空は晴れている。今日は昨日より暖かいと天気予報は言っている。
本当に暖かいだろうか。
しかし冬である。
寒い。
今、朝の7時40分、まぶしい朝日が高円山の右端から上っている。まぶしい。
冬の太陽は暖かみを出してくれるのでありがたい。
太陽はありがたいのに真夏の太陽はもう7時前になると真上にでていて暑い。
ベランダで洗濯を干すのも苦痛で私は真夏の何日間は夜に洗濯を干すこともある。冬の太陽、まぶしく昇る朝の太陽、光輝くまばゆい太陽にぬくもりをもらって夢があるような気がする。
「夢」といえば16日の朝、変な夢を見た。
なぜこんな夢を見たのか不思議である。
まあ、皆に笑われるのを覚悟して書いてみよう。
エリビスプレスリーが日本にきていて多くのファンに取り囲まれている。
私はかなり距離を隔てたところからプレスリーにインタビューしている。
それが私のインタビューにエルビス・ブレスリーは答えてくれている。
向こうで取り囲むフアンの質問より私の質問を優先して応えてくれている。
夢の場面はかわって目の前でブレスリーと話している。
朝、起きて変な夢を見たなと思った。
すでにプレスリーが亡くなってこの世にいないのに。
高校時代の同級生にブレスリーのフアンがいた。
貸本屋で借りてきた「近代映画」の本を学校に持って来て「男前やな」とうっとり見とれている同級生がいた。
べつにこの人のことを思い出しているわけでもなかったのに-----。
変な夢を見たなと思いながらまだ夢のことがどこかで残っているのも不思議である。
高校時代というと昔、松島アキラという歌手がいた。私が高校2年のころである。この人の歌「湖愁」という歌が大ヒットした。
昨日、他のテレビを見ながら歌番組にチャンネルを切り替えると「この歌」を今の若手の歌手が歌っていた。
今、聞いてもいい唄である。この歌が流行っていたころ同級生が雑誌のブレスリーに見とれていたことを思い出していた。
司会者は言った。
「この歌で青春を思い出す人もいるでしょう」
そうです。この歌で若き高校生の頃を思い出していた。
今、テレビに出て活躍するお笑い芸人のサバンナ八木・高橋の八木さん。この人が出演しているテレビ番組を見ていてもこの人のお父さん。八木君という高校時代の同級生を思い出している。
八木君が女子学生に人気にあったころに流行った歌「湖愁」、青春のページ、1ページ1ページめくるように思い出していた。
もう8時です。
読み直してセットアップして病院に行く身支度をします。
そういえば椎名吉平に男子が誕生したという。
椎名吉平は伊賀上野の出身だが母親は現在の木津川市(母親が住んでいた頃は京都府相楽郡木津町)で育っている。私が住んでいたところの近くに国道163号線がある。この国道隔てて3分も歩いたあるいたところで育った人である。
子どものころ母親に連れられて木津町にも来ていたはずだ。
私の家の前の道を歩いて7・8分北に行くと木津川の土手に出ることができる。
たぶん私の家の前を通って木津川にも行ったと思っている。
当時は関西線の列車が走っていた。
伊賀上野から急行に乗っていったん奈良に出て奈良から各駅停車に乗ってきていたのだろうか。
伊賀上野から通勤していた人文地理の教師がいた。
いつも急行券を払って木津高校に勤務しておられた。
当時の木津駅は片町線や奈良線が走っていて乗り換えの拠点にもかかわらず急行が止まらなかった。その先生はいつも奈良まで行ってまた各駅停車に乗換えて木津まで来ていた。こんな話をよく授業中にして「なぜ木津駅に急行を止めないのか」と行っていた。木津の駅長にも抗議をしたという。
そしたら木津町が木津市になれば停めるという。木津市になるにのには人口5万人にしないといけないと力んで話していた。
そして「必ず木津市になる」と強調していた。
それから40年と少しの年月が過ぎて木津町は木津川市になった。
今もその教師、元気でおられるだろうか。
元気でおられていたら木津川市になってなんと思っているだろうか。
「俺の行った通りや」とにんまりしているだろうか。
椎名吉平から話が横にそれた。
母親は木津町のある一角で育っている。
人間の縁とは不思議なものだ。
さて外出の支度です。
本当に暖かいだろうか。
しかし冬である。
寒い。
今、朝の7時40分、まぶしい朝日が高円山の右端から上っている。まぶしい。
冬の太陽は暖かみを出してくれるのでありがたい。
太陽はありがたいのに真夏の太陽はもう7時前になると真上にでていて暑い。
ベランダで洗濯を干すのも苦痛で私は真夏の何日間は夜に洗濯を干すこともある。冬の太陽、まぶしく昇る朝の太陽、光輝くまばゆい太陽にぬくもりをもらって夢があるような気がする。
「夢」といえば16日の朝、変な夢を見た。
なぜこんな夢を見たのか不思議である。
まあ、皆に笑われるのを覚悟して書いてみよう。
エリビスプレスリーが日本にきていて多くのファンに取り囲まれている。
私はかなり距離を隔てたところからプレスリーにインタビューしている。
それが私のインタビューにエルビス・ブレスリーは答えてくれている。
向こうで取り囲むフアンの質問より私の質問を優先して応えてくれている。
夢の場面はかわって目の前でブレスリーと話している。
朝、起きて変な夢を見たなと思った。
すでにプレスリーが亡くなってこの世にいないのに。
高校時代の同級生にブレスリーのフアンがいた。
貸本屋で借りてきた「近代映画」の本を学校に持って来て「男前やな」とうっとり見とれている同級生がいた。
べつにこの人のことを思い出しているわけでもなかったのに-----。
変な夢を見たなと思いながらまだ夢のことがどこかで残っているのも不思議である。
高校時代というと昔、松島アキラという歌手がいた。私が高校2年のころである。この人の歌「湖愁」という歌が大ヒットした。
昨日、他のテレビを見ながら歌番組にチャンネルを切り替えると「この歌」を今の若手の歌手が歌っていた。
今、聞いてもいい唄である。この歌が流行っていたころ同級生が雑誌のブレスリーに見とれていたことを思い出していた。
司会者は言った。
「この歌で青春を思い出す人もいるでしょう」
そうです。この歌で若き高校生の頃を思い出していた。
今、テレビに出て活躍するお笑い芸人のサバンナ八木・高橋の八木さん。この人が出演しているテレビ番組を見ていてもこの人のお父さん。八木君という高校時代の同級生を思い出している。
八木君が女子学生に人気にあったころに流行った歌「湖愁」、青春のページ、1ページ1ページめくるように思い出していた。
もう8時です。
読み直してセットアップして病院に行く身支度をします。
そういえば椎名吉平に男子が誕生したという。
椎名吉平は伊賀上野の出身だが母親は現在の木津川市(母親が住んでいた頃は京都府相楽郡木津町)で育っている。私が住んでいたところの近くに国道163号線がある。この国道隔てて3分も歩いたあるいたところで育った人である。
子どものころ母親に連れられて木津町にも来ていたはずだ。
私の家の前の道を歩いて7・8分北に行くと木津川の土手に出ることができる。
たぶん私の家の前を通って木津川にも行ったと思っている。
当時は関西線の列車が走っていた。
伊賀上野から急行に乗っていったん奈良に出て奈良から各駅停車に乗ってきていたのだろうか。
伊賀上野から通勤していた人文地理の教師がいた。
いつも急行券を払って木津高校に勤務しておられた。
当時の木津駅は片町線や奈良線が走っていて乗り換えの拠点にもかかわらず急行が止まらなかった。その先生はいつも奈良まで行ってまた各駅停車に乗換えて木津まで来ていた。こんな話をよく授業中にして「なぜ木津駅に急行を止めないのか」と行っていた。木津の駅長にも抗議をしたという。
そしたら木津町が木津市になれば停めるという。木津市になるにのには人口5万人にしないといけないと力んで話していた。
そして「必ず木津市になる」と強調していた。
それから40年と少しの年月が過ぎて木津町は木津川市になった。
今もその教師、元気でおられるだろうか。
元気でおられていたら木津川市になってなんと思っているだろうか。
「俺の行った通りや」とにんまりしているだろうか。
椎名吉平から話が横にそれた。
母親は木津町のある一角で育っている。
人間の縁とは不思議なものだ。
さて外出の支度です。
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