から社会参加をしたのは奈良県で発行されている雑誌記者。編集者からだった。
5年間、楽しんでしてきたがある日、自分の中にある韓国人の血が動き出した。誰がそうしろというわけでないのに背中から押されるように地域にある民団奈良の会館にある韓国語教室の扉をあけていた。
またこれが縁で25年間、在日韓国人の中で新聞記事を書くスタッフの1人になった。ずっと在日同胞の中で取材して記事を作ってきた。
そして1昨年の「平城遷都1300年祭」を契機にして私の心はまた奈良に動いた。

ある女性、音楽活動していると女性と電話で話していて私の心が奈良に動いた。
奈良という原点、記者になった原点に戻らないといけない。
多くの日本の女性たちに助けられて記者としての基本を学んだ。そんなことが脳裏を駆け巡った。
その心の動きから得たヒントが「奈良おんな物語」として奈良で活躍する女性たちを取材してジャーナリスト・ネットで掲載している。

伊集院静さんと私、天と地の差はあるが奈良で何かを書いていく。
私の考えは間違っていなかったとまた確信していた。
これからも奈良を素材にして何かを書いていこう。
さらに心に強く思ったものだ。

今日の産経新聞では在日韓国人のルーツを書いていたのでここに私の思いを書いた。
時計は3時20分、そろそろ夕食の支度をしないといけない。
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