おはようございます。
この時期になると思い出しますが
もう12年位前の話です
勤め先の会社で毎日早朝から早朝まで寝ずに
ぶっ通しで働いていたころ
私は当時その事務所の
「チーフデザイナー」だったのですが
私の上司でいらっしゃいました
今でも取引先として懇意にしていただいている
「こまぁ~ん」ことK松部長さんと
ずっと朝まで働いてました
当時はアナログからデジタルにうつりながら
なんとなく準デジタル感のあった頃
部長「こまぁ~ん」も、たまたま居ないそんな時間に事件はおこりました。
一人で8台くらいのPCを使い...
「メインPC」では自分の仕事
「サブメインPC」ではスタッフ「レッド」の仕事
もう一台「サブメインPC」でもスタッフ「まるちゃん」の仕事
離れた場所にある「通信用PC」で県外支社のデータを受信しながら~
上司「ヒラコフ」のPCでイメージセッターという機械で製版用フィルムだし
そして全社の印刷入稿フィルムを作成しながら~
そして「ファインチェッカー」という「色校正機」で印刷入稿時の「色見本」を作成
「サファイア」「トパーズ」というスキャナーでバッチスキャンしながら~
1階の「フジカラーフロンティア」という機械で写真プリントしつつ~
撮影スタジオのPCで撮影データをつつきながら~
別の部署の「スタッフ」のチラシの修正などを行い~
「断裁機」で名刺や葉書をカットしつつ~
納品物を「梱包」作業などし
そんな小室さんばりにキーボードならぬPCをバリバリ酷使していたその矢先
突然の停電...
「姉さん事件です」
当然「梱包」以外全て「全停止」です。
しかも「イメージセッター」という機械で製版していたデータは
「お客様の持ち込みデータ」でありまして~
自分で作ったものなら1版だいたい15分位でフィルムがでてましたので、総計24版×15枚で約6時間で終わるものが...
1版2時間も要しており~
まだ1版も出てない状況で「完全停止」...。
「馬車馬」を自負し
何事も「無理です」「できません」のなかった私でも...
「一瞬呆然」でした。
停電が復旧したのが約1時間後...
大半の作業が「保存」もできておらず...
どうしたものか...
っとあせっていました
時はAM12:30頃...
データ作成の物は今から完全徹夜すればなんとかなる!
だけど...製版が...色校正が...
こればっかりは「機械スピード」なのでどうしようもありません。
悩みました...
私が悪いわけではないのに...
まっでもこの状況発生してしまった事を考えても仕方ない!
っということで取り急ぎ
再び「製版」と「色校正」の準備。
その30分後に再始動し
翌日もその翌日も「ひたすら製版」がつきまとう
しかも他の「スタッフ」だけでなく
「上司」の仕事を抑えていたため
「社内からクレーム」の嵐...。
「早くイメージセッターあけて!」
「ファインチェッカーも使いたい!」
「なにしゆうがな!」
そうは言われても、今は完全に会社の規模以上の仕事がきているとき
だから...「協力してください」っと懇願!
しかしもどってきた言葉は、
「それには付き合えんきその仕事終わったら俺らの分もやっちょって」
「俺帰るき」
「上司は定時でした」
「ちきしょ~」っと思いながら
「嫌です」のなかった私。
「わかりました」っと潔く一言で受諾。
そんな仕事も含んで~
自腹で自分の知り合いに「一部製版」を頼みつつ~
なんとか「完全徹夜」3日目で全てを用意し
死ぬ思いで県外の印刷会社にそのまま「車」でお届け~
その間遅れた仕事もあり~
戻ってきても「徹夜」「徹夜」...
そんな毎日が何日もそして何ヶ月も続いておりました。
「もう死んでしまう」っと思いながらの
幸せは「早朝3時のコンビニ弁当」でした。
今日は中華にしよう...ハンバーグにしよう...そばにするか!
っと一人で一日通して唯一の食事をするのが
「ゆとり」でした。
しかししかし、そんな状況は改善されず、
もともと12人構成されたいた部署でしたが、
私が配属された時に一気に3人へ
会社も苦しい時でしたので「それも受諾」して頑張っておりました。
そんな昔の出来事を
この時期になると思い出します。
いまではそんなパワーございませんが、
あの時に「経験」したものって今でも「財産」でございます。
なんだこの内容...
言いたかったことは「小室哲哉」さんばりに
PCつついて仕事してたって事です~。
それも「徹夜」で~。
最後はだじゃれでしめさせていただきます。
本日もありがとうございます。
GO MORIYAMA GO! GO OBISUJI GO!