昨日は京都の祇園祭りだった。
今日も京都の町は祇園祭で多くの人が訪れているだろう。
昨日、息子の家族と話していてわかった。
フエスブックは登録していないと他の人のフエスブックも見らにれないらしい。そんなことでフエスブックに書いた原稿をここにまた張り付けて掲載を゜していきます。
フエスブックを見ている人は申しわけございません。あちらこちらと文章を書く時間それに労力も減退しているので張り付けることにしました。

奈良女子大にいく道、北に向かう道の横に医院があった。通り道でよく目だっていたがこの病院はまた東向き北通りの商店街に通じる道の横にこの医院が移転されるのか新しい医院が建っている。かなり前から建設されていておよそ完成まじかになってくると医院の玄関横にグリーンの樹木がお目見えした。道行く人たちにも四季折々の樹木のうつり変わりを見せてくれそうだ。ここ何日か、この近くの歯科医院に行くためにこの道を通っているのでまた久しぶりに見る景色にカメラのレンズを向けている。
それにしても暑い。昨日も寝苦しい夜だった。一昨日は冷房を入れてタイマーにしておくと夜半に冷房は切れている。夫がトイレを行くときに部屋の戸を網戸にしてくれているので夜中の3時頃はひんやりした空気が入っていた。これならこの夏は暑さで苦しむことはないなあと思っているとそうじゃなかった。夕べは暑かった。しばらくうちわを仰いで風をとっていたが5時には冷房を入れていた。朝、台所に入るのは地獄である。マンション生活、普段は鍵1つで戸締りはできるが夏はもう大変である。暑い。ここ数年間、夏の暑さがこたえるようになった。体力の老化なのだろうか。暑いけれど家で1日だらだらと居るわけにはいかない。喫茶店に行って緊張感とリラックスというリズム感の生活もしないといけない。物忘れも多くなっているのでボケ防止のために生活のリズムを作っている。さて今日は奈良市内で買い物を少ししてこないといけない。孫に送るものを買ってくることにしょう。年2・3度のおばあちゃんをしている。私はこどものころはおばあちゃんのことを韓国語の慶尚南道の方言で항메(ハンメ)といっていた。標準語は하루모니(ハルモニ)、今は1世がいる家庭では韓国語で呼び名を使っているかもしれないが少なくなっているだろう。私はおじさんもおばさんも韓国語を使っていたが今はもうそんな家庭はすくないだろう。ましてここ10数年の間に日本人との国際結婚が多くなって呼び名も生活スタイルも多様化している。何がいいとか悪いとかは答えはない。ただ1世が日本に渡ってきて苦労して生活基盤を構築して現在の在日コリアンを作った。法的地位や権限などまだまだ問題は山積しているもののこの日本で5世、6世となっている。同胞同士の結婚はないことはない。同胞同士の結婚もされている。しかし日本の学校に通い就職も日本の会社になると恋愛対象はどうしても日本人になってくる。国際結婚によって最初は国籍が2つ、二重国籍になるが20歳の時に自分の国籍選択が課せられて22歳で国籍の変換がなければ自動的に日本国籍として住民基本台帳に登録されていく。もう3.4年になるだろうか。地方行政の外国人登録課がなくなった。在日コリアンの住民票は外国人登録課から出されていた。それが外国人の管轄が日本政府のになって住民票は日本の住民基本台帳に入れられていった。この中には外国人としての台帳になっているだろう。日本の人口は住民基本台帳から統計を出していたので外国人は長い間、日本の人口として統計に入っていなかった。住民基本台帳に組み込まれて、また見えない在日コリアンの存在になっている。学校教育も私の時代にはクラスに在日コリアンの子どもがいてもその子どもを素材にして学校教育の中で外国人教育はされていなかった。家庭も親達も自国の歴史を知らい。子どもたちは出自を隠すようになった。大人になっても隠すことが美徳で賢い生き方と勘違いしている同胞たちが多い。これも私たち、戦後すぐに就学した世代である。今は日本の中でも一部だが学校の中で外国人教育の取り組みもあって教師たちも学習をしなければならない時代になった。その皮ぎりが大阪市だった。仕事の中で外国人教育をたくさん見てきたが教育は運動ではない。教育は教育、運動しないと日本政府が腰を上げないことはわかっているがこれにたいして子どもの教育としてこれはいいものか。私なりの心の矛盾がいつもあった。やはり家庭教育の大切さをいつも思った。幸い私は父親の教育は地域で生きる在日韓国人としながら国籍を明らかにして生きることをいつもいっていた。ということはありのままに生きることである。今、アニメだったのか。「ありのままに」という歌詞が流行しているが私は物心ついたときから「ありのままに生きる」ことを教えてもらった。時に国籍を隠して見えをはって日本人のふりをして生きている在日コリアンを見ると私の心の中は疼いている。こんなとき誰に何を話をして訴えればいいのかいつも自問自答しはている。写真は2014年7月9日、奈良女子大学に行く道すがら、建った新しい医院の樹木です。午前10時15分の撮影。
今日も京都の町は祇園祭で多くの人が訪れているだろう。
昨日、息子の家族と話していてわかった。
フエスブックは登録していないと他の人のフエスブックも見らにれないらしい。そんなことでフエスブックに書いた原稿をここにまた張り付けて掲載を゜していきます。
フエスブックを見ている人は申しわけございません。あちらこちらと文章を書く時間それに労力も減退しているので張り付けることにしました。

奈良女子大にいく道、北に向かう道の横に医院があった。通り道でよく目だっていたがこの病院はまた東向き北通りの商店街に通じる道の横にこの医院が移転されるのか新しい医院が建っている。かなり前から建設されていておよそ完成まじかになってくると医院の玄関横にグリーンの樹木がお目見えした。道行く人たちにも四季折々の樹木のうつり変わりを見せてくれそうだ。ここ何日か、この近くの歯科医院に行くためにこの道を通っているのでまた久しぶりに見る景色にカメラのレンズを向けている。
それにしても暑い。昨日も寝苦しい夜だった。一昨日は冷房を入れてタイマーにしておくと夜半に冷房は切れている。夫がトイレを行くときに部屋の戸を網戸にしてくれているので夜中の3時頃はひんやりした空気が入っていた。これならこの夏は暑さで苦しむことはないなあと思っているとそうじゃなかった。夕べは暑かった。しばらくうちわを仰いで風をとっていたが5時には冷房を入れていた。朝、台所に入るのは地獄である。マンション生活、普段は鍵1つで戸締りはできるが夏はもう大変である。暑い。ここ数年間、夏の暑さがこたえるようになった。体力の老化なのだろうか。暑いけれど家で1日だらだらと居るわけにはいかない。喫茶店に行って緊張感とリラックスというリズム感の生活もしないといけない。物忘れも多くなっているのでボケ防止のために生活のリズムを作っている。さて今日は奈良市内で買い物を少ししてこないといけない。孫に送るものを買ってくることにしょう。年2・3度のおばあちゃんをしている。私はこどものころはおばあちゃんのことを韓国語の慶尚南道の方言で항메(ハンメ)といっていた。標準語は하루모니(ハルモニ)、今は1世がいる家庭では韓国語で呼び名を使っているかもしれないが少なくなっているだろう。私はおじさんもおばさんも韓国語を使っていたが今はもうそんな家庭はすくないだろう。ましてここ10数年の間に日本人との国際結婚が多くなって呼び名も生活スタイルも多様化している。何がいいとか悪いとかは答えはない。ただ1世が日本に渡ってきて苦労して生活基盤を構築して現在の在日コリアンを作った。法的地位や権限などまだまだ問題は山積しているもののこの日本で5世、6世となっている。同胞同士の結婚はないことはない。同胞同士の結婚もされている。しかし日本の学校に通い就職も日本の会社になると恋愛対象はどうしても日本人になってくる。国際結婚によって最初は国籍が2つ、二重国籍になるが20歳の時に自分の国籍選択が課せられて22歳で国籍の変換がなければ自動的に日本国籍として住民基本台帳に登録されていく。もう3.4年になるだろうか。地方行政の外国人登録課がなくなった。在日コリアンの住民票は外国人登録課から出されていた。それが外国人の管轄が日本政府のになって住民票は日本の住民基本台帳に入れられていった。この中には外国人としての台帳になっているだろう。日本の人口は住民基本台帳から統計を出していたので外国人は長い間、日本の人口として統計に入っていなかった。住民基本台帳に組み込まれて、また見えない在日コリアンの存在になっている。学校教育も私の時代にはクラスに在日コリアンの子どもがいてもその子どもを素材にして学校教育の中で外国人教育はされていなかった。家庭も親達も自国の歴史を知らい。子どもたちは出自を隠すようになった。大人になっても隠すことが美徳で賢い生き方と勘違いしている同胞たちが多い。これも私たち、戦後すぐに就学した世代である。今は日本の中でも一部だが学校の中で外国人教育の取り組みもあって教師たちも学習をしなければならない時代になった。その皮ぎりが大阪市だった。仕事の中で外国人教育をたくさん見てきたが教育は運動ではない。教育は教育、運動しないと日本政府が腰を上げないことはわかっているがこれにたいして子どもの教育としてこれはいいものか。私なりの心の矛盾がいつもあった。やはり家庭教育の大切さをいつも思った。幸い私は父親の教育は地域で生きる在日韓国人としながら国籍を明らかにして生きることをいつもいっていた。ということはありのままに生きることである。今、アニメだったのか。「ありのままに」という歌詞が流行しているが私は物心ついたときから「ありのままに生きる」ことを教えてもらった。時に国籍を隠して見えをはって日本人のふりをして生きている在日コリアンを見ると私の心の中は疼いている。こんなとき誰に何を話をして訴えればいいのかいつも自問自答しはている。写真は2014年7月9日、奈良女子大学に行く道すがら、建った新しい医院の樹木です。午前10時15分の撮影。
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