中学生の頃は部活動に入らなければならなかったんですわ
それで選んだのが放送研究会
部でもなく同好会でもない僅かな人数で構成された活動でしたけれど
しかし先輩方は後に沢山の名アナウンサーを輩出した名門でもあったわけで
当時活躍しているアナウンサーは同門の大学卒業者が大半を占めておりましたし
その流れから中学の研究会も極少ながらそれなりのプライド意識を持っておりました
昼休みの校内放送以外この頃は目立った活動は無し
中学時代はどんな事をしてましたかね~?思い出すに
まあ、発声練習とか簡単な番組作りとかそんな感じだったとは思います
何回か高校や大学の放送部部室にお邪魔して指導を受けた事を覚えている位で
まあ、そこで今日の話ですが
そんな時代に人気のあったラジオ番組が9500万人のポピュラーリクエスト
文化放送で 小島正雄さんのDJで当時のヒット曲を20曲位掛けるというもの
1963年の4月スタートな訳ですから
64年65年66年という私の中学時代は全盛期
1967年にはパーソナリテイもタイトルも変わってしまいましたが
その番組で掛かるヒット曲は等は中学生には貴重な情報源
或る意味この番組もTHIS IS MY BAGでして
この番組から得たものは後々プロとなって実際に演奏に入る迄
多大な影響を与えて貰いました
ビートルズ、デイブクラークファイブ
ホリーズといったリヴァプールサウンド
或いはローリングストーンズ、アニマルズといった
英国のバンド物中心に聞いていた自分には門外漢とも言うべき
アメリカンポップスやオールデイズ はたまたイタリア、フランスのポップ
映画音楽 インズタルメンタル ヴォサノヴァ、R&Bにカントリーと
色々なジャンルのヒット曲を教えて貰った訳です
この時代は海外の曲はPOPS 日本の曲は歌謡曲か演歌というように
ジャンルも大まかにそして簡単に分類されておりましたけれど
未だGS前夜 国産のバンド物なんて概念はまだ存在しても無い時代
番組はビートルズやストーンズのリクエストが中心
そして湯川れいこさんや星加ルミ子さんの海外の貴重な情報があったり
自分からは決して購入しないような
そんな楽曲に触れる事が楽しみでもありました
この番組で特に印象に残ってる曲と言えば
リクエストですから何週も何週も同じ曲が掛かる事が多くありまして
9500万人のポピュラーリクエストといえばビートルズ、ストーンズは別として
初期の頃はヴィレッジストンパーズ/ワシントン広場の夜はふけてとかが
毎週流れていた記憶があります
インスト物はベンチャーズを含めて多く掛かっていた様な気がします
当然部室での練習も歌なしの曲は重宝しておりまして
自分でヴォリューム摘みを上げたり下げたりしながら
先輩方の厳しい指導を受けながらも
校内のニュースや天気予報等を自分で台本作って
読み上げたり練習したりしておりました
Herb Alpert & The Tijuana Brass Tijuana Taxi1966
中学高校と放送研究会ですので(途中で生物研究会にも入りましたが)
その流れから大学は先輩たちの後押しもあって
立教から日大芸術学部放送学科に進む訳ですが
69年にバンドの道さえ選ばなければ
おそらく今頃DJ,或いは放送業界に進んでいたかなとも
今となってはそう思う事もあります
で、話を9500万人のポピュラーリクエストに戻しますが
65年66年あたりになりますと
英米のバンドのヒットソング中心の内容になってまいりまして
どの曲も楽しめた訳ですが
特に記憶に残っているのが ハーマンズハーミッツ
なにしろ出すシングル出すシングル全てTOP!0に入ってくる訳です
一時はビートルズはもう古い これからはハーマンズハーミッツ!なんて
今思うと「どこが?」という感じですが
そうなのか等と勘違いするリスナーもいたんじゃないかと思う訳です
常に曲が流れて来ますので ヘビロテ状態という奴ですな
まあ、又話は逸れますが
もともと少ない放送部員
となりますと他校の(特に女子中)とかと合同で練習なんて事もありまして
それは今でもよく覚えていまして
この胸のときめきをじゃないですけれど
もうハートはドキドキですわw
ハーマンズ・ハーミッツ Hermans Hermits/ハートがドキドキ Can't You Hear My Heartbeat (1965年)
顧問の教師に引率されて行く訳ですが
これがですね もう相手も人数が多い部では無い訳で
立教女子や都内の私立の女子中との合同練習
で、考えても見てください 当時放送なんてジャンル
大概の生徒はスポーツ系か、文化情操系って感じですよね普通は
それをあえて人数も少ない
当時まだ知られてもいない領域の部を選ぶあたり
女子としてもかなりユニークでもありましたし
センスという部分でも異端且つ抜きん出てる訳ですわ
つまり今で言う女子アナの走りって言うんですかね
才色兼備とでも言うんでしょうか
高嶺の花の深窓の令嬢なんて言葉も浮かんで来る訳です
当然音楽も好きな訳で
その手の話の中に「今好きなのハーマンズハーミッツなんです~(はあと)」
なんて言われてごらんなさいな
「うわ~!そうなんですか...実は僕も大好きなんです!」wなんて
まあ、そういった事も含めてハーマンズハーミッツは印象に残ってるんでしょうね
ちなみに66年の2月にハーマンズハーミッツ来日しておりますが
彼女達は行ったんでしょうかね
僕は「まあ、いいか,,,」って感じで行きませんでした
なにしろ6月にはビートルズがやって来る...でしたので
え~再び話を元に戻しますが
65、6年はもうバンドヒット曲の連続 とても一つ一つUP出来ませんが
しっかし、、もうこの時代ビートルズはラヴァーソウルですものね
明らかに他の曲とかとは世界が違っておりました
67年には小島正雄さんが降板
ALL JAPAN POPS20と番組名を変更
数々のパーソナリティの変遷を重ねつつ
2006年の4月2日迄 43年の歴史を刻みました
そしてそれと入れ替わるようにその後1967年の深夜1時から
糸井五郎さんのオールナイトニッポンがオンエアされていく訳で
高校時代はもっぱらこちらに鞍替えとなってまいりました
Music To Watch Girls by (Remastered)
007シリーズはもう鉄板でした
さすがにドクターノーは劇場では見れませんでしたけど
二作値の「ロシアから愛を込めて」「ゴールドフィンガー」「サンダーボール」
「007は二度死ぬ」あたりは渋谷の東宝で
見た記憶が鮮明に残っております
From Russia With Love (1964) - Daniela Bianchi
しかし、中学3年間に聞いたこれらの曲はいつまでも忘れる事はありませんし
その後も色々な意味で影響を与え続けてくれました
まあ、中2病なんて言葉もありますが
単に曲だけではなくそこからあらぬ妄想を膨らませ
自分の世界からまだ見ぬ世界へ心を運んでくれる
魔法の絨毯のようなそんな力があったなと思う訳であります 乙