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アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

ムンバイのフィルム・シティに行って来ました

2025-02-10 | インド映画

ムンバイ市所有の映画スタジオ、フィルム・シティに行って来ました。行ったのは20年ぶりぐらいです。前回はMXテレビに流す番組を作っているフリーのビデオジャーナリストに頼まれて、ガイド兼通訳みたいな形で現地合流して行ったのですが、その人が事前にコーディネートをしっかりと頼んでいたらしく、撮影中の現場にも入れて貰え、その人はビデオを、私は写真を撮ることができたのでした。その時の写真を「インド映画完全ガイド」(世界文化社、2015)などで使っていたのですが、もっと新しい、別の写真がほしい、と思って、一昨年インド映画検定局(CBFC)との交渉の仲立ちをしてくれたパニさんにコーディネーターになってもらい、半日案内してもらうことにしたのでした。ただ、パニさんはかつて映画監督もしていたのですが、現在のボリウッドの現場には詳しくない、というので、ライン・プロデューサーなどをやっているスレンダルさんをさらにガイド役に頼み、車も雇ってもらって、行ってきたのです。

フィルムシティがあるのはムンバイの北方、ゴーレーガーンオという地区で、メインロードからちょっと脇道にそれた、小高い丘というか小山の上に作ってあります。入る前にはまず軍のチェックポイントがあり、ここで許可は得ているのか等々、かなり詳しく調べられました。スレンダルさんが話を付けてくれた知人を電話で呼び出し、その彼と下のチェックポスト責任者が話して、やっと中に入る許可がクリアとなりました。皆さん軍服姿での勤務です。

ゲート右側にはこういうお休みどころがあって、いかにもここからボリウッドの世界、という雰囲気にさせてくれます。

実は、このフィルムシティへはツアーが出ていて、結構お高いみたいですが、毎日下のようなバスに市中から観光客を乗せ、ここから更に上ったステージ(撮影棟)が並ぶ場所まで連れて行って、案内してくれます。

私たちはステージは後回しにして、車に乗ったまま高台に作られたセットを目指します。スレンダルさんが知っている人が撮影のセットを作っているのですが、コカコーラのCF撮影だそうで、こんな街のセットが組まれている最中でした。

そのそばには、セットを描いたスケッチと、細部のデザイン画が貼ってあります。

このセット制作の責任者、いわば美術チームのチーフがスレンダルさんの知人でした。スレンダルさんは朝からいろいろ電話で連絡を取って、「何か撮影やってるの? 見せてくれる?」とあちこちに聞いてから連れてきてくれたようです。下写真は一番左がスレンダルさんで、真ん中が美術チームのチーフ、右がコーディネーターのパニさんです。

コカコーラのCFを撮っている時に行き合いたかったですが、でも現場での写真撮影はどこもNGなので、しょうがないですね。続いて行ったのが、テレビドラマの時代劇『Tenali Rama(テナーリー・ラーマー)』の撮影現場。実在の人物で、16世紀の初頭に活躍したテルグ語の詩人のようです。

ここは撮影中の宮廷のセットに入れて貰ったのですが、もちろん写真はNG。撮影を見ている私を、パニさんがこっそり撮ってくれました。セットの感じがチラとおわかりいただけると思います。主人公を演じていたテレビ男優クリシュナ・バールドワージはなかなかの美男子で、ハイティーンかと思っていたらさっき調べて見ると何と41歳! お肌もきれいで、とてもアラフォーには見えませんでした。口跡もよく、それで時代劇ドラマに次々出演しているようです。

撮影現場を見られたものの、あとのステージで撮影中のものも、ほとんどがテレビドラマ。最後にスレンダルさんが連れて行ってくれたのはヒンディー語映画の撮影ですが、まだ準備の段階で、いろんな小道具を作っている最中でした。案内してくれたのはラーム・ピッライさんという方で、プライム・フォーカス・スタジオの統括責任者のような方でしたが、ここがプライム・フォーカス・スタジオ、と言って案内されたのは、かつてのリライアンスのスタジオビルでした! 日活さんが2013年に『きっと、うまくいく』等4本を公開するにあたって、マスコミの皆さんを招待してムンバイツアーを組んで下さったのですが、その中に「プリヤンカー・チョープラーのインタビュー」というプログラムもあって、一行10数名はリライアンスのスタジオでプリヤンカー様の撮影が終わるのをじーっと待っていたのでした。その時の懐かしいリライアンスのスタジオが模様替えしている! 

ピッライさんの一番のお仕事は、現在撮影が進行中のランビール・カプール主演『ラーマーヤナ』の統括で、剣や槍、鎧の飾りなどを作っているところなどをちらりと見せて下さいました。もちろん撮影はNGで<泣>でしたが、今回の『ラーマーヤナ』はこれまで作られた同名作品と比べて、セリフがくっきりと美しいものになるよう、注意して撮影している、とのこと。ものすごい数の小道具が必要となるので、皆さんひたすら作っている、という感じでしたが、ピッライさんの息子さんは日本刀の美に魅せられているそうで、「装飾とかすごく美しいよね」とお父さんの方も刀剣の魅力に目覚めておられるようでした。この方がピッライさんで、風貌がS.S.ラージャマウリ監督とどことなく似ていました。

そのほか、この会社はテレビ番組「Kaun Banega Crore Pati(コウン・バネーガー・カロール・パティ=誰が千万長者になるか)」という「クイズ・ミリオネア」のインド版も作っていて、アミターブ・バッチャンの顔がでかでかと出ているスタジオにも案内して下さいました。しかしアミターブ・ジー、82歳だというのにちっとも老人じみてなくてお元気ですよね。

とまあ、いろいろ案内してもらったのですが、残念ながら将来本とかに使えそうなショットは撮れず。でも、ピッライさんと話していて『ラーマーヤナ』の完成が楽しみになりましたし、ピッライというお名前から「ケーララのご出身ですか?」と聞いたら「いや、タミル・ナードゥでね」というお答えから、しばしタミル語ネタ(「私はタミル語ができません」とタミル語で言うと、タミルの人に大受けする)で大笑いしたりと、楽しいフィルム・シティ見学でした。お世話になったパニさん、ピッライさん、スレンダルさんありがとうございました。

P.S.上は案内の途中でフィルム・シティの事務所に顔を出したスレンダルさんです。背は180㎝以上で、顔もちょっとカビール・ベーディーに似た精悍な顔をしています。彼は様々な作品でライン・プロデューサーをやったりしているのですが、後で送ってきてくれた自己紹介によると、日本でも公開されたスバシシュ・ブティアーニー監督作『ガンジスに還る』のスタッフとしても働いた、とのこと。日本でも公開されて、うちのブログではこんな記事を載せましたよ、と知らせると、「すごいね。『ガンジスに還る』に僕が参加した件については、この作品のプロデューサーとの間で因縁話があるんだよ。今度会う機会があったら話すね」というお返事が返ってきました。スレンダルさんはもともとパンジャーブ州の出身で、ムンバイに来てから俳優もやったりと、ボリウッド経験豊富な人のようです。その経験を買われて、出版社から「本を出さないか? 英語で出した後ヒンディー語やパンジャービー語でも出そうじゃないか」と言われているとか。そんな人なので、何か裏話が聞けるのかな? ムンバイに戻ったらまた連絡してみようと思います。


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