在日韓国人は日本社会の生活様式で暮している。教育もほとんど日本の学校教育を受けている。民族学校があるが田舎に住んでいたものはほとんど日本の学校に就学している。
日本の学校教育の歴史教育の間違いに気がつくのはほとんど大人になってからである。
気がつかないでそのまま人生を送る人もいるがこれほど自分にとって不幸なことはない。在日同胞は1世が暮した故郷の国の歴史と日本の歴史を知ることは世の中、そして世界が客観的にみる訓練の1つになっていく。そして自分の生活に幅が出てくる。知らない人は1世たちの暮した国の歴史を毛嫌いしないでいずれ自分もやがて人生の最後近くになったときに自分の血は1世のルーツと気がつく。そのとき後ずさりするほどちんぷな自分の人生、それに何もできない自分がそこにいることに気がつく。
私は遅まきながら40歳に入って「民族のほころび」を感じとった。
そんな中で模索しながら生きてきたがこんな年になって改めて自分が在日韓国人だという事柄に出会う。
昨年、韓国に行ったが知人と会って周りの友人、知人を話題に食事をしているとき、共通の知人が韓国で「どこそこのポストについた」と話されたので私は「かなり努力して勉強されたのですね」と話した。
そしたら知人は「いや、運がよかったのです」とその人の人脈を話してくれた。
もうこの話を聞いておおかた1年がすぎたので「運がよかった」という話は忘れていた。
もちろん「運」の強さも私なりに認識しているが日本人の間では出世されたりすると「本当に努力をされたのですね」と本人の努力をたたえて話す。
そして最後に本人の方から「運があったのです」と言う。
ところが韓国人はまず先に「運がよかった」という。
昨日、韓国赴任の職員から電話があった。
あれこれ雑談しているなかで共通の知人の話になって私は「今、○○○におられて電話もできないくらいに偉くなられました。○○○さんは相当努力なされたのですね」と話すと、電話の向こうから「いや運がよかったのです」と笑いながら話される。
また私は久しぶりに「運がよかった」という言葉を聞いた。
頭の中で忘れていた言葉がよみがえってきた。
そして電話をしながら文化の違いを認識していた。
おもわず電話の相手に「韓国と日本は文化が違うのですね。日本はまず本人が努力したと話すのに韓国は運がよかったと言われる」と話すと電話の相手はケラケラと笑っていた。
もし出世をしなかったら「運がわるかった」といい「私の運命だ」というのが韓国人の気質だと今さながらに認識したのである。
なるほど「運」と言う言葉で物事を考えるから明るいのだろうか。
暗い韓国の歴史がいっぱい詰まっているのに人々はたくましく生き抜いてこられた。
「ネ パルチャ(私の運命)」と韓国の人はよく言うが日本で暮している私たち2世や3世はそんな言葉を使わなくなって久しい。
何事も努力の積み重ねであると私は親からも教わってきた。
しかしその親は日本植民地支配に遭遇して日本に渡ってきた自分の人生は「これも運命」と考えて耐え忍び生き抜いてきたのだろうか。
もう1度、1世の気質を調べて韓国人気質の根底を調べてみたいものだ。
日本で暮して気候、風土、水などが影響されて韓国と違いがあると私は見ていたがどこで枝分かれしたのか気になる言葉をまた昨日、電話で聞いて韓国と在日韓国人の違いを認識していた。
日本の学校教育の歴史教育の間違いに気がつくのはほとんど大人になってからである。
気がつかないでそのまま人生を送る人もいるがこれほど自分にとって不幸なことはない。在日同胞は1世が暮した故郷の国の歴史と日本の歴史を知ることは世の中、そして世界が客観的にみる訓練の1つになっていく。そして自分の生活に幅が出てくる。知らない人は1世たちの暮した国の歴史を毛嫌いしないでいずれ自分もやがて人生の最後近くになったときに自分の血は1世のルーツと気がつく。そのとき後ずさりするほどちんぷな自分の人生、それに何もできない自分がそこにいることに気がつく。
私は遅まきながら40歳に入って「民族のほころび」を感じとった。
そんな中で模索しながら生きてきたがこんな年になって改めて自分が在日韓国人だという事柄に出会う。
昨年、韓国に行ったが知人と会って周りの友人、知人を話題に食事をしているとき、共通の知人が韓国で「どこそこのポストについた」と話されたので私は「かなり努力して勉強されたのですね」と話した。
そしたら知人は「いや、運がよかったのです」とその人の人脈を話してくれた。
もうこの話を聞いておおかた1年がすぎたので「運がよかった」という話は忘れていた。
もちろん「運」の強さも私なりに認識しているが日本人の間では出世されたりすると「本当に努力をされたのですね」と本人の努力をたたえて話す。
そして最後に本人の方から「運があったのです」と言う。
ところが韓国人はまず先に「運がよかった」という。
昨日、韓国赴任の職員から電話があった。
あれこれ雑談しているなかで共通の知人の話になって私は「今、○○○におられて電話もできないくらいに偉くなられました。○○○さんは相当努力なされたのですね」と話すと、電話の向こうから「いや運がよかったのです」と笑いながら話される。
また私は久しぶりに「運がよかった」という言葉を聞いた。
頭の中で忘れていた言葉がよみがえってきた。
そして電話をしながら文化の違いを認識していた。
おもわず電話の相手に「韓国と日本は文化が違うのですね。日本はまず本人が努力したと話すのに韓国は運がよかったと言われる」と話すと電話の相手はケラケラと笑っていた。
もし出世をしなかったら「運がわるかった」といい「私の運命だ」というのが韓国人の気質だと今さながらに認識したのである。
なるほど「運」と言う言葉で物事を考えるから明るいのだろうか。
暗い韓国の歴史がいっぱい詰まっているのに人々はたくましく生き抜いてこられた。
「ネ パルチャ(私の運命)」と韓国の人はよく言うが日本で暮している私たち2世や3世はそんな言葉を使わなくなって久しい。
何事も努力の積み重ねであると私は親からも教わってきた。
しかしその親は日本植民地支配に遭遇して日本に渡ってきた自分の人生は「これも運命」と考えて耐え忍び生き抜いてきたのだろうか。
もう1度、1世の気質を調べて韓国人気質の根底を調べてみたいものだ。
日本で暮して気候、風土、水などが影響されて韓国と違いがあると私は見ていたがどこで枝分かれしたのか気になる言葉をまた昨日、電話で聞いて韓国と在日韓国人の違いを認識していた。
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