しかし感想を書こうと思いながら日々の暮らしに追われてまた1週間が過ぎていく。「積極的その日暮らし」だが切り取って置いても日がどんどん過ぎていく。
友人のことだったり花のことだったりする。
年齢に関係することは若い時代のエッセイと違ってまた味わい深い文書に心魅せられて読んでいる。
今日はほんの少し時間がゆっくり流れている。そして思い出した。
落合恵子さんの「積極的その日暮らし」のエッセイ。
まだ一昨日のエッセイは記憶にある。
冷蔵庫にある食べ物を捨てる時の罪悪感のことだった。
思うことは同じなんだと思って読んでいた。
今は夏、痛みやすい。私はたいてい4・5日分の食材を買いだめをして冷蔵庫にいれている。それが林檎に隠れて見えなかった薄油揚げがでてきた。賞味期限が何日か過ぎていた。若い時はこれくらいの賞味期限切れは大丈夫だったのにこの頃はすぐに腹痛になる。
それで何日か前に捨ててしまった。
この時は気がつかなかった私が悪いということで捨てることに抵抗があるが捨てた。腹痛の痛さを思うと捨てるほうがいいと思って捨てた。
罪悪感にさいなまれる。
たいてい賞味期限を気にして食べているが大きい林檎の奥に薄油揚げのあることを確認しなかった私の罪悪感である。
魚や肉は半冷凍室に入れておくので常時その引き出しは開けているので気がついて使いこなしている。
落合恵子さんの友人はなんらかで活躍している人が多いので私と少し考えの違う人もいるが落合恵子さんが若い頃よく書いた言葉「私は私、あなたはあなた」と思って読んでいる。
私は今、仕事を持っているが結婚して15年は専業主婦をしていた。
当時の女性たちは特殊な技術や特技がない限り結婚すると会社を退社した。
私は子どもができるまでの勤務を言われたが結婚すれば家庭に入るものだと思っていた時代の風潮だったので辞めて主婦に専念した。
しかし主婦業とは退屈で自己主張のできない私は自分探しをしたいという葛藤にさいなまされた。夫の家族との葛藤もあって心の病になった。
心の病はさらに書くことに向かわせた。
落合恵子さんのエッセイを読み「私は私、あなたはあなた」という言葉にどれほど励まされたことか。そして毎週、感想文の手紙を書くことで私の生きがいを見つけていた。やっぱり書くことだった。
書くことはやがてもっと書くことにつながった。
子どもが小学校に入学するとPTA活動があった。
専業主婦の始めての社会参加だった。
友人・知人たちの活動の中で地方紙の投稿欄の投稿魔になって書くことに少しずつ広がっていった。
いろんなことがあった。そのたびに「あなたはあなた。私は私」と言う言葉と落合恵子さんの日々目立たなくても努力をしておられた生活スタイルにずいぶん仕事の中でも影響を受けた。
落合恵子さんの仕事の姿勢は今も変っていない。
同じ学年、1945年の1月生まれ、私は1944年の8月生まれ。同時代を生きたものとして共感するところがいっぱいあった。
高校卒業して落合恵子さんのことは雑誌で見かけて吉永小百合さんの対談でフアンだった吉永小百合さんより私の頭の中に記憶として残りずっと気になる存在の人だった。
週刊誌で見た「スプーンいっぱいの幸せ」のエッセイをむさぼるように読んだ。
フアンレターを出すほど虜になった。
そのフアンの気持に答えてくれて何度かお会いする機会に恵まれた。
仕事関係で東京の会議の後、1度は原宿のクレヨンハウスに訪ねたいと思いなから奈良に帰る気が急いていていつも会議が終わると新幹線の駅に直行して新幹線に乗っている。若い友人がクレヨンハウスに勤務しているのでなおさら訪問しないといけないのにいつも会議が終わると奈良の自宅にと気が急いている。
若い友人にはこのネットのことをメールでお知らせしている。
忙しい落合恵子さんの生活が想像できるので-----。
昨年は2人3脚で人生を歩んだお母さんが亡くなられて今年は一周忌を済ませられたことだろう。親戚も多く従姉妹も多いので毎日賑やかな生活だと思うが母親のことは一時も忘れることなく講演活動に全国を回っておられるだろう。
この前までは母親の介護ということで講演が終わるとすっとんで東京に戻っていかれた。
1度、夜に電話をしょうと思いなながら少し躊躇してしまう。
生きている道が違うので話題も変ってしまった。
電話で在日コリアンの人権問題は語れない。
季節事項の話になってしまう。夜中に原稿を作成する落合恵子さんに悪いと思って電話をかけるのをやめてしまう。
私も落合恵子さんも60歳を越えて60歳半ばに向かっている。
体の健康に気をつけてこれからの人生もしっかり足に地をつけて歩いていきたい。毎週土曜日の「積極的その日暮らし」は楽しんでよんでいる。
今日から月曜日、1週間が始まった。
よいしょっと掛け声をかけて1週間にダッシュ。
友人のことだったり花のことだったりする。
年齢に関係することは若い時代のエッセイと違ってまた味わい深い文書に心魅せられて読んでいる。
今日はほんの少し時間がゆっくり流れている。そして思い出した。
落合恵子さんの「積極的その日暮らし」のエッセイ。
まだ一昨日のエッセイは記憶にある。
冷蔵庫にある食べ物を捨てる時の罪悪感のことだった。
思うことは同じなんだと思って読んでいた。
今は夏、痛みやすい。私はたいてい4・5日分の食材を買いだめをして冷蔵庫にいれている。それが林檎に隠れて見えなかった薄油揚げがでてきた。賞味期限が何日か過ぎていた。若い時はこれくらいの賞味期限切れは大丈夫だったのにこの頃はすぐに腹痛になる。
それで何日か前に捨ててしまった。
この時は気がつかなかった私が悪いということで捨てることに抵抗があるが捨てた。腹痛の痛さを思うと捨てるほうがいいと思って捨てた。
罪悪感にさいなまれる。
たいてい賞味期限を気にして食べているが大きい林檎の奥に薄油揚げのあることを確認しなかった私の罪悪感である。
魚や肉は半冷凍室に入れておくので常時その引き出しは開けているので気がついて使いこなしている。
落合恵子さんの友人はなんらかで活躍している人が多いので私と少し考えの違う人もいるが落合恵子さんが若い頃よく書いた言葉「私は私、あなたはあなた」と思って読んでいる。
私は今、仕事を持っているが結婚して15年は専業主婦をしていた。
当時の女性たちは特殊な技術や特技がない限り結婚すると会社を退社した。
私は子どもができるまでの勤務を言われたが結婚すれば家庭に入るものだと思っていた時代の風潮だったので辞めて主婦に専念した。
しかし主婦業とは退屈で自己主張のできない私は自分探しをしたいという葛藤にさいなまされた。夫の家族との葛藤もあって心の病になった。
心の病はさらに書くことに向かわせた。
落合恵子さんのエッセイを読み「私は私、あなたはあなた」という言葉にどれほど励まされたことか。そして毎週、感想文の手紙を書くことで私の生きがいを見つけていた。やっぱり書くことだった。
書くことはやがてもっと書くことにつながった。
子どもが小学校に入学するとPTA活動があった。
専業主婦の始めての社会参加だった。
友人・知人たちの活動の中で地方紙の投稿欄の投稿魔になって書くことに少しずつ広がっていった。
いろんなことがあった。そのたびに「あなたはあなた。私は私」と言う言葉と落合恵子さんの日々目立たなくても努力をしておられた生活スタイルにずいぶん仕事の中でも影響を受けた。
落合恵子さんの仕事の姿勢は今も変っていない。
同じ学年、1945年の1月生まれ、私は1944年の8月生まれ。同時代を生きたものとして共感するところがいっぱいあった。
高校卒業して落合恵子さんのことは雑誌で見かけて吉永小百合さんの対談でフアンだった吉永小百合さんより私の頭の中に記憶として残りずっと気になる存在の人だった。
週刊誌で見た「スプーンいっぱいの幸せ」のエッセイをむさぼるように読んだ。
フアンレターを出すほど虜になった。
そのフアンの気持に答えてくれて何度かお会いする機会に恵まれた。
仕事関係で東京の会議の後、1度は原宿のクレヨンハウスに訪ねたいと思いなから奈良に帰る気が急いていていつも会議が終わると新幹線の駅に直行して新幹線に乗っている。若い友人がクレヨンハウスに勤務しているのでなおさら訪問しないといけないのにいつも会議が終わると奈良の自宅にと気が急いている。
若い友人にはこのネットのことをメールでお知らせしている。
忙しい落合恵子さんの生活が想像できるので-----。
昨年は2人3脚で人生を歩んだお母さんが亡くなられて今年は一周忌を済ませられたことだろう。親戚も多く従姉妹も多いので毎日賑やかな生活だと思うが母親のことは一時も忘れることなく講演活動に全国を回っておられるだろう。
この前までは母親の介護ということで講演が終わるとすっとんで東京に戻っていかれた。
1度、夜に電話をしょうと思いなながら少し躊躇してしまう。
生きている道が違うので話題も変ってしまった。
電話で在日コリアンの人権問題は語れない。
季節事項の話になってしまう。夜中に原稿を作成する落合恵子さんに悪いと思って電話をかけるのをやめてしまう。
私も落合恵子さんも60歳を越えて60歳半ばに向かっている。
体の健康に気をつけてこれからの人生もしっかり足に地をつけて歩いていきたい。毎週土曜日の「積極的その日暮らし」は楽しんでよんでいる。
今日から月曜日、1週間が始まった。
よいしょっと掛け声をかけて1週間にダッシュ。
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