風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

昨日と今日の 「荒野の食卓」 より

2004-02-29 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
<font color=deeppink>いつも主にあって喜びなさい。
もう一度言います。喜びなさい。
                   <font color=green>聖書:ピリピ人への手紙 4.4(パウロ著)
</font></font>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
パウロとバルナバが移動を続けるとき、そこには悲しみはなく
大きな喜びがありました。なぜなら まさに使徒との離別は
別の人々が福音を聞く機会を意味していたからです。
しかもそれだけではありません。彼らは自立したのです。
すなわち聖霊に満たされたのです。


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<font color=deeppink>わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ
                <font color=green>聖書:エゼキエル 36.27

</font></font>
 夏も終わろうとしていた頃、技師と彼の奥さんの山荘に
滞在した私は、この二人が救い主にある素直な信仰へと
導かれたのに大きな喜びを感じました。私が上海に戻らなければ
ならないときが来ましたので、聖書をおいて別れました。
 冬の間、その技師には食事の時にアルコールを飲む習慣が
ありましたが、時には度を過ぎることもありました。
やがて寒い季節になり、今やすっかり習慣となったお酒が
食卓に上り、彼は食事の感謝をするために頭を下げました。
しかし、その日は一言も言葉が出てこなかったのです。
2、3回むなしい試みを繰り返したあとで、彼は奥さんに
振り向いて言いました。「何がいけないんだろうか」。
彼は尋ねました。「どうして今日は祈れないのだろう」。
奥さんは聖書を取り、問題を照らすようなみことばを探しましたが
無駄でした。彼らはなんの答えも見いだせず、私もまた遠くに
いました。「お酒を召し上がって」と奥さんは言いました。
しかし彼は飲みません。彼には自分が感謝の祈りを捧げなければ
いけないのがわかっていました。ですから飲めなかったのです。
とうとう彼は「あっちに持っていってくれ」と大声で言いました。
そうして彼らは食事のための祝福を祈ることができたのでした。
 たまたま上海に来られたとき、彼はこの話をしてくれました。
彼は中国語で親しげに話しかけてきました。「ニー兄弟」と
彼は言いました。「内住の監督さんは僕に酒を飲ませようと
しません」。私は「それは結構ですね。いつでも監督さんの
言うことに従わなければいけませんね」と答えました。

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