洗濯を取ったり家事をしていると雨が降っていたのかとやっと気がつく。
またあわただしい取材現場になりそうだ。
1時から4時までの時間が決められている。たぶん大丈夫とは思いながらも専門的なことは何もわからない。何度聞いても理解できないことは何度も聞くと時間をとってしまう。
できるだけ頭にいれないといけないが専門的なことになるとメモが重要になってくる。
私の取材メモは走り書き、人に絶対に見せられないという悪筆である。
そんなことであわただしいがしっかりしてかえらないといけない。
昨日は疲れているのかもう9時過ぎてくると眠くてしょうがない。
居眠りしながらテレビの料理番組を見ていたがもう睡魔には勝てない。9時45分にふとんの中に入った。
あとは朝までぐっすり寝た。
目が覚めると5時半、またうつうつと居眠りをしておきると6時5分前、
6時におきるとトイレに行きたい。
トイレに行くとまた緩い便がでる。
何か食べ物が悪かったのだろうか。私は昨日、頂き物のレトロカレーを温めて夕食の1つにしたがカレーがいけなかったのか。わからない。
昨日は他に冷奴、ピーマンとコンニャクの炒め物、油揚げのぬた和えは前の夕食の残り、夫が買ってあったクジラ肉、酢味噌で食べる白い食材(名前が出てこない)これかな。クジラの何とかだったのか。
それでも夫には豆腐の味噌汁を作って朝食の準備、冷蔵庫にある保存食と一緒に朝食、毎日りんごを1個を夫と半分づつ食べる。ヨーグルト1個、私はパン食で食パン1枚にきなこ牛乳が入る朝食である。
朝食を食べていると中国の地震の状況を伝えるニュースをしている。
7万人の死亡者に想像がつかない。
中国の国土の大きさと人口の多さが分かる。
どんな規模の地震なのだろうか。
阪神大震災で約6000人が亡くなった。
10日目に入った震災現場の取材、初めて見る家屋の全壊、半壊、道路の寸断、ぽっかり穴のあいた陥没した道路、2階が1階になっている建物、グニャグニヤになった建物そして体育館に集まった人たちのすごい数、あの光景も初めてみた体験は強烈だった。
地震は人間の力では予想もできない。
人間の小ささを痛感した。
それから12年も過ぎてしまった。
今、神戸の町に行くと新しく建てられた住居が並ぶ。
新しい住居に気がついた。
屋根瓦の家が少なくなった。
震災時、倒れなかった家がプレハブ住宅だったという。
瓦の重みも左右したといわれている。また壁の筋交いが多い家は倒壊が少なかったといわれている。それから耐震構造が言われだした。
耐震構造は人々に強烈な印象を与えた。
耐震構造は立替の建物に影響している。
日本公立学校の建物は大方40年、50年まえに建てられたので今、公立学校の立替に入っている。この数年内に立て替えていくという。
そして次は私学だという。
韓国系民族学校もまた総連系民族学校も建て替えの時期に来ていていずれその時期が来るという。南港に移転した韓国系の民族学校は多くの人の支援を得て新校舎が建てられた。しばらく心配はない。
多くの人の心配と葛藤と支援で立てられた学校、子どもたちはそのことをよく知っていて毎日の掃除は小学生から高校生そして教師たちが精をだしてしている。校舎はいつ行ってもぴかぴかに磨かれている。
1条校認可なので現在の学校教育にそって作られているのでエレベーターも完備されている。そして何より校舎から大阪湾が一望できている。全校生徒366人だがまだ中途入学もあって増えている。
アットホームな学校、教師と児童・生徒たちが一丸になっている学校は新校舎に移転しても変らない。この雰囲気が口コミで伝わって日本公立学校の日本人生徒の転校生も増えている。日本公立学校で元気がなかった子どもがこの学校に通うことになって元気になって無事小学校を卒業して行かれる。韓国が好きになった子どもは中学・高校と進み韓国の大学に留学する子どももいる。
この学校で学ぶと韓国語はそれなりにできるので韓国に留学しても韓国語の勉強1年をすることがないので韓国の大学に入学されている。
元気をもらう学校そして教師たちと子どもの連帯感が大人になっても相手を思いやる子どもに育っている。
もう1校韓国系の民族学校が住吉区にある。
ここは昔から特進コースを設置して進路対策に取り組んできた。
優秀な生徒は教師が一丸となって大学進学のために取り組み国公立の大学に進学させている。今年は東大に現役で1人が入学した。先日、この生徒の母親にあった。いつもよく出合っている人で普通のお母さんである。
私は思わず「毎晩ムチを持って勉強させたのか」と冗談でいったほどだった。彼女は「そんなことない」というのでまた私は「だったら頭が相当いいのか」と聞くと「違う。教師たちのおかげです」と話す。日本の学校だったらおざなりにされているところを教師たちは優秀な生徒の補修授業を親身にしたからだという。なるほど。韓国系民族学校は在日韓国人、本国の韓国人、日本人教師といるが在日韓国人教師は自分たちの苦労の体験を知っている。しかし時代が変ったことにも気がついている。優秀な生徒は国公立の大学に進学させそして韓国語も十分に勉強させている。東大に合格した生徒は韓国語が4級資格に合格している(韓国では6級が最上級)東大を卒業するとソウル大学に留学したいという希望を持っている。彼はきっと韓日の架け橋に役立つ仕事をしてくれるだろうと思っている。
大阪にある韓国系民族学校、日本の助成そして韓国政府間の支援そして在日韓国人の支援で運営されている。1日1日真剣勝負で授業をしておられる。
南港にある小学校の授業は韓日双方の言葉をきちんと習得するために韓日双方の言葉で授業が行われている。これは全国でも珍しい授業である。教師たちの日夜の努力は言うまでもない。
在日韓国人の生徒がこの学校を卒業して韓国に留学して教職免許を取って日本に戻ってきて母校で教壇に立っている。訛りのない日本語で積み重ねた韓国語で授業している。私はこの授業を見たときは感動した。教師たちは将来の展望を考えて取り組んでおられる。こうした口コミが児童・生徒増加につながっている。もう1方の韓国系民族学校、進路対策に取り組んできた。しかし今度はまた心配事が1つ出てきた。耐震構造で学校立替の時期にきている。
いずれ私学の番になってくるがそのときまた1つの心配事である。
学校関係者はこれから大変である。
日本人から見ると民族学校の意味は理解できないと思うがここで暮らした1世、2世の生活史、たとえ日本国籍をとってもルーツは同じ、ルーツを知るためには大切な学校である。いくら帰化しても必ず自分の出自に葛藤する。ないことはない。必ずある。私は身をもって体験したので日本国籍を取るのはやめた。
「ありのままで生きる」このことの大切さ、自分自身の生き方だと長い間の人生の中で分かった。
日本政府は自動的に日本国籍にしたとしても韓国系、朝鮮系日本人ということをきちんと踏まえて欲しい。同化をしてはいけないと私なりの持論である。
自分の中にある血はどうすることもできない。
先日、大阪城公園で韓日マダンがあったが韓国の歌に踊りだす40代、50代の人がいた。顔は日本の風土で生きたので日本人的な風貌になっている。
それが彼女たちはいう。
「血がさせるのか。じっとしていられない。体が自然に動いているのです。韓国の歌にひきつけられて思わず舞台の前にきてしまいました」と話していた。
そうなんだ。やっぱりそうなんだと思った。
体がそうさせる。遅いのか早いのかそれはわからない。そんなときは自分の鬱積した心にさかわらないで前に向いてでてほしい。たとえ日本国籍を取っていてもそうなったときは前にでてほしい。それもその人自身の人生です。それから帰化した韓国人としてありまののに生きて欲しいと願う。
私は5年間、日本の雑誌記者をしたが4年目から「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」葛藤にさいなまれて韓国語を習いに行った。あのときの気持は今も忘れない。
必ず自分と向き合うときがくると確信している。
そうおもう。
だからそんなときに民族と向き合う機関があるということは救われる。
そういうみで民族学校は大切な機関であると年を重ねて思う。
これから学校建て替えの時期に入るとまた悩みが増える。
一緒に考えなければならない。日本植民地時代背景があるということも知ってもらいたい。
またあわただしい取材現場になりそうだ。
1時から4時までの時間が決められている。たぶん大丈夫とは思いながらも専門的なことは何もわからない。何度聞いても理解できないことは何度も聞くと時間をとってしまう。
できるだけ頭にいれないといけないが専門的なことになるとメモが重要になってくる。
私の取材メモは走り書き、人に絶対に見せられないという悪筆である。
そんなことであわただしいがしっかりしてかえらないといけない。
昨日は疲れているのかもう9時過ぎてくると眠くてしょうがない。
居眠りしながらテレビの料理番組を見ていたがもう睡魔には勝てない。9時45分にふとんの中に入った。
あとは朝までぐっすり寝た。
目が覚めると5時半、またうつうつと居眠りをしておきると6時5分前、
6時におきるとトイレに行きたい。
トイレに行くとまた緩い便がでる。
何か食べ物が悪かったのだろうか。私は昨日、頂き物のレトロカレーを温めて夕食の1つにしたがカレーがいけなかったのか。わからない。
昨日は他に冷奴、ピーマンとコンニャクの炒め物、油揚げのぬた和えは前の夕食の残り、夫が買ってあったクジラ肉、酢味噌で食べる白い食材(名前が出てこない)これかな。クジラの何とかだったのか。
それでも夫には豆腐の味噌汁を作って朝食の準備、冷蔵庫にある保存食と一緒に朝食、毎日りんごを1個を夫と半分づつ食べる。ヨーグルト1個、私はパン食で食パン1枚にきなこ牛乳が入る朝食である。
朝食を食べていると中国の地震の状況を伝えるニュースをしている。
7万人の死亡者に想像がつかない。
中国の国土の大きさと人口の多さが分かる。
どんな規模の地震なのだろうか。
阪神大震災で約6000人が亡くなった。
10日目に入った震災現場の取材、初めて見る家屋の全壊、半壊、道路の寸断、ぽっかり穴のあいた陥没した道路、2階が1階になっている建物、グニャグニヤになった建物そして体育館に集まった人たちのすごい数、あの光景も初めてみた体験は強烈だった。
地震は人間の力では予想もできない。
人間の小ささを痛感した。
それから12年も過ぎてしまった。
今、神戸の町に行くと新しく建てられた住居が並ぶ。
新しい住居に気がついた。
屋根瓦の家が少なくなった。
震災時、倒れなかった家がプレハブ住宅だったという。
瓦の重みも左右したといわれている。また壁の筋交いが多い家は倒壊が少なかったといわれている。それから耐震構造が言われだした。
耐震構造は人々に強烈な印象を与えた。
耐震構造は立替の建物に影響している。
日本公立学校の建物は大方40年、50年まえに建てられたので今、公立学校の立替に入っている。この数年内に立て替えていくという。
そして次は私学だという。
韓国系民族学校もまた総連系民族学校も建て替えの時期に来ていていずれその時期が来るという。南港に移転した韓国系の民族学校は多くの人の支援を得て新校舎が建てられた。しばらく心配はない。
多くの人の心配と葛藤と支援で立てられた学校、子どもたちはそのことをよく知っていて毎日の掃除は小学生から高校生そして教師たちが精をだしてしている。校舎はいつ行ってもぴかぴかに磨かれている。
1条校認可なので現在の学校教育にそって作られているのでエレベーターも完備されている。そして何より校舎から大阪湾が一望できている。全校生徒366人だがまだ中途入学もあって増えている。
アットホームな学校、教師と児童・生徒たちが一丸になっている学校は新校舎に移転しても変らない。この雰囲気が口コミで伝わって日本公立学校の日本人生徒の転校生も増えている。日本公立学校で元気がなかった子どもがこの学校に通うことになって元気になって無事小学校を卒業して行かれる。韓国が好きになった子どもは中学・高校と進み韓国の大学に留学する子どももいる。
この学校で学ぶと韓国語はそれなりにできるので韓国に留学しても韓国語の勉強1年をすることがないので韓国の大学に入学されている。
元気をもらう学校そして教師たちと子どもの連帯感が大人になっても相手を思いやる子どもに育っている。
もう1校韓国系の民族学校が住吉区にある。
ここは昔から特進コースを設置して進路対策に取り組んできた。
優秀な生徒は教師が一丸となって大学進学のために取り組み国公立の大学に進学させている。今年は東大に現役で1人が入学した。先日、この生徒の母親にあった。いつもよく出合っている人で普通のお母さんである。
私は思わず「毎晩ムチを持って勉強させたのか」と冗談でいったほどだった。彼女は「そんなことない」というのでまた私は「だったら頭が相当いいのか」と聞くと「違う。教師たちのおかげです」と話す。日本の学校だったらおざなりにされているところを教師たちは優秀な生徒の補修授業を親身にしたからだという。なるほど。韓国系民族学校は在日韓国人、本国の韓国人、日本人教師といるが在日韓国人教師は自分たちの苦労の体験を知っている。しかし時代が変ったことにも気がついている。優秀な生徒は国公立の大学に進学させそして韓国語も十分に勉強させている。東大に合格した生徒は韓国語が4級資格に合格している(韓国では6級が最上級)東大を卒業するとソウル大学に留学したいという希望を持っている。彼はきっと韓日の架け橋に役立つ仕事をしてくれるだろうと思っている。
大阪にある韓国系民族学校、日本の助成そして韓国政府間の支援そして在日韓国人の支援で運営されている。1日1日真剣勝負で授業をしておられる。
南港にある小学校の授業は韓日双方の言葉をきちんと習得するために韓日双方の言葉で授業が行われている。これは全国でも珍しい授業である。教師たちの日夜の努力は言うまでもない。
在日韓国人の生徒がこの学校を卒業して韓国に留学して教職免許を取って日本に戻ってきて母校で教壇に立っている。訛りのない日本語で積み重ねた韓国語で授業している。私はこの授業を見たときは感動した。教師たちは将来の展望を考えて取り組んでおられる。こうした口コミが児童・生徒増加につながっている。もう1方の韓国系民族学校、進路対策に取り組んできた。しかし今度はまた心配事が1つ出てきた。耐震構造で学校立替の時期にきている。
いずれ私学の番になってくるがそのときまた1つの心配事である。
学校関係者はこれから大変である。
日本人から見ると民族学校の意味は理解できないと思うがここで暮らした1世、2世の生活史、たとえ日本国籍をとってもルーツは同じ、ルーツを知るためには大切な学校である。いくら帰化しても必ず自分の出自に葛藤する。ないことはない。必ずある。私は身をもって体験したので日本国籍を取るのはやめた。
「ありのままで生きる」このことの大切さ、自分自身の生き方だと長い間の人生の中で分かった。
日本政府は自動的に日本国籍にしたとしても韓国系、朝鮮系日本人ということをきちんと踏まえて欲しい。同化をしてはいけないと私なりの持論である。
自分の中にある血はどうすることもできない。
先日、大阪城公園で韓日マダンがあったが韓国の歌に踊りだす40代、50代の人がいた。顔は日本の風土で生きたので日本人的な風貌になっている。
それが彼女たちはいう。
「血がさせるのか。じっとしていられない。体が自然に動いているのです。韓国の歌にひきつけられて思わず舞台の前にきてしまいました」と話していた。
そうなんだ。やっぱりそうなんだと思った。
体がそうさせる。遅いのか早いのかそれはわからない。そんなときは自分の鬱積した心にさかわらないで前に向いてでてほしい。たとえ日本国籍を取っていてもそうなったときは前にでてほしい。それもその人自身の人生です。それから帰化した韓国人としてありまののに生きて欲しいと願う。
私は5年間、日本の雑誌記者をしたが4年目から「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」葛藤にさいなまれて韓国語を習いに行った。あのときの気持は今も忘れない。
必ず自分と向き合うときがくると確信している。
そうおもう。
だからそんなときに民族と向き合う機関があるということは救われる。
そういうみで民族学校は大切な機関であると年を重ねて思う。
これから学校建て替えの時期に入るとまた悩みが増える。
一緒に考えなければならない。日本植民地時代背景があるということも知ってもらいたい。
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