芸人ひとみちゃんへプレゼントした世界遺産のヴェリチカ岩塩鉱の岩塩の塊を、滅多に出会うこととには、なりそうもない桁外れの度量の豪傑の主人から頂いた「有名作家のぐい飲み」との物々交換を実行するために、一度はひとみちゃんへ差し上げたヴェリチカ岩塩鉱の岩塩を取り上げたお詫びにさらに大きな岩塩の塊を進呈するために、
コレコーレの本店へと車を走らせる事とした。
私たちが店から未練を残して帰ろうとしているところへ、その御主人から、今から焼き物のとても有名な作家と一杯やりに行く予定だが一緒にどうだ?
との誘いを頂いたが、さすがに泥棒が入って店の扉が壊されたままで出向くわけにもいかず、無念にもその誘いをお断りすることとなったのだが、ご主人と友人同様に交際があるという人物の名前にも驚きであった。ほとんど中古市場には、出回らない人気を誇っている作家名がご主人の口から出てきたのである。
茶碗なら50万円前後は、普通の価格でつきかねないその有名作家は、コレコーレの中でも特別高価買取にしている喉から手が出るほど欲しい作品を次々と出している人物で、その人物との直接交流はとんでもないチャンスだっただけに、泥棒への憎悪が膨らんだ一瞬でもあった。
今日の宿直は、私が担当すると決めていたので、あまり遅くならないうちに帰らなくてはならないと考えていたが、すでに遅い時間となっていた。
それにしてもひとみちゃんからは、かけがえのないご主人との出会いを演出して頂いたのである。
私が通信業という店からかけ離れた仕事から「店」を行うようになったのは、ファッション業界で作り出してきた「店」というものの本質的な力をある程度知っていたことや、運良く本当の「店」というものであった感動を知っていたからであった。
「店」の漢字は、家屋を表す言葉と、どれにするかを決定するという意味を示す「占」という意味と、占有を粘り強く継続し続ける意味を兼ね合わせ文字である。
「テン」は、簡潔に纏めれば、掌握しきるという意味であり、
「ミ」は、美であり、羊審判善による絶対的な物事の決定であり、絶対法則による成果としての「果実を」示す言葉であり、果実は、万物を引き寄せる解き放つシンボルとなる言葉であり、
「セ」は、果実を得るために課せられる試練であり、切磋琢磨、洗練、学びの課程を表す意味を示すと教わってもいます。
店は、
「見せる力を実せるミセ場所であり」
「魅せる力を実せるミセ場所であり」
「美せる力を実せたミセ場所である」
そのような格言を実現しようとしている「店」に出会うことや、
ごく稀ではあるが実際に実現していると確信させてくれる店に出会うことがある。
店の力は、外観にあるわけではなく、その品揃えだけにあるわけではなく、
その店員や、接客技術やご主人のカリスマ性にあるわけではないということに、
この年になってようやく気がつきだしている。
店は、店に集う顧客の存在感や、顧客のいかなる面を引き出すことに
成功させている店であるかと言う問いに、常に明快な答えを用意しきっている店であり、
その答えに対し、あらゆる事が、関わる物や人がひたむきに向き合っている姿勢や、
その姿勢から、何らかのエネルギーを受け取ることに、共感の輪を広げる一員として、
顧客自身さえも店に参画しているような空間を維持し続けている店である。
そのような「店」の究極ともいえる店に、幸いなことに遭遇したことが、
イタリアで一軒と、フランスで一軒と、日本での一軒、
を体験しているが、そのような空間に自身の身を置く体験をすると
店というものをいつか極めて見たいとか、
店を極める過程に学びを得てみたいという衝動に駆られるものである。
たとえば、日本の一軒は、骨董通りという日本でも中心的な場所にあるのだが、
その店の事を知っている人は、ほとんどいないほどにある意味で無名である。
無名の理由は、誰もその店名を口にしないことも理由だが、
店の入り口でオーナー自身が入店させる丁寧に満席を伝えて、
お帰り願うかを、常にオーナー自身が決めているからでもある。
かの有名な豪腕の首相たちもことごとく満席の洗礼を受け続けていて、
いまだに店内の様子すら知らないようである。
幸いなことに、私はそのオーナーから将来の有望ぶりを買われて、とても優遇されてその店に出入りしている天才的なデザイナーに連れられて、何度か足をお運ぶことができたお陰で店の力とはいかなるものかと言う私にとっては大きな問いに対して、
当時のファッション界では、とても小さくて、もっとも偉大な集合が実現されていると言われるスイスの中にあるイタリアの町で私が体験した「店」の壮絶なパワーや、パリで同じように衝撃を受けてきた「店」の力の不思議さへの問いへの答えを、
日本のこの店が実際に身体に翻訳して、胆識として理解させてくれた店でもあった。
その店が行ってきたのは、店構えの贅沢さでもなければ、綺麗に着飾った女性の存在でもなければ、人の存在すら邪魔と言いたくなるような調度品や自身の動きにいかなる緩みも与えないような緊張の空間でも、虚栄を満足させるいかなるものも存在しない空間なのである。
その店名を店の外では、一切口にしなくなったいきさつは、店側の意向から始まったのか?
常連たちの暗黙の了解として始まったことなのかは、いまだに分かてはいないが、実際に誰もが店名を口にしないこと、その店で出合った人々の交流を店の外へと持ち出していかないこと、
それらの暗黙のような約束は、鉄の約束のように顧客全員に認知されていることで、その条件を満たすことが確約できる人物しか同伴させていないようであった。
そのような暗黙の約束が実行されているにも関わらず、店内の空気は老人化することなく、常に若々しいエネルギーが何の拘束も受けずに自由に開放されている空間であり、常に新しい顧客の参加に寛容であり、あまりにも寛容すぎることが、店のオーナーの老婆心が店先へのオーナーチェックの必要性を生み出しているのだろうと納得ほどであった。
実際、私が十代から育て上げてきた最高の店長と自負していたブティックの伊東店長の誕生日に、その空間での感動を身に焼き付けさせておきたいと願い、デザイナーに誕生日にその店に連れて行く約束を取り付け、その店に出向いた事があった。
やや、その店長が若いこともあり、オーナーチェックを通らせてくれるかについて不安がないわけではない、せっかくの誕生日に心を傷つける可能性のあるチェックを受けさせることにどうかな?という不安を一瞬くらいは沸かせはしたが、すぐに否定できた。それほどにその店長の人間性は奥が深かった。
結果は、その場にいた全員と、伊東店長自身が初対面にも関わらず、
知らないうちにその店のオーナーが用意してくれた誕生セレモニーの主役となってのパーティーを体験できたのである。
その日の感動が今の伊東店長を作っていった大きなきっかけとなったことは、とてもよく判ることである。
実際、念願のフランス人の人生を生きるために、気難しいことで有名な大女優の岸恵子さんの自宅への同居生活経験して、とても厳しいマナー洗礼を受けるチャンスを得てさらな飛躍に生きている事実が、私にとっての、この店の存在理由の証明であり、生涯をかける価値との出会いに確かさを与え続けていてくれるエピソードでもある。
そのようなエピソードをこの店は、いくつ生み出したのであろうと創造すると、ただの金儲けに人生を費やしてしまう愚かさをいつも叱咤されてきたような気がするのである。
そのような満足感や、感動を知らないコレコーレのスタッフたちに、物々交換と言う地獄に向かうか?天国に向うか?という答えがもっとも分かりやすく出る業務に身を置かせる事は、かなりの大きな壁にぶつかり続ける連続に心身共に限界に生きるような過酷さがある。
今は、まだ何合目と言う言葉すら出せないレベルだが‥いつか伊東店長が感動した世界に身を置かせてあげたいものである。
話は戻すが‥
ひとみちゃんから紹介された店は、確かにそのオーナーの店作りとは、表面的には事なる部分が多いが、道は違えど、やり方は違えど行き着くところ、目指すところは同じなのではないかという考えからはずれ難い出会いだった。
そのような至福の時間を堪能して、今朝泥棒が入ってまだ自動扉が割れたままという「現実の世界」、「問題の渦中」というリアルにひとみちゃんごと入り込むこととなった。
しかし、ひとみちゃんは、泥棒のことは忘れたように、店内を夢中で物色し始めるのである。
もちろん、その場にいたコレコーレのスタッフを紹介した後の事ではあるが‥
店にかなり興味を、持って頂いている様子と、是非ひとみちゃんの人物に見込んで朝礼に参加して頂き、率直な意見が欲しいという願望が湧き上がっていて、
お願いの結果、
ひとみちゃんのお泊り決定がなされたのであるが‥
泥棒に自動扉を破壊された前に、
万博の際にオーストラリアのVIPルームで使用されていた長めのソファーを置き私が眠り、
ひとみちゃんは何人か有名人が突然宿泊することになった茶室で眠ることになった。
ひとみちゃんの疲労も相当のようで、当店のゴッドハンドと言われている不思議な力を持った癒しの達人からある申し出がなされた。
私に触らせてください。
どこに?
身体に、
え!?
まずは脱いでください。
ど、ど、どこで‥
茶室はいかがですか?
などと言う会話の果てに、二人は茶室に入っていきました。
私はソファーの上で、今日収録し生放送で流された内容を聞こうと
ラジカセから流れてくる放送内容を聞こうかなと思っているうちに、
眠りについてしまいました。
ひとみちゃんを癒してくれたゴッドハンドのコレコーレスタッフ
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3736851&_fof
塗香菩薩さんこと菊池さんがなぜゴッドハンドと呼ばれる程の腕前なのか?
川合塾が経営するトライデントの講師へのオファーを辞退してなぜコレコーレのスタッフになっているかについては、また長い話になるので後日触れることとします。
続きは、明日書きます。