鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

花見シーズンの天気、晴れである。

2007-03-31 09:39:20 | 直言!
明日は朝には雨があがるとテレビの気象情報で言っておられた。
それでも今日、花見に繰りだす人が多いだろう。
私はこの季節になると民族とかかわっていなかった30代前後のことを思い出す。
夫の会社の行事に家族同伴で京都嵐山に桜見に行く社員旅行に出かけた。
まだ息子が幼稚園児だったと思っている。
このころミニスカートが流行っていたので写真を見るとミニスカートである。
この服は自分で作った服だった。茶色時に黄色のひまわりの花が図柄に入った派手な色の服だった。ミニスカートにサンダルをはいて颯爽としていた。28・29歳だった。
昼食をすませるとどこからか、チャンゴの音が聞こえてきた。
そしてその音に目をやると色とりどりのチマ・チョゴリを着た在日同胞のオモニたちだった。花見に来ていたのだろう。今から考えれば民団の支部だったのか個人的なグループだったのだろうか。
夫がチャンゴの音を最初に聞きつけた。
夫はその側に行きたそうだったがやめた。
経営者が元「在日」で帰化してそんなに年数がたっていなかった。婦人の方も申請中だったがなかなか許可がおりないであたふたしておられた。
そんなことで夫は見て見ぬふりをした。
私も側に行きたいと思ったがまだ私の父親は生存していた。まだ元気に現役で働いていた。親の言葉は「政治に関与するな」だったので「政治に関与するな」ということは「民族にも関与するな」だった。
私は遠くからその光景を見ていた。
それからしばらくしてその場を離れて太秦の映画村に立ち寄って貸しきりバスで自宅の帰路に向かった。
まさか私が民族機関と関わるとは思っていなかった。
それが何年かしてかかわるようになった。
いつもこの花見の時にみた光景、オモニたちがチャングの音で踊っていたことを思い出す。民族から逃げていたのに何年後に民族のほころびを知って民族機関で花見のオモニたちを取材することになった。
人生とはわからない。
摩訶不思議なものである。
そしてこのころすでに神経の病気になりつつあった自分のあのころを思い出す。服は明るい派手な色を着ていたが少しずつ神経が病んでいた。
今、元気にこうしてあちらこちらを駆け回っている。
みんなに感謝をしなければならないとまたあらためて思う。春の桜開花の季節である。

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