鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

午後の3時19分、暑い昼下がりである。

2011-07-14 16:37:20 | 直言!
子どもはうれしいが親は大変である。
専業主婦している人は子どもの食事の支度ができるが働いている子どもたちの食事はどうするのだろうか---。私は専業主婦をしていたので子どもに3度の食事を作っていたがいったい何を食べたいのか忘れている。
何を食べていたのだろうか。
たまにはラーメンを炊いたこともあったような気がする。
お好み焼きを焼いた気がする。
サンドイッチも作った気がするが何を作って食べていたのだろうか。

私は子どもの頃の昼に何を食べたのか覚えている。
小学校の頃はご飯に味噌汁をかけて食べていた。給食はまだなかったので家に帰ってはそうしていた。
私の家から1軒置いた隣が豆腐屋さん。町でも美味しい豆腐屋さんでよく知られていたるここの豆腐を食べて豆腐を好きになったのかもしれない。
中学時代は親に黙って豆腐屋さんに行って豆腐を買うことはなかったが高校2年あたりになると自我が目覚めて自分の好きな豆腐をよく昼ごはんのおかずに買った。月末払いで掛買いだったので夏休みの昼ごはんのおかずはよく豆腐にした。
月末になっていつもより掛売りの請求書を届く。1度だけ父親は「豆腐を買って食べているのか」と私に聞いた。私は「買っている」と言った。父親は黙って何も言わなかった。子どもが食べているなら仕方がないと思ったのだろう。
買うなとかそんなことは一切言わなかった。
食べることであそこにあるのは食べたらあかん。そんなことは一切言わなかった。母親には1度だけ言われた。
出汁に使う出汁雑魚もよく食べた。
おやつがそんなに豊富にないころのおやつは毎日、サツマイモのふかしたものだった。それも飽きてくる。そんなときに料理に使う出汁雑魚をおやつに食べた。たくさん食べ過ぎたのだろうか。母親は「出汁雑魚を食べているのか」と少し怒った口調で言っていたが食べてはいけないとは言わなかった。
食べ物は分けて食べる物だが父親のおかずだけ別格だった。
違う惣菜に箸をつけることができなかった子どもの頃である。
昔はどこの家庭でもそうだった。
それが私の生き方に左右した。
結婚して自分の家庭を持った時に私も同等に食材を盛り付けた。
それには夫が最初はびっくりしたらしい。夫の家も男と女の食べる食材が違っていたのだろう。私はどうもそれが納得しなくて------。
夫はよく食べる人で自分に好きな食材になると子どもが後から食べるために置いてある食材に「俺、食べてやろか」というのでそのたびに私は夫に怒った。
「これは息子の食べるもの」と言って息子にきっちり食べさせた。
このへんも私は子どもと夫にも公平にした。
それはたぶん私が育った家庭環境、父親と子どもの違う惣菜に口には出さなくても心に不満を持っていたのだろう。

結婚してからの家庭環境は育った家庭環境と違っていた。
父親がいない家庭は絶対にお母さんの考えに従った。
黒でも白という。それが私は理解できなかった。
私の家は父親が家長だった。躾には厳しかった。
しかしひとまず考えを話してこうしなければならないと話した。結婚した家庭はお母さんの言うことが絶対で口答え1つできなかった。
私は父親に「女の子は女の子は」と言われて育ったが本を読むことも新聞を読むことも生活の中で当たり前に躾をした。それが結婚した家では新聞を読んでは怒られ本を読んでは怒られた。
自我を殺して生きることは私には到底無理だと知って夫の母親がいる田舎に帰ることは拒否した。帰るとなれば----私はどうなっていたのだろうか。
しかし帰らないでよかったと思っている。
子どもは1人しか作れなかったが夫は定年退職するまで無事に働き私も人の出会いで自分の好きな仕事に就けた。
私と夫の母とは絶対に会わないと思ったのは結婚してすぐだった。
様々な困難を乗り越えてきて今日の私がある。
韓国の姑、今の韓国は分からないが儒教文化なのだろうか。
姑がきつい姑に仕えると嫁にもきつい姑になると言われている。
私の祖母はまた夫の母と違っていた。
母親は祖母が来ると気をつかっていた。商いにいけなかった。
そんな母親を見て祖母は隣町に住む自分の娘の所に行った。
大きい声で怒ったこともなかった。
私にも言い聞かせて話して娘はこうあるものだと話して聞かせた。大きい声で怒ることは1度もみたことがなかった。
母親にもそうだった。
祖母は日本植民地統治化になるまでに生まれた人だった。
生きている時に聞いておけばよかったと今頃になって反省しているが祖母はハングルが読めた。晩年はハングルの韓国の新聞をよく読んでいた。
たぶん韓国と日本と往来する在日韓国人の人から新聞を貰っていたのだろう。
韓国のラジオもよく聞いていた。私は直に聞いたことがないが一緒に住んでいた父親の弟家族は祖母の教養をよく知っていた。
子どもが掛け算をやり出すと韓国語で掛け算をしていた。そして物を作ったりするのが好きで子どもが粘土細工をすると一緒に上手に作っていた。
亡くなった父親の弟が言っていた。
「料理も美しく見栄えのよいように作っていた。卵焼き1つにしても1個の卵を見栄えよく大きく見せるように作るその焼き方は近所に住む○○(父親の次の弟の嫁)でも焼けないほど見栄えのいい卵焼きだった」と話していた。
この話を聞くと日本植民地統治化に生まれた生家や我が家の先祖の暮らしぶりがほんの少しだけ見えてくる。
日本植民地統治化に入って家は崩壊していく。土地は奪われ働くところもなくなった先人たちは生きるために食べるために日本に来るしかなかった。
この歴史は日本に帰化していく3世や4世たちは心に刻んでもらいたい。
先人がなぜ日本に来たのか。その現実を知ってもらいたい。
歴史に「もし」がないかもしれない。
しかし「もし」日本植民地統治化されていなかったら---。日本に来ることはなかっただろう。果たして他の国に統治されていただろうか。しかし言葉や文字そして文化まで奪うことはなかったかもしれないと私は思う。
日本は残酷な植民地政策だった。
脱北者にあって話しを聞いていると私は思う。
日本植民地政策がなかったらはたして分断国家になっていただろうか。
アメリカとソ連の犠牲になった韓半島(朝鮮半島)、南北分断国家の犠牲者、今も北朝鮮で食べられないであえいでいる日本からの帰国者がまだ大勢暮らしている。その現実に目をそむけて冬季平昌オリンピックを北朝鮮と合同で開催しょうという韓国の関係者がいる。また何を考えているのだろうか。関係者は脱北者とあって北朝鮮の暮らしを聞いたことがあるのだろうか。
なんと甘い幻想を歌っているのだろうかと今朝の新聞の記事でそう私は思った。
軍事境界線に位置する江原道平昌市である。この地形を生かして北朝鮮の合同開催という。何をそんな甘い幻想を抱いているのかと一般の素人の私はそう思う。10年間、2人の大統領は北朝鮮に支援をしたが何も実になっていない。むしろ韓国政府は無駄なお金を使ったと思っている。
今も韓国には2人の大統領の支持者は大勢おられる。それは韓国の中からしか見えないのだろう。しかし日本に住んでいる在日韓国人は両方の国がよく見える。南北統一は誰もがの夢だが------。韓国政府がお金をつぎ込んでばかりしているのは不条理に思えてならない。
日本はまだまだ北朝鮮を支持するマスコミはじめ一般人が多い。
日本の軍国主義や天皇崇拝を嫌うのは理解できるが何も北朝鮮まで支援する活動をしないまでもいいのだがと私は心の中で思っている。
まして日本植民地支配の歴史の知らない人たちの日本人に朝鮮学校の助成金打ち切り反対に対する署名運動しているのがまた私は不可解と思っている。
歴史認識の知らない日本人に署名を求めている。私はその署名を見ていてなんと卑怯なやり方と思って取材先の現場で見ていた。
今度は朝鮮学校が歴史教科書を変えたと最近のニュースで言われていたが私はそんなことちっとも信用していない。表向きは無くして裏では北朝鮮に対して偉大な○○○と教えている。
教師たちの裏表が見えて恐怖心になってしまう。
なんかつらつらと私なりのたわごとを書いた。
明日になればまた世界の政治はどう動いているかわからない。
そんな中でもしがみついている現在の日本のトップがあり方も理解てきない。
期待した民主党の政権だったが何かしら狐に包まれているように思えてならない。もう4時19分、夕食の支度です。

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