同じ材料から、なかなか様子の違う仕上がりになるもんである。かごに草花を配す行事がありまして、右が僕の仕事でした。後方左右に小さな葉っぱの名も知らぬ植物が伸びていますが、あれはもともと僕が一本のものを真後ろに挿していたのが、あまりにやっつけ仕事っぽく見えたらしく、先生に抜かれて三つにばらして各方向に分けられた。単に「余ったから挿した」みたいに思われてる。
創作弁当コンテストに、材料がはみ出して「ふたのできない弁当」が滅多に見られないのは、皆さん「箱」というものを知っているからだ。たぶんそんな印象で、特に意識しないで「かご」を「箱」のように使う人が多いのだと思う。見るからに小ぢんまりとした人もいくらかおられましたが、「かご」はあくまでも「かご」でござる。ふたをする必要はないのです。持ち手さえ生きていれば運搬はできる。加えて、花は葉っぱがあって初めて花なんである。生えていた状態を想像し、葉の大きなものを下に、葉の小さなものを上に揃えるという明確なコンセプトが僕にはあって、最後に残った力ない葉っぱのそれには、陽光を浴びるためにはともかく高さが必要であった。
そう思ってみたら、右のかごには優しさがにじみ出ている感じがしませんか。
平井先生、ありがとうございました。
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