緊急事項なので編集スタッフが工場に入って新聞印刷作業に入っているところに電話をしないといけない。
昨日は1日、大阪にいたので夕方戻ると夕食の支度、そのうち夫が帰ってきて夕食をしてからのパソコンを開けることになった。
メールで緊急事項知らせたが果たしてスタッフたちはまだいただろうか。
分からない。
朝から工場に資料をFAX送信したものの気になるので電話をしないといけない。
工場にはめったに電話をしないがしかたがない。
今日はまた昨日の現場の原稿を作らないといけない。
仕事が立て続けに入っているので今日しないといけない。
明日は自分の所用だが自宅に戻るのが4時前後になるので何もできない。
急がない仕事がない限り夜にパソコンの前で仕事をすることは控えるようにしている。最近は睡眠不足が体調を壊しているので夜は緊急でないかぎりしないようにしている。
なるべく昼間にするようにしている。
韓国で好評を得て販売されている「B Bクリーム」、日本で売っているところを見つけた。高校時代の同級生がこのクリームを韓国で売っているところを知らないかという。私は韓国に買物で行っていない。ライフワークの取材のために行っていたが今年はちょっと休憩、1年に1回韓国に行って取材してきたが今年は休憩。10人取材したがあと数人はしないといけないが今年は韓国に行く気力がでてこない。気合をいれようと思っても出て来ない。
そして1月にお腹を壊して長引いた。韓国で私の食べるものがないので今年は休憩することにした。
そしたら同級生は買物しない私にびっくりしている。それでは皆、買物するために韓国に行っているかと初めて分かった。日本からの観光客は買物三昧だったのかと初めて分かった。
私は買物だけのためだったら韓国に行かない。ブランド商品にも関心がない。
韓国の衣服は日本の景色には合わないことは長年の韓国訪問で体験しているので衣服もよほどのことがないかぎり買わない。
そして日本から行った観光客には値段を吊り上げている。これも体験した。
私に日本語で「ブラウス1万円」という。そして値段の表示がハングルで1万ウオンと書かれていたので私はアジャマ(おばさん)に言った。
「アジュマ ムスマリエヨ イルマンウオンミニダ(おばさん 何を言っているの 1万ウオンです)」と張り紙を指差して言った。そしたらおばさんは「クレヨ(そうですか)」と言って知らん顔していた。
これは韓国で1番大きいといわれている南大門市場のことであった。
ある団体と同行取材に行った時に団体と一緒に南大門市場に買物に出かけたときのことだった。2000年ごろの話である。
日本円にすると1万ウオンは1000円である。
ハングルが読めなかったら1万円で買わされるところだ。
日本から行くと皆お金もちに見えるらしいがそうでないのにと私は心の中で思って歩いている。
在日韓国人の私も日本の風土、水、食材で育ったので日本人に見えるらしい。
たいていの店にいるアジュマは私に日本語で「安いですよ」と声をかける。
そして私は「イルボンニム アニミダ(日本人と違う)」というとやっと在日韓国人だと分かる。
そして金大中・盧武鉉政権時代は少し変った。
韓国ではけっして「朝鮮」という言葉がタブーだった。
だから朝鮮戦争は韓国動乱という。またはユギオ(6・25)という。
それがタクシーに乗って韓国語でどこに行って下さいと行き先を話して下手な韓国語で会話しているとタクシーの運転手は必ず言った。
「あなたは韓国語が上手ですが朝鮮学校をでたのですか」
こんなことは金泳三政権まで絶対にタクシーの運転手は言わなかった。
タクシーの運転手に勘違いされて国家機関に通報されたら大変だと判断して私は必ずタクシーの運転手に言う。
「私は日本の学校でているので韓国語はそんなにできません。それに北韓(プッカン)は嫌いです」というとようやくタクシーの運転手はうなずいて北朝鮮の話しをしなくなる。
どうしてこんな会話がでてくるのが不思議だった。
そして韓国で40年近く暮らす在日韓国人の男性とお会いして現在の在日コリアンが韓国で暮らす実態を話してくれた。
朝鮮学校を卒業して組織活動していた在日コリアン、拉致問題が浮上して北朝鮮支持者の朝鮮総連の人たちの多くが組織から離れた。
そして民団に行って韓国籍に切り替えることも性に合わない。
朝鮮総連に所属していた大方の在日コリアンは日本国籍に帰化した。
帰化して日本の銀行の融資を得て韓国で消費者金融業の会社を設立している。
タクシーに乗っても韓国語ができるので不自由がない。そして帰化したことを自慢げに話している。
こんな状況で「僕らは親の事業のために韓国にきた。韓国の発展に燃えてきたが彼らたちはお金もうけのために韓国にきているだけで僕らと考えが違う在日コリアンです」と話していた。
そして政権が変った。
韓国で盛んにデモが行われている。
何が関連しているのだろうか懸念をしている。
在日韓国人は未だに分断国家に翻弄されている。
とてもやるせない気持になってしまう。
政治色を抜いて本音で話し合いができるのはいつのことだろうか。
タクシーの運転手の言葉に私は何度も驚いたことがあった。
そしてタクシーの運転手はこんな言葉もよく言った。
「韓国に来たのは初めてですか」と聞く。
私は「1年に1・2回来ています」と「そうですか」とうなずかれて在日韓国人であることを認識している。この前に必ず「日本人ですか」と聞かれるので私は「在日韓国人です」という。
拉致被害者の問題が浮上して朝鮮総連の組織離れが多くなって韓国籍に変える人も多くなっている。韓国籍に切り替えた。そして政権は民主化運動で生涯を捧げた人たちが政権を取ってから韓国訪問は行きやすくなったことで多くのコリアンが韓国の訪問しているのだろう。
世相の移り変りにタクシーの運転手の言葉も変っていた。
話はもとに戻ることにしょう。
同級生にB Bクリームを御幸森コリアタウンで見つけたというので携帯電話で話した。欲しいといっていたので。そしたら韓国で買ってきてもらって手にはいったという。
同級生の1人とその姪と韓国旅行に近日に行くという。
もう1人の同級生は帰化した在日コリアンである。
私に電話の向こうで「チョーセン 嫌い」と叫んだ同級生である。
私は電話をかけた同級生に「そうですか。そしたら行ってきて下さい。私は○○が嫌いだから一緒に行く気になれません。あの人は自分では1番しっかりしているように思っているが私から見るとまだまだ子どもです。そして話す会話のしぐさはもう在日コリアンそのものです。私は見たらわかります」と言ったら彼女は「もう嫌いやったら一緒に行かんでいいや。気を使ってまでいくことないやんか」という。帰化した同級生はまだ自分の言葉がどれほど傷をつけているのか気がついていない。私以外にもう1人、仲の良かった同級生も帰化した同級生が来る集まりに決してこなくなった。この同級生の言葉が災いになっている。この同級生は日本人である。
どうりで同じ中学だった同級生がある日私に行ったことがあった。
○○さんとヒラカワさんとだったら昼ランチしたいと言った言葉がようやく
わかってきた。中学の同級生は賢いので何がどうとは言わなかったが-----。
何より帰化した彼女と行きたくない理由はもう1つある。
帰化したことを自慢げにする彼女、入管で日本国籍の赤いパスポートをこれみよがしに見せられるとムッとする。
今までも帰化した同胞のバスボート、入管でよく目にしたがなんとも思わなかった。その人その人の人生や思いがあると思っている。
しかし帰化した同級生に言われた「チョウーセン 嫌い」は深く私の心を傷つけた。今もその傷はとれていない。そこにまた韓国に行く同級生は「○○はそんなこと言わへんで」と彼女の肩を持つ。まだ彼女を買いかぶっている。
私は見ている。底意地の悪さを見ている。
そんな人は私の性にあわない。同じルーツを持つ人だから情があると思うがこれは別。そして帰化しない私に罵声を浴びたことも忘れていない。
彼女は人に害になる言葉を言っていてもなんとも思っていないのだろう。
だから私に母親の介護しなかったと怒りたくっている。
私の家は私の家で解決した問題。人にとやく言われることはない。母親は私の悪口を言っていたのは分かる。仕事ばかりしていたので怒っていた。
しかしホームヘルパーさんのおかげで母親の介護を助けてもらった。
人にとやかく言われることはない。母親はお金で解決して介護してもらってあの世に行ってしまった。
人のことをとやかくいうところは韓国のアジュマとそっくりである。
こんなところ彼女は見えていない。しかし私には見えている。
もうB Bクリームを話した同級生にも電話しないことに決めた。
今は心底腹がたっている。
「何も分かっていないあんたはアホや」といいたい。
昨日は1日、大阪にいたので夕方戻ると夕食の支度、そのうち夫が帰ってきて夕食をしてからのパソコンを開けることになった。
メールで緊急事項知らせたが果たしてスタッフたちはまだいただろうか。
分からない。
朝から工場に資料をFAX送信したものの気になるので電話をしないといけない。
工場にはめったに電話をしないがしかたがない。
今日はまた昨日の現場の原稿を作らないといけない。
仕事が立て続けに入っているので今日しないといけない。
明日は自分の所用だが自宅に戻るのが4時前後になるので何もできない。
急がない仕事がない限り夜にパソコンの前で仕事をすることは控えるようにしている。最近は睡眠不足が体調を壊しているので夜は緊急でないかぎりしないようにしている。
なるべく昼間にするようにしている。
韓国で好評を得て販売されている「B Bクリーム」、日本で売っているところを見つけた。高校時代の同級生がこのクリームを韓国で売っているところを知らないかという。私は韓国に買物で行っていない。ライフワークの取材のために行っていたが今年はちょっと休憩、1年に1回韓国に行って取材してきたが今年は休憩。10人取材したがあと数人はしないといけないが今年は韓国に行く気力がでてこない。気合をいれようと思っても出て来ない。
そして1月にお腹を壊して長引いた。韓国で私の食べるものがないので今年は休憩することにした。
そしたら同級生は買物しない私にびっくりしている。それでは皆、買物するために韓国に行っているかと初めて分かった。日本からの観光客は買物三昧だったのかと初めて分かった。
私は買物だけのためだったら韓国に行かない。ブランド商品にも関心がない。
韓国の衣服は日本の景色には合わないことは長年の韓国訪問で体験しているので衣服もよほどのことがないかぎり買わない。
そして日本から行った観光客には値段を吊り上げている。これも体験した。
私に日本語で「ブラウス1万円」という。そして値段の表示がハングルで1万ウオンと書かれていたので私はアジャマ(おばさん)に言った。
「アジュマ ムスマリエヨ イルマンウオンミニダ(おばさん 何を言っているの 1万ウオンです)」と張り紙を指差して言った。そしたらおばさんは「クレヨ(そうですか)」と言って知らん顔していた。
これは韓国で1番大きいといわれている南大門市場のことであった。
ある団体と同行取材に行った時に団体と一緒に南大門市場に買物に出かけたときのことだった。2000年ごろの話である。
日本円にすると1万ウオンは1000円である。
ハングルが読めなかったら1万円で買わされるところだ。
日本から行くと皆お金もちに見えるらしいがそうでないのにと私は心の中で思って歩いている。
在日韓国人の私も日本の風土、水、食材で育ったので日本人に見えるらしい。
たいていの店にいるアジュマは私に日本語で「安いですよ」と声をかける。
そして私は「イルボンニム アニミダ(日本人と違う)」というとやっと在日韓国人だと分かる。
そして金大中・盧武鉉政権時代は少し変った。
韓国ではけっして「朝鮮」という言葉がタブーだった。
だから朝鮮戦争は韓国動乱という。またはユギオ(6・25)という。
それがタクシーに乗って韓国語でどこに行って下さいと行き先を話して下手な韓国語で会話しているとタクシーの運転手は必ず言った。
「あなたは韓国語が上手ですが朝鮮学校をでたのですか」
こんなことは金泳三政権まで絶対にタクシーの運転手は言わなかった。
タクシーの運転手に勘違いされて国家機関に通報されたら大変だと判断して私は必ずタクシーの運転手に言う。
「私は日本の学校でているので韓国語はそんなにできません。それに北韓(プッカン)は嫌いです」というとようやくタクシーの運転手はうなずいて北朝鮮の話しをしなくなる。
どうしてこんな会話がでてくるのが不思議だった。
そして韓国で40年近く暮らす在日韓国人の男性とお会いして現在の在日コリアンが韓国で暮らす実態を話してくれた。
朝鮮学校を卒業して組織活動していた在日コリアン、拉致問題が浮上して北朝鮮支持者の朝鮮総連の人たちの多くが組織から離れた。
そして民団に行って韓国籍に切り替えることも性に合わない。
朝鮮総連に所属していた大方の在日コリアンは日本国籍に帰化した。
帰化して日本の銀行の融資を得て韓国で消費者金融業の会社を設立している。
タクシーに乗っても韓国語ができるので不自由がない。そして帰化したことを自慢げに話している。
こんな状況で「僕らは親の事業のために韓国にきた。韓国の発展に燃えてきたが彼らたちはお金もうけのために韓国にきているだけで僕らと考えが違う在日コリアンです」と話していた。
そして政権が変った。
韓国で盛んにデモが行われている。
何が関連しているのだろうか懸念をしている。
在日韓国人は未だに分断国家に翻弄されている。
とてもやるせない気持になってしまう。
政治色を抜いて本音で話し合いができるのはいつのことだろうか。
タクシーの運転手の言葉に私は何度も驚いたことがあった。
そしてタクシーの運転手はこんな言葉もよく言った。
「韓国に来たのは初めてですか」と聞く。
私は「1年に1・2回来ています」と「そうですか」とうなずかれて在日韓国人であることを認識している。この前に必ず「日本人ですか」と聞かれるので私は「在日韓国人です」という。
拉致被害者の問題が浮上して朝鮮総連の組織離れが多くなって韓国籍に変える人も多くなっている。韓国籍に切り替えた。そして政権は民主化運動で生涯を捧げた人たちが政権を取ってから韓国訪問は行きやすくなったことで多くのコリアンが韓国の訪問しているのだろう。
世相の移り変りにタクシーの運転手の言葉も変っていた。
話はもとに戻ることにしょう。
同級生にB Bクリームを御幸森コリアタウンで見つけたというので携帯電話で話した。欲しいといっていたので。そしたら韓国で買ってきてもらって手にはいったという。
同級生の1人とその姪と韓国旅行に近日に行くという。
もう1人の同級生は帰化した在日コリアンである。
私に電話の向こうで「チョーセン 嫌い」と叫んだ同級生である。
私は電話をかけた同級生に「そうですか。そしたら行ってきて下さい。私は○○が嫌いだから一緒に行く気になれません。あの人は自分では1番しっかりしているように思っているが私から見るとまだまだ子どもです。そして話す会話のしぐさはもう在日コリアンそのものです。私は見たらわかります」と言ったら彼女は「もう嫌いやったら一緒に行かんでいいや。気を使ってまでいくことないやんか」という。帰化した同級生はまだ自分の言葉がどれほど傷をつけているのか気がついていない。私以外にもう1人、仲の良かった同級生も帰化した同級生が来る集まりに決してこなくなった。この同級生の言葉が災いになっている。この同級生は日本人である。
どうりで同じ中学だった同級生がある日私に行ったことがあった。
○○さんとヒラカワさんとだったら昼ランチしたいと言った言葉がようやく
わかってきた。中学の同級生は賢いので何がどうとは言わなかったが-----。
何より帰化した彼女と行きたくない理由はもう1つある。
帰化したことを自慢げにする彼女、入管で日本国籍の赤いパスポートをこれみよがしに見せられるとムッとする。
今までも帰化した同胞のバスボート、入管でよく目にしたがなんとも思わなかった。その人その人の人生や思いがあると思っている。
しかし帰化した同級生に言われた「チョウーセン 嫌い」は深く私の心を傷つけた。今もその傷はとれていない。そこにまた韓国に行く同級生は「○○はそんなこと言わへんで」と彼女の肩を持つ。まだ彼女を買いかぶっている。
私は見ている。底意地の悪さを見ている。
そんな人は私の性にあわない。同じルーツを持つ人だから情があると思うがこれは別。そして帰化しない私に罵声を浴びたことも忘れていない。
彼女は人に害になる言葉を言っていてもなんとも思っていないのだろう。
だから私に母親の介護しなかったと怒りたくっている。
私の家は私の家で解決した問題。人にとやく言われることはない。母親は私の悪口を言っていたのは分かる。仕事ばかりしていたので怒っていた。
しかしホームヘルパーさんのおかげで母親の介護を助けてもらった。
人にとやかく言われることはない。母親はお金で解決して介護してもらってあの世に行ってしまった。
人のことをとやかくいうところは韓国のアジュマとそっくりである。
こんなところ彼女は見えていない。しかし私には見えている。
もうB Bクリームを話した同級生にも電話しないことに決めた。
今は心底腹がたっている。
「何も分かっていないあんたはアホや」といいたい。
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