鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

とにかく今日は忙しい。

2008-10-31 12:15:20 | 直言!
朝から急いで広島球団からドラフトされた京都国際学校の野球部の申君を取材した記事にとりかかった。朝から原稿を作成し写真15枚を送ったところで1本の原稿が終了、あと2本が残っている。
今日中に1本は仕上げないといけない。
昨日のドラフトの指名を待つ現場に生まれて初めて私は現場取材を体験した。
韓国から野球留学をしていた申君、2時過ぎに学校に入った。
もう他の報道関係者が来ている。
3時すぎになると地元の京都新聞そして5代紙にテレビ局、そして広島の地元新聞大阪支社など20数人の報道関係が集まった。
しかし指名の決定を見たのはインターネット、その間、関係者はインターネットを見て待っている。
4位で指名をインターネットで確認した申君に監督、野球部の顧問の部長は教師、そして同級生の部員たちや学校関係者は拍手と歓声で称えた。
そして申君は韓国ソウルの自宅に電話をした。
待機していた父親は韓国でもインターネットで確認している。
申君は韓国語で「記者がいっぱい見ている」と話す。
電話の向こうで父親は「チュッカハンミダ(おめでとうございます)」と言っている。
監督と部長の目はなんとなく涙でうるんでいるように思えた。
校長はほほえましく申君を見ている。
生徒減少のために苦肉の策、学校起こしに9年前、野球部を創部した。
生徒減少に廃校まで追いこまれたが教師たちはめげなかった。生徒募集に奔走した。野球部創部に地元の在日韓国人の反対もあったが教師たちや関係者は生徒を守るために日夜奔走した。
そして初代監督の意気込みで強豪チームに育っていった。
なんともいえない感慨深いものが私の頭に去来する。
高野連の加盟にそれまで野球をしていない部員を集めての登録、試合はもちろん負けた。この取材に西京極に入って野球音痴がグラウンドに入って怒られた。
関係者に謝罪に行ったが関係者は「この学校は必ず強豪チームになる」と私に話してくれた。怒られたかわりにお土産の言葉をもらった。
本当に2・3年すると強くなっていった。
そんなことを思い出す。熱い炎天下、何度か球場に入って取材したものだった。
最近は入っていない。ベスト8にはなるがべスト4になかなかならない。4になったときは取材を考えているがこれがなかなか大変なようだ。
指名の決定的瞬間に現場におられたことは記者冥利につきる。
この学校が1条項認可の時も京都府庁に同行して現場にいた。
この瞬間に会わされたことにも長いこと在日コリアンの中で記者をしてきてよかったと思った瞬間だった。
また昨日もドラフト指名の決定の瞬間に合わされた。
ありがたい。引き合わせてくれた先人に感謝。
とりあえず昼食をして2本目の原稿を作成しよう。

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