昨日はテレビを昼間つけたのは昼食のとき15分ほどだけ。あと少し新聞を読むのに休憩していると電話がなる。
原稿は作った。写真は後からでもいいと思って休憩していた。
そしたら写真もすぐ送信してほしいという。
写真のサイズを大きくしたので1枚づつしか送信できない。
13枚送信すると20分程度かかる。
急いでの送信、間違ってはいけないので集中力がいる。
この間、取材先に電話をしたりなんか昨日も追われていたので外の雨が激しく降っているのはベランダを編み戸にしていたので分かるが台風が通り過ぎたことは分からなかった。
夫が帰ってきて台風はもう通り抜けたという。
その夫が今日は6時前に自宅を出た。
5時半起きで夫はお茶漬でかき込んでいった。
私はあんまり朝が早いので朝食をする気になれずパソコンを開いた。
それにしても昨日のプロ野球、阪神は巨人に負けた。
5対3になったときに夫はもうテレビを消した。
私はパソコンの前にいたので知らん顔していた。
私はそれでも気になるのでテレビつけると「負けている試合、なんでテレビつけるねん」と言って怒っている。
「もうこれは巨人優勝や」と阪神フアンには聞き捨てならないことを言う。
巨人フアンは嬉しいが-----。
阪神と巨人のゲーム差が縮まってきてイライラしている人が夫意外に私の回りにたくさんいる。
その人たちの心境はどうなのだろうか。
絶対に勝つと言う信念があるだろうか。
6時20分、太陽が東の空から昇ってきた。
今日も残暑が厳しいだろうか。
今日は月曜日の連載を作らないといけない。
明日、日曜日は現場が入っている。
いろいろと取材内容が多いので心して集中力で一気にしにければならない。
時にはボーとして現場に入っているときがある。
講演会がそうだが明日はそうはいかない講演会の現場になった。
記事になって1人でも多く喜んで頂くとその苦労は吹っ飛んでいく。
喜びの言葉を聞くと記者冥利につきる。
長いこと記者をしてきたな。
もう今年で丸々26年になった。
26年と言う歳月に一言で言えば「出会いに感謝」としか言えない。
私の実力なんて微々たるものである。
努力はしてきたが人に自慢できるほどの努力でもない。
適当にしてきた。
家庭と仕事の両立はそんな簡単なものではない。
いつもどこかでプレッシャーになりながら両立してきた。
夫と結婚して41年、専業主婦15年、仕事を持って26年、
実家で暮らしたのが23年、結婚して夫との暮らしが長くなった。専業主婦より仕事を持っている生活が長くなった。
専業主婦の最初の社会参加はPTA活動、そして地方紙の投稿から始まり人の出会いは雑誌記者の縁になった。
それから5年、日本人のふりをして日本の記事を書きたくない心の葛藤は韓国語を習いにいくきっかけになった。
韓国語教室を通してまた今度は在日韓国人の新聞社との縁ができた。
皆どれも人との出会いでここまできた。
それしかないと思っている。私の持っている能力はそんなに対したことがない。
そしてそんなに対したことのない私を引っ張ってもらったのは最初の雑誌記者時代の編集局長だった。在日韓国人の新聞で仕事するときはデスクにずいぶん助けてもらって教えてもらい私を育ててもらったといっても過言ではない。
よく皆デスクたちが辛抱してくれたなと今本当に感謝をしている。
記者生活10年過ぎるとある程度の企画記事が現場に入るとできるようになってくるがまだまだ見えないものがある。
毎回の現場はいつもその時、瞬間が大事なのに時には見えないものがあって取材の足りない時がある。
やはり私よりずっと先輩格の人たちはまた違うものが見えている。
そんなときはまだまだと自分の未熟さを思う。
26年という記者生活に感慨深いものが走った。
6時半が過ぎた。
あちらこちらで生活の音がなりだした。
車のエンジンのかける音、どこかでもくぎょうを叩く音がする。
人の足音がする。
今日1日の生活が動き出した。
原稿は作った。写真は後からでもいいと思って休憩していた。
そしたら写真もすぐ送信してほしいという。
写真のサイズを大きくしたので1枚づつしか送信できない。
13枚送信すると20分程度かかる。
急いでの送信、間違ってはいけないので集中力がいる。
この間、取材先に電話をしたりなんか昨日も追われていたので外の雨が激しく降っているのはベランダを編み戸にしていたので分かるが台風が通り過ぎたことは分からなかった。
夫が帰ってきて台風はもう通り抜けたという。
その夫が今日は6時前に自宅を出た。
5時半起きで夫はお茶漬でかき込んでいった。
私はあんまり朝が早いので朝食をする気になれずパソコンを開いた。
それにしても昨日のプロ野球、阪神は巨人に負けた。
5対3になったときに夫はもうテレビを消した。
私はパソコンの前にいたので知らん顔していた。
私はそれでも気になるのでテレビつけると「負けている試合、なんでテレビつけるねん」と言って怒っている。
「もうこれは巨人優勝や」と阪神フアンには聞き捨てならないことを言う。
巨人フアンは嬉しいが-----。
阪神と巨人のゲーム差が縮まってきてイライラしている人が夫意外に私の回りにたくさんいる。
その人たちの心境はどうなのだろうか。
絶対に勝つと言う信念があるだろうか。
6時20分、太陽が東の空から昇ってきた。
今日も残暑が厳しいだろうか。
今日は月曜日の連載を作らないといけない。
明日、日曜日は現場が入っている。
いろいろと取材内容が多いので心して集中力で一気にしにければならない。
時にはボーとして現場に入っているときがある。
講演会がそうだが明日はそうはいかない講演会の現場になった。
記事になって1人でも多く喜んで頂くとその苦労は吹っ飛んでいく。
喜びの言葉を聞くと記者冥利につきる。
長いこと記者をしてきたな。
もう今年で丸々26年になった。
26年と言う歳月に一言で言えば「出会いに感謝」としか言えない。
私の実力なんて微々たるものである。
努力はしてきたが人に自慢できるほどの努力でもない。
適当にしてきた。
家庭と仕事の両立はそんな簡単なものではない。
いつもどこかでプレッシャーになりながら両立してきた。
夫と結婚して41年、専業主婦15年、仕事を持って26年、
実家で暮らしたのが23年、結婚して夫との暮らしが長くなった。専業主婦より仕事を持っている生活が長くなった。
専業主婦の最初の社会参加はPTA活動、そして地方紙の投稿から始まり人の出会いは雑誌記者の縁になった。
それから5年、日本人のふりをして日本の記事を書きたくない心の葛藤は韓国語を習いにいくきっかけになった。
韓国語教室を通してまた今度は在日韓国人の新聞社との縁ができた。
皆どれも人との出会いでここまできた。
それしかないと思っている。私の持っている能力はそんなに対したことがない。
そしてそんなに対したことのない私を引っ張ってもらったのは最初の雑誌記者時代の編集局長だった。在日韓国人の新聞で仕事するときはデスクにずいぶん助けてもらって教えてもらい私を育ててもらったといっても過言ではない。
よく皆デスクたちが辛抱してくれたなと今本当に感謝をしている。
記者生活10年過ぎるとある程度の企画記事が現場に入るとできるようになってくるがまだまだ見えないものがある。
毎回の現場はいつもその時、瞬間が大事なのに時には見えないものがあって取材の足りない時がある。
やはり私よりずっと先輩格の人たちはまた違うものが見えている。
そんなときはまだまだと自分の未熟さを思う。
26年という記者生活に感慨深いものが走った。
6時半が過ぎた。
あちらこちらで生活の音がなりだした。
車のエンジンのかける音、どこかでもくぎょうを叩く音がする。
人の足音がする。
今日1日の生活が動き出した。
http://hanshintigers.jp/
さっそくお気に入りにいれました。
夫が背後で言うだろう。
「もう--。負ける試合のホームページ見るな」
それくらい憤慨してがっかりしています。
しかしそれでもフアンは今日は勝つと信じてテレビみるのです
夫もそう。そして負けてくるとテレビ消してふてくされて寝ています。