「九石」と書いて「さざらし」と読む地名や人名がある。「さざれいし」のなまったもの、とも。日本の国歌「君が代」の歌詞に出てくる「細石」の異字…なの?さざれ石が巌にまで大きくなって苔がむすのは「ごこうのすりきれ」みたいな様子を表している。
大分総合競技場「ビッグアイ」が、「九州石油ドーム」略して「九石ドーム」となった。
サッカー10冠。あるかどうかは知らないけどJリーグの前と後ろと総合、それに天皇杯……くらいしか思いつきません。サッカー知らないの。すごい数の冠があるんですな。都道府県対抗サッカーってあったっけ。芝聖とか王球とか聞かないしな。年中サッカーばっかりっていう印象もないから、4年に1回だけのタイトルとかかなあ。
できなかったことができるようになると、あの時はなぜこんなことができなかったのか、と思うようなことがある。自転車に乗れなかった頃の感覚なんか、今となってはどうしたって思い出すことはできない。だから今は、サッカーのことを知ろうとするのではなく、知らない状態を僕はもっと楽しんでいいのではないか。よく分からないけどそんな感じ。
ものを教わるときには、だいたいお金やら何やらの対価を払うものだ。ただで教えてもらえることはありがたく思わなければならない。「自衛隊に入ったらいろんな資格をただで取らせてもらえる」(もちろん取るための努力は必要だが、そういうイメージは、世間の感覚としてある)という環境を考えたら分かりやすい(そう?)。自分から学ばなければ知見は得られないのに、元来知っておくべきルールすら「今まで聞いたことがない」と言って(それは本人の責任が大きいのだが)、知らないほうが居丈高に。それで給料もらえるんだから、それはそれはいいご身分でございますな。
巷にあふれる情報の量が違うから、(特に趣味分野ともなると)知識では若い世代には絶対にかなわない。だから、勉強し続けていてはじめて新入社員と同列に並ぶことができると思っていていいと思う。何もしないで過ごしていると、若い社員が入ってきた瞬間にはもう負ける。それで自分の位置を保つために、教えるべきことを出し惜しみして優位に立とうとする人は組織にとって大きなマイナスだよなー、と思うことがしばしばある。「可能性」があってこそ若い人なので、勉強の機会を作ろうとしない人は、若さを浪費している。いつしか「無条件で許される若さ」を失ったとき、自分に何も残っていないことに気がついたらどうなるか。「後輩いびり」の誕生。
大分明豊の暴力行為はひどいね。と、状況を記事でしか知らない状態での感想をいうと、1年生のまゆ毛の剃り込みを注意するのに2年生が平手で頬を叩き、怪我はなかった。それだけの話。まゆ毛は本人の自由だけど、同じく自由意志で野球部に入っている以上は野球部の規範を優先すべきで、嫌ならまゆ毛のために野球部を辞める道もあるし、まゆ毛剃りたし野球はしたしって、わがままな1年生だな。って、まあ、その辺の感覚のずれは「教えれば分かる」というレベルで、手段が平手打ちだった。別に口の中を切ったとか鼓膜が破れたとかいうんでない、想像だけど、加減を知った教育的平手打ちだったと思うわけですよ。子供のけんかに大人が口を出すなっていうね。腹が立ってやった、とかじゃなくて(腹は立っていたかもしれないがな)、野球部の格調を守ろうとしての前向きな平手打ちが、なんでこんな話になっちゃうのかなー。2年生も1年生もびっくりだよ。
いったい何の話をしているのか、自分でもびっくりだよ。
聞きたくなかったら止めるしかないんだしね。
どうしてニュースになったんだか意図がチョットわからない記事ですね。
さて、「サッカー10冠」の考察。将棋7冠とか学生駅伝3冠とかのイメージが先行していたけど、そういえば野球で「三冠王」という。個人タイトルが、その三冠以外にも山ほどあるのを思い出した。もしかして、Jリーグ内での「最多得点チーム」とか「最少失点チーム」とか「最多観客動員チーム」とか「最少反則チーム」とか、そんなのが10タイトルくらいあるのかな…。