どこにでもターニングポイントってのがあって
それはその後の歴史にも大きな意義を持つ
そんな出来事をいうのですが
まあ、昔のTV的に言えば「そのとき歴史は動いた」...ってところですかね
大晦日、裕也さんの追悼ともいえる
ニューイヤーワールドロックフェスティバル47ってのに
おそらく最後になるだろうと思われる催しに演奏させてもらった訳ですが
一口に47年といってもそれはそれは長い時間な訳であります
もう出演メンバーの顔ぶれも大分様変わりしてまして
2、3年前に久しぶりに出演した時は「浦島状態」
まあ、それでも誰か知り合いがいないかとの感じだったのですが
今回はその出演バンドの中に
「フラワートラヴェリンバンド」の名前を見つけた訳です.....!
となれば、ギターならぬシターラは石間秀機大先輩な訳で
うをっ、
我々も出演メンバーの中では一番古い時からの出場ではありますが
フラワーズとなればそれ以上の歴史を刻んでおる訳で
楽しみであると同時に
大分当時とは私も面影は変わっておりますので
覚えていてくれるだろうかとの思いもございました
石間さんは元ビーヴァーズ
そしてその後フラワートラヴェリングバンドとなる訳ですが
実はその間に山口富士夫と一緒にやるという話で進んでいた訳で
実現すれば村八分の最初は富士夫と石間さんという
超絶なギターduoになる筈でありました
が....
ご承知の通り、裕也さんのフラワーに入る事になってしまいまして
富士夫も「残念だったよな」とよく口にしておりました
で、今日の話ですが
あれは1969年の冬頃だったでしょうか
日比谷の野音で村八分の前身ともいえるバンドとフラワーで演奏しまして
翌日は京都の円山公園という強行スケジュールでございました
まあ、今のようにマネージメントもはっきりしておりませんで
経費の節約だったんでしょうな
終演後、そそくさと両バンドとも中型のバスに乗り込んだ訳です
まあ、前述の石間さんの事もありましたから
裕也さんと富士夫の仲もあまり良くなくて
度々口論とか喧嘩もしょっちゅうでしたので
何事もなけりゃいいかなとも思っておりましたが
まあ、とりあえずチャー坊もいるし、なによりJOEが一緒ですから
大騒動にはならないとは思っておりました
で、車は深夜にひたすら冬の東名に乗って京都に向かっておりました
若干途中から雪模様になっておりましたが
車内はいたって平穏に....と、思った瞬間
あれは関が原に差し掛かった頃でしょうか
そのバスが雪でスリップして
あれよあれよと思うままに一回転!
一回転ですよ、一回転!
まあ、その後色々な方に話しておるのですが
大体は信じてもらえません
そういった経験のある方はそういらっしゃらないでしょうけど
まるで時間が止まったようにスローモーションの映画を見るようです
「ちょっと大袈裟だよね、横滑りか倒れたくらいじゃないの?
大体バスだろう、シートベルトもしないで一回転したら全員死んでるよ」
まあ、そうでしょうとも.....
そうですよね....
まあ不思議なもので、こういった記憶というものは
段々回りに一緒に体験した人がどんどんいなくなっていくと
自分自身でも自信が持てなくなって
曖昧になっていくんですな
あんなにショックだったのに
誰も思い出したくないのか、その話はタブーになって
時間が薄めてくれるというんでしょうね
其のときは壊れた石間さんのシタールだけが印象に強く残っておりましたが
で、今回ですが、折角のチャンスですし
曖昧になりつつある、自分の記憶を確かめる為にも
ちょっと勇気を出して石間先輩に挨拶して話を致しました
「おまえ、あの頃の面影残ってねえな~」ともおっしゃってましたが
幸いにも覚えてくれていたようで
「皆いなくなって寂しいっすね」と言ったら
「人は皆死ぬ!」と例の石間さんのあの感じで言葉ももらいました
で、話の本題ですが
薄れ行く記憶の中で恐る恐る石間さんに尋ねました
「あの、......石間さんあの冬の東名のバスの事故の事、覚えていますか?」
すると石間さんが
「お~!覚えてるよ、忘れられるもんか!なあ!一回転したよな」
おおっ!おおっ!ですよね、そうです、そうです!嬉しい~!喜
もうそれだけでも今日出演した意義がありました
石間さんも「その時俺のシタールだけ壊れたんだよな~」...とも
よく日本のROCKうんぬんの話もあるけど
そいつはサウンドとか歌詞とかの話で進む事がおおいんだけど
個人的ではありますが「ここがポイント」だったと今でも振り返ると思う訳でありまして
あの仲の悪かった富士夫と裕也さんが深夜の高速でお互いに「富士夫大丈夫か?」
「裕也さん大丈夫?」といたわりあったりしてww
そして、なにより裕也さんのあの
「どうなってるんだ~!ファッキン'ロックンロール!」が初めて
私の耳に....そして
深夜の雪の東名にこだました歴史的瞬間だったと記憶しております。
それから私の中で「ロックンロールとは?」と問われれば
「一回転する事」という図式が出来上がった次第で
という事で、そんな事があってから2,3年後にこのフェスも始まった訳で
それから47年もの間、沢山のロッカー達の協力によって
長い時を刻んできた訳ではありますが
あの事の次第によっては
裕也さんもいなくなっていても不思議ではない訳で
そうなれば
その後の日本のロックの歴史も大分変わったろうなとしみじみと思う訳であります。
で、翌日の円山公園のフェスですが
フラワーは怒涛のように盛り上がり
我々はチャー坊の例の有名な
「今日はなんか...のらんからやめる」と言って
大喝采を浴びた日でもあるのです。
追悼ワールドロックフェス47
裕也さん、長い間本当にお疲れ様でした。