バス停に向かった。10分の余裕があった。
那覇空港でとんだハプニングになった。
沖縄ではもう参議院議員の選挙が始まっている。
私の高校の同級生は在日韓国人女性のご主人が選挙に出馬するということで在日韓国人女性を連れてきた。民団新聞の愛読者でもあった。
ご主人出馬をする奥さんは在日韓国人の2世で大阪出身の人である。
同級生はサンダーアーキーというお菓子をもってきてくれた。
同級生が嫁のところにもって行くといったが向こうが若いから私は嫁を読んだ。喫茶店で隣り合わせに食事をしているところだった。
私も何も言わないでよかったが思わず選挙に出られるということを話した。
そして在日韓国人の生活も知ってほしい。私は選挙のことの付き合いを考えていなかった。在日韓国人の女性を私以外に知ってほしい思って電話番号を教えたらといった。
嫁は嫌そうな顔をしたのを同級生が察知したので同級生はお母さんを通してということなになった。
若い息子夫婦には選挙の応援を頼まれてもしないと私は安易に考えていた。
ただ在日韓国人の女性も知ってほしいということで紹介だけだった。
ここからもうすでに見解の相違になっていた。
違う見解に取られた。私の未熟だが息子夫婦もまだまだ未熟である。
同級生と在日韓国人の女性とひとしきり話して夫たちとの待ち合わせの場所に行った。それがあちらこちらと分からなくなってうろうろすることになったが会うことができた。私が同級生たちと話している間に嫁は息子に何かを話したのだろう。
夫は見送りに来てくれた私の同級生に会うなり同級生たちに「いっさい、これから息子たちのところに連絡をしないで下さい。選挙運動は嫌いですから」と言った。
私は驚いた。びっくりした。
どうしてこんなことは後から私にいえば済むことなのにと思った。
もうストレートにじかに私の目の前でいう。
私は同級生たちに「ごめんね。こめんね」と謝った。こんな親の姿をみて内心、ほくそえんでいる息子夫婦にものすごく腹がたった。
息子は何もいわなかったら私があいまいにして家の電話番号を教えると思ったのだろうか。息子が後で「電話番号教えないで。選挙が嫌いだから」といえば「私は分かった」というはずだ。前にもさんなことがあったので「教えていなかったではないか」-------。いつからそんな親に偉そうな口を利くようになったのか。この方がショックだった。
同級生とはそこで別れて私は夫の飛行機のチケットを鞄の中にはいているが「こんなところで言わなくてもよかったのに」と夫に一言言って足早にトイレに駆け込んだ。涙があふれそうになったのをこらえながら出発ロビーに行くと夫はいない。携帯で呼び出しても夫は電話をとったと思ったら切れてしまう。
息子に何度か電話をするが息子は電話を取らないで私を無視している。
私は息子を怒るために電話をかけているのではない。
夫の居所を探すために電話をしているのに電話をとらない。
また夫の電話に携帯をした。とらない。
そしてすぐに夫から私の携帯に電話が入った。
そしたら夫は出発ロビーで警察か入管か知らないが一緒に待っている。私は夫と一緒だったので夫の通名でチケット買っていた。
夫が出発口で「おい」と呼んだ。
そしたらその警官か入管かしらないが私のところにきて2枚のチケットを確認した。そしてチケットを取りに来た人は私に「カネサダヤスコさんですね」と言って夫のチケットを1枚もっていた。
私は「トイレに入っていてはぐれてしまってすみません」と言った。
そして私が先に出発ロビーを入ると夫がやっと入ってきた。
どう考えても分からないのが夫は私がくるまでどうして出発ロビーでそのまま待っていなかったのか。夫は先に入ったばかりと思っている。いくらなんでもチケットがなかったら入れないことは私は分かっている。いくら怒っていてもチケットを必ず渡す。
足早に歩いたときに気がついた。チケットを私が持っていると。しかし振り向かなかった。息子夫婦の顔も見たくなかった。孫だけには「さいなら」と言って言葉をかけたが息子夫婦には何もていわず足早にそこを立ち去った。
ものすごいショックだった。
嫁は言う。なに。うちの息子がこてこての関西弁だったが今は関西弁使わない。
だから変な標準語使っているのでこのほうが親として聞き苦しいのである。
なに。関西弁のどこがわるいの。同級生と在日韓国人の女性も関西出身で関西弁ばかりで話していたらそういうことを言う。
どこが関西弁が悪いの。こんなことすべて息子の生んだ在日韓国人の親を否定しているのと同じことであるとどうして息子たち夫婦は気がつかないのだろうか。
私の育て方が悪かったのかと私はこの方に頭をももたげてショックを受けている。
話は元に戻して出発ロビーのところである。
夫は警官か入管に「家内が先に入っている」と言ってチケットなしで出発ロピーに入ろうとしたのか。このことが理解できない。チケットがなかったら絶対にはいれないのに-----。ここが私は理解できないのでまた夫に腹がたった。
そして飛行機の中では夫よりも息子と嫁の態度にショックを受けてずっと涙がとまらなかった。
息子は同級生たちに選挙には関係しないと自分が言うというのを夫が止めて夫が同級生たちの前で話した。
私の立場の何もない。こんなときに私はつい在日韓国人と日本人のありかたを考えてしまう。安易に選挙運動をしないと在日韓国人の女性の前でいうことは在日韓国人女性を否定していると私と息子夫婦の解釈が違う。
私は考えがまた違う。「在日韓国人とはつきあいたくない」という意味にしかとれない。在日韓国人として在日韓国人の中で仕事をしていた私はこんな風に考えてしまう。在日韓国人の複雑な心情を理解していない日本人の嫁にショックを受けた。
そして思う。日本人のふるまい、裏表の使い方のズル賢さを思ってしまう。
だから息子には付き合っているときに「別れて帰ってきたら」と何度も手紙を書いたことを思い出してしまう。母親は2世である。父親も2世である。
このことを踏まえて物事を一呼吸置いて考えてほしかった。
私の育て方が悪かったのか飛行機の中でずっと後悔の念にさらされて落ち込んだ。嫁も在日韓国人の3世と結婚したならここまでの見解を示してほしかった。
世間はまた゜若いではないというかもしれないが--------。
それを私が教育していない息子の存在に無性に腹が立った。
息子は結婚すると嫁のものになってしまうということ私は覚悟していた。だから息子とはつかず離れずにしてきた。
息子は沖縄の企業では1番大きい企業に就職してそれなりに仕事をこなして管理職になっているが日本人としての生きた方はそれでいいだろう。
しかし在日韓国人を親に持ったことは忘れてはならない。沖縄で同級生が空港まで訪ねてくる。在日韓国人の女性を紹介したくて連れてくるこのことを大切にしてほしかった。
私は息子にも嫁にも夫にも裏切られた気持ちで一杯である。1つ間違えば私が病気になるほどのショックを受けている。あまりにもショックが大きいので昨日奈良の自宅に戻ってきて時間はあったのに夕べはブログの書き込みができなかった。テレビをつけていてもボートしていた。
私は当たるところがないので夫に抗議ばかりしていた。
そしたら夫は「もういいかげんにせい。俺がイライラしてくる」と言ったので私は黙った。
私が結婚したころ私のいろんなことに夫のことを思い出した。「私の親を呼んで意見したこともあった。夫の母親もそうした」だから私は神経の病気になって何年も苦しんだ。
今朝も夫にまだ言い足りなくて文句を言った。
夫は息子が私に言うというのを俺が止めた。俺が言うといったというが私はまたここで夫に抗議する。
「あっそう。やっぱり嫁さんは他人で息子はわが子かだからかわいい。息子には甘くて私にはきついので侮辱的な言葉を吐ける。何も息子にそこで父親の威厳で俺がおかんにいうからお前はだまっとけとなぜいえなかったか。子どもには甘いが私にはきつい、いつもそうやって私をしめつけてきたのに。息子の嫁さんの家に電話して娘さんどんなしつけをしたのか電話してやりたいぐらい」と言ったら夫は「お前、そんなことするなよ。向こうの親には関係がないから」といったので私はまた夫に文句を言った。
「あんたのお母さんも私の親を呼び出して意見しやはったんやんか」と言ったら夫はぐっと黙ってしまった。その後、夫は「俺が悪かった。俺が悪い」と言っているが私は夫のことより息子夫婦の態度にショックを受けている。
だから、だからね同級生と在日韓国人の女性と4人で空港で会うつもりだったので、息子の送迎は断りユイレールで飛行場に向かうことにしていた。息子は半日休日にして私たちの送迎をするために仕事の段取りをしてきたというので仕方なしに息子の送迎に甘えた。
私は後悔している。やはり同級生たちとは夫の4人だけで会えばよかった。
息子にも腹がたつが息子に選挙のことを話した嫁も憎たらしい。
私が紹介したのは選挙のためでなく在日韓国人の女性だから紹介した。この心の奥が読めなかった嫁そして在日韓国人の親のルーツを忘れていく息子の浅はかさにものすごく落ち込んで今もショックがとれない。
ブログの書き込みをすれば私の家の内輪もめをされけだしてしまうと考えて昨日はブログの書き込みができなかった。1晩寝たのに心は鉛のように重たい。このままの状況では私が本当に病気になってしまう。
息子たち夫婦は後で私に選挙のことに関わらないと私に言えばよかったのに最高の侮辱を人前でやらかしてくれた。
それは息子の恥より私の息子たちの教育の悪さをさらけ出したことになる。
夫には私は「恥かき満開になった」といったら夫は「俺も恥をかいている」といった。おそらく夫の恥は出発ロビーで犯罪者に間違われたことだろうと私は思っている。在日韓国人の2世は日本人の嫁さんを貰った苦労をまた新たな精神的苦労を背負っている。気づくことになった。2世は死ぬまで民族の葛藤を繰り返していかなければならない苦悩にまた改めて気がついた。
私の心の傷はとうぶんとれないだろう。
1昨年、沖縄に行ったときも息子夫婦に不愉快に思いをしたので昨年はいかなかった。しかし夫は下の女の子は生まれた時しかみていないからとしきりにいう。このままいかなかったら私が夫に後悔すると考えて上の子どもの小学1年の準備のためら今年は沖縄旅行を準備した。そう何回も会わない親なのに息子たちの配慮が足りない。
同級生から携帯にメールが入った。私たちが配慮たりなかったといっていた。
私は選挙で紹介したのではない。在日韓国人女性として紹介したのにとおもっている。
本当に今度は心底、怒りを覚えて息子夫婦とは「縁切り」「縁切り」の言葉が頭の中でぐるぐるまわっている。在日韓国人としての苦悩がまだ続いている。こんなことはおそらく息子は気がついていないだろう。自分がどこから生まれてきたのか。
日本国籍になったただけで日本人になれるわけがないことを親が死んだら気がつくだろう。とうぶんの間、息子夫婦を許すことができない。最高の侮辱を人前でやらかした。その親の私は育て方が間違ったのか自己嫌悪になっている。
本名で大学に行き本名で就職していた息子、日本国籍になればこうも変わっていくのだろうか。帰化申請をするときに帰化しない親とは「縁切り」するように法務省が条件をつけたのだろうか。法務省は帰化申請にどんな手厳しい条件ほだしたのだろうか。
今日は現場に入る仕事があるのに心が鉛のように重たい。時間が解決してくれるのだろうか。
息子夫婦の恥をさらけ出して何もうれしいことはない。しかし言わなかったら私が病気になりそうだ。
嫁は在日韓国人の心情をまだまだ理解できていない。選挙のために紹介したのではない。この気持ちの見解に日本人の心の中にまだまだ在日コリアンに対する偏見を見るようだった。
若いからということで片付けようと何度も思ったがやはり在日韓国人の女性と私の最高の侮辱で偏見でもあり侮蔑であるとしか私は思えない。
ショックである。
那覇空港でとんだハプニングになった。
沖縄ではもう参議院議員の選挙が始まっている。
私の高校の同級生は在日韓国人女性のご主人が選挙に出馬するということで在日韓国人女性を連れてきた。民団新聞の愛読者でもあった。
ご主人出馬をする奥さんは在日韓国人の2世で大阪出身の人である。
同級生はサンダーアーキーというお菓子をもってきてくれた。
同級生が嫁のところにもって行くといったが向こうが若いから私は嫁を読んだ。喫茶店で隣り合わせに食事をしているところだった。
私も何も言わないでよかったが思わず選挙に出られるということを話した。
そして在日韓国人の生活も知ってほしい。私は選挙のことの付き合いを考えていなかった。在日韓国人の女性を私以外に知ってほしい思って電話番号を教えたらといった。
嫁は嫌そうな顔をしたのを同級生が察知したので同級生はお母さんを通してということなになった。
若い息子夫婦には選挙の応援を頼まれてもしないと私は安易に考えていた。
ただ在日韓国人の女性も知ってほしいということで紹介だけだった。
ここからもうすでに見解の相違になっていた。
違う見解に取られた。私の未熟だが息子夫婦もまだまだ未熟である。
同級生と在日韓国人の女性とひとしきり話して夫たちとの待ち合わせの場所に行った。それがあちらこちらと分からなくなってうろうろすることになったが会うことができた。私が同級生たちと話している間に嫁は息子に何かを話したのだろう。
夫は見送りに来てくれた私の同級生に会うなり同級生たちに「いっさい、これから息子たちのところに連絡をしないで下さい。選挙運動は嫌いですから」と言った。
私は驚いた。びっくりした。
どうしてこんなことは後から私にいえば済むことなのにと思った。
もうストレートにじかに私の目の前でいう。
私は同級生たちに「ごめんね。こめんね」と謝った。こんな親の姿をみて内心、ほくそえんでいる息子夫婦にものすごく腹がたった。
息子は何もいわなかったら私があいまいにして家の電話番号を教えると思ったのだろうか。息子が後で「電話番号教えないで。選挙が嫌いだから」といえば「私は分かった」というはずだ。前にもさんなことがあったので「教えていなかったではないか」-------。いつからそんな親に偉そうな口を利くようになったのか。この方がショックだった。
同級生とはそこで別れて私は夫の飛行機のチケットを鞄の中にはいているが「こんなところで言わなくてもよかったのに」と夫に一言言って足早にトイレに駆け込んだ。涙があふれそうになったのをこらえながら出発ロビーに行くと夫はいない。携帯で呼び出しても夫は電話をとったと思ったら切れてしまう。
息子に何度か電話をするが息子は電話を取らないで私を無視している。
私は息子を怒るために電話をかけているのではない。
夫の居所を探すために電話をしているのに電話をとらない。
また夫の電話に携帯をした。とらない。
そしてすぐに夫から私の携帯に電話が入った。
そしたら夫は出発ロビーで警察か入管か知らないが一緒に待っている。私は夫と一緒だったので夫の通名でチケット買っていた。
夫が出発口で「おい」と呼んだ。
そしたらその警官か入管かしらないが私のところにきて2枚のチケットを確認した。そしてチケットを取りに来た人は私に「カネサダヤスコさんですね」と言って夫のチケットを1枚もっていた。
私は「トイレに入っていてはぐれてしまってすみません」と言った。
そして私が先に出発ロビーを入ると夫がやっと入ってきた。
どう考えても分からないのが夫は私がくるまでどうして出発ロビーでそのまま待っていなかったのか。夫は先に入ったばかりと思っている。いくらなんでもチケットがなかったら入れないことは私は分かっている。いくら怒っていてもチケットを必ず渡す。
足早に歩いたときに気がついた。チケットを私が持っていると。しかし振り向かなかった。息子夫婦の顔も見たくなかった。孫だけには「さいなら」と言って言葉をかけたが息子夫婦には何もていわず足早にそこを立ち去った。
ものすごいショックだった。
嫁は言う。なに。うちの息子がこてこての関西弁だったが今は関西弁使わない。
だから変な標準語使っているのでこのほうが親として聞き苦しいのである。
なに。関西弁のどこがわるいの。同級生と在日韓国人の女性も関西出身で関西弁ばかりで話していたらそういうことを言う。
どこが関西弁が悪いの。こんなことすべて息子の生んだ在日韓国人の親を否定しているのと同じことであるとどうして息子たち夫婦は気がつかないのだろうか。
私の育て方が悪かったのかと私はこの方に頭をももたげてショックを受けている。
話は元に戻して出発ロビーのところである。
夫は警官か入管に「家内が先に入っている」と言ってチケットなしで出発ロピーに入ろうとしたのか。このことが理解できない。チケットがなかったら絶対にはいれないのに-----。ここが私は理解できないのでまた夫に腹がたった。
そして飛行機の中では夫よりも息子と嫁の態度にショックを受けてずっと涙がとまらなかった。
息子は同級生たちに選挙には関係しないと自分が言うというのを夫が止めて夫が同級生たちの前で話した。
私の立場の何もない。こんなときに私はつい在日韓国人と日本人のありかたを考えてしまう。安易に選挙運動をしないと在日韓国人の女性の前でいうことは在日韓国人女性を否定していると私と息子夫婦の解釈が違う。
私は考えがまた違う。「在日韓国人とはつきあいたくない」という意味にしかとれない。在日韓国人として在日韓国人の中で仕事をしていた私はこんな風に考えてしまう。在日韓国人の複雑な心情を理解していない日本人の嫁にショックを受けた。
そして思う。日本人のふるまい、裏表の使い方のズル賢さを思ってしまう。
だから息子には付き合っているときに「別れて帰ってきたら」と何度も手紙を書いたことを思い出してしまう。母親は2世である。父親も2世である。
このことを踏まえて物事を一呼吸置いて考えてほしかった。
私の育て方が悪かったのか飛行機の中でずっと後悔の念にさらされて落ち込んだ。嫁も在日韓国人の3世と結婚したならここまでの見解を示してほしかった。
世間はまた゜若いではないというかもしれないが--------。
それを私が教育していない息子の存在に無性に腹が立った。
息子は結婚すると嫁のものになってしまうということ私は覚悟していた。だから息子とはつかず離れずにしてきた。
息子は沖縄の企業では1番大きい企業に就職してそれなりに仕事をこなして管理職になっているが日本人としての生きた方はそれでいいだろう。
しかし在日韓国人を親に持ったことは忘れてはならない。沖縄で同級生が空港まで訪ねてくる。在日韓国人の女性を紹介したくて連れてくるこのことを大切にしてほしかった。
私は息子にも嫁にも夫にも裏切られた気持ちで一杯である。1つ間違えば私が病気になるほどのショックを受けている。あまりにもショックが大きいので昨日奈良の自宅に戻ってきて時間はあったのに夕べはブログの書き込みができなかった。テレビをつけていてもボートしていた。
私は当たるところがないので夫に抗議ばかりしていた。
そしたら夫は「もういいかげんにせい。俺がイライラしてくる」と言ったので私は黙った。
私が結婚したころ私のいろんなことに夫のことを思い出した。「私の親を呼んで意見したこともあった。夫の母親もそうした」だから私は神経の病気になって何年も苦しんだ。
今朝も夫にまだ言い足りなくて文句を言った。
夫は息子が私に言うというのを俺が止めた。俺が言うといったというが私はまたここで夫に抗議する。
「あっそう。やっぱり嫁さんは他人で息子はわが子かだからかわいい。息子には甘くて私にはきついので侮辱的な言葉を吐ける。何も息子にそこで父親の威厳で俺がおかんにいうからお前はだまっとけとなぜいえなかったか。子どもには甘いが私にはきつい、いつもそうやって私をしめつけてきたのに。息子の嫁さんの家に電話して娘さんどんなしつけをしたのか電話してやりたいぐらい」と言ったら夫は「お前、そんなことするなよ。向こうの親には関係がないから」といったので私はまた夫に文句を言った。
「あんたのお母さんも私の親を呼び出して意見しやはったんやんか」と言ったら夫はぐっと黙ってしまった。その後、夫は「俺が悪かった。俺が悪い」と言っているが私は夫のことより息子夫婦の態度にショックを受けている。
だから、だからね同級生と在日韓国人の女性と4人で空港で会うつもりだったので、息子の送迎は断りユイレールで飛行場に向かうことにしていた。息子は半日休日にして私たちの送迎をするために仕事の段取りをしてきたというので仕方なしに息子の送迎に甘えた。
私は後悔している。やはり同級生たちとは夫の4人だけで会えばよかった。
息子にも腹がたつが息子に選挙のことを話した嫁も憎たらしい。
私が紹介したのは選挙のためでなく在日韓国人の女性だから紹介した。この心の奥が読めなかった嫁そして在日韓国人の親のルーツを忘れていく息子の浅はかさにものすごく落ち込んで今もショックがとれない。
ブログの書き込みをすれば私の家の内輪もめをされけだしてしまうと考えて昨日はブログの書き込みができなかった。1晩寝たのに心は鉛のように重たい。このままの状況では私が本当に病気になってしまう。
息子たち夫婦は後で私に選挙のことに関わらないと私に言えばよかったのに最高の侮辱を人前でやらかしてくれた。
それは息子の恥より私の息子たちの教育の悪さをさらけ出したことになる。
夫には私は「恥かき満開になった」といったら夫は「俺も恥をかいている」といった。おそらく夫の恥は出発ロビーで犯罪者に間違われたことだろうと私は思っている。在日韓国人の2世は日本人の嫁さんを貰った苦労をまた新たな精神的苦労を背負っている。気づくことになった。2世は死ぬまで民族の葛藤を繰り返していかなければならない苦悩にまた改めて気がついた。
私の心の傷はとうぶんとれないだろう。
1昨年、沖縄に行ったときも息子夫婦に不愉快に思いをしたので昨年はいかなかった。しかし夫は下の女の子は生まれた時しかみていないからとしきりにいう。このままいかなかったら私が夫に後悔すると考えて上の子どもの小学1年の準備のためら今年は沖縄旅行を準備した。そう何回も会わない親なのに息子たちの配慮が足りない。
同級生から携帯にメールが入った。私たちが配慮たりなかったといっていた。
私は選挙で紹介したのではない。在日韓国人女性として紹介したのにとおもっている。
本当に今度は心底、怒りを覚えて息子夫婦とは「縁切り」「縁切り」の言葉が頭の中でぐるぐるまわっている。在日韓国人としての苦悩がまだ続いている。こんなことはおそらく息子は気がついていないだろう。自分がどこから生まれてきたのか。
日本国籍になったただけで日本人になれるわけがないことを親が死んだら気がつくだろう。とうぶんの間、息子夫婦を許すことができない。最高の侮辱を人前でやらかした。その親の私は育て方が間違ったのか自己嫌悪になっている。
本名で大学に行き本名で就職していた息子、日本国籍になればこうも変わっていくのだろうか。帰化申請をするときに帰化しない親とは「縁切り」するように法務省が条件をつけたのだろうか。法務省は帰化申請にどんな手厳しい条件ほだしたのだろうか。
今日は現場に入る仕事があるのに心が鉛のように重たい。時間が解決してくれるのだろうか。
息子夫婦の恥をさらけ出して何もうれしいことはない。しかし言わなかったら私が病気になりそうだ。
嫁は在日韓国人の心情をまだまだ理解できていない。選挙のために紹介したのではない。この気持ちの見解に日本人の心の中にまだまだ在日コリアンに対する偏見を見るようだった。
若いからということで片付けようと何度も思ったがやはり在日韓国人の女性と私の最高の侮辱で偏見でもあり侮蔑であるとしか私は思えない。
ショックである。
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