「51」シンクエンタ・ウノのブログ

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週末ワイン予告2016年7月第3週目

2016-07-14 05:12:13 | 週末ワイン 
「ピュリニー・モンラッシェ1reCru レ・トリュフィエール2003」ルイ・ラトゥール

 はいはーい、今月の白ワインの週末ワインも3本目。今回はブルゴーニュはコート・ドール南のコート・ド・ボーヌを南下したピュリニーモンラッシェ村のプルミエクリュ「レ・トリュフィエール」です( ̄▽ ̄)ニヤリ

 生産者のルイ・ラトゥールは言わずと知れた「コルトン・シャルルマーニュ」の生みの親。4代目当主が当時フィロキセラによってピノノワールが壊滅状態のときにコルトンの丘でシャルドネを植えたのが始まりと言われてます♪

 個人的にルイ・ラトゥールってアルファベットで「Louis-Latour」なんですがアタマを取って「LL](エルエル)と呼んでる方が何人かいらっしゃったので、それを思い出しちゃいますね(笑)・・・あ、駄目とは言ってないですよ、ただその読み方は個人的にワインとは全然関係ない「LL cool J」(エルエル・クール・ジェイ」というラッパーがいたのを思い出しちゃうんですよねwww。

話し少し逸れましたが、ここで資料抜粋記事です( ̄▽ ̄)ニヤリ♪

~~~~以下資料抜粋~~~~

 ワインの産地としてボルドー地方とともに賞されるブルゴーニュ。「ルイ・ラトゥール」は、この地で家族経営を守り続けている世界的に著名なワインメーカーです。その歴史は、1731年に一族がブルゴーニュの中心コート・ド・ボーヌでぶどう畑を所有し、ぶどうの栽培と樽づくりを手がけたことに始まります。
 1768年にアロース・コルトン村へ移住した一族は、フランス革命直後の1797年に、醸造家かつネゴシアン(ワイン仲買人)として創業を迎え、まだ残る革命の余波をもろともせず、徐々に自社畑を広げていきました。

また成功への大きな契機となったのは、4代目当主による大胆な改革でした。19世紀後半、彼はヨーロッパのぶどう畑がフィロキセラ(畑を食い荒らす害虫)で壊滅状態になった際、従来のピノ・ノワール種に替え、コルトンの丘にそれまで誰も想像さえしなかった、シャルドネ種の苗木を植樹し、後にブルゴーニュの2大白ワインのひとつと謳われた「コルトン・シャルルマーニュ」を誕生させたのです。こうした努力と成功を経て、「ルイ・ラトゥール」は現在、コート・ドール最大規模のグラン・クリュ(特級畑)を所有するブルゴーニュ屈指の造り手にまで成長を遂げています。

フィロキセラ害の窮地を乗り越え、1895年に白の傑作「コルトン・シャルルマーニュ」を誕生させた4代目当主の原動力は、困難や現状に甘んじることなく、斬新なアイディアと果敢な挑戦心で新しい活路を見出そうとする“革新の精神”でした。
フランス革命直後という困難な時期に創業を迎え、屈することなく自社畑を広げていったことでもわかるように、「ルイ・ラトゥール」には、この革新の精神が当初より息づいています。そして歴代の当主たちはこの精神を継承し続けることこそが、よりよいワインを生み出し、「ルイ・ラトゥール」を世界屈指の造り手の座に導くと信じてやまなかったのです。

6代目当主が、ブルゴーニュ以外のアルデッシュ地方やヴァール地方でその土壌の優秀さを見抜き、ぶどうの苗木を植え、現在、高い評価を受けている「アルデッシュ・シャルドネ」や「ドメーヌ・ド・ヴァルモワシン・ピノ・ノワール」を成功させたのも、この革新の精神を実践したからに他なりません。
さらに現7代目当主であるルイ・ファブリス・ラトゥールもこれにたがわず、伝統を頑なに守り続ける一方で、常に革新的な技術の追求に挑み、最新のワインづくりに取り組んでいます。

以上

 結構このプルミエクリュ「レ・トリュフィエール」はこのACの中でも小さく収穫量も少ない上に、あまり見かけないワインって聞いたことあります( ̄▽ ̄)ニヤリ

 そういうワインがウチにあるって、なんて素晴らしいのでしょうwww

 興味のある皆様方は是非是非飲みに来て下さいねm(_ _ )m♬



 

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