物々交換コレコーレ

物々交換が出来る不思議なお店

当店紹介のブログ急増中!!面白いブログに記念品を進呈しようか検討中!!

2010-10-24 04:21:47 | ブログ

名古屋の名東区で物々交換屋の店をやっています。

                   
 

   店を紹介してくれているブログがとても多くなったらしく、

スタッフからブログや社長のブログで一押しのブログを紹介して欲しいとの要望が上がり、

こんな内容がリストアップされてきました。

他にも何か面白い紹介ブログを発見しましたら、是非、ご紹介下さい。




さかさまに作った店のある場所では、有名芸人やタレント・アーチストなども記念写真を撮って行ってくれる

ようになったこともあり、とてもユニークな写真も次々と撮られ出してきました。

この写真も合わせて掲載して欲しいと言う要望がありましたが、有名人の方は、それぞれの事務所的に許 可が出難い画像もあり、ここでの紹介は今のところ難しそうです。

macaroni Drop 〈マカロニ ドロップ〉

http://ameblo.jp/macaroni-drop/entry-10289909515.html

★ナルミママのブログ
http://ameblo.jp/okanaru828/entry-10515749869.html

アメリカ館「USA」巨大サインなど

http://expoafter.web.fc2.com/expoafter2-16.html

万博村の会代表へーほーの日記
http://blog.livedoor.jp/heho3/archives/1019260.html

*Happy ayu's Life*
http://ameblo.jp/dipstick0714/entry-10655956638.html

無慈悲なパイプBLOG コレコーレの朝礼

http://mujihi.blog.shinobi.jp/Entry/1168/

YouTube - 物々交換・コレコーレ
http://www.youtube.com/watch?v=HFrj2mgIkXM

ヴァニRさんのページ
http://www.kosodate-style.jp/mypage/2410/article/393946/

lave the new life 
な日々
http://ameblo.jp/lovethenewlife/entry-10488681597.html

さっちんブログ
http://ameblo.jp/yotsumen/entry-10640872458.html

名古屋でもっとも変な店を教えてください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416648909

生涯学徒fusajiiのブログ
http://ameblo.jp/fusa-ken/entry-10561733519.html

コレコーレにお宝が
http://expoafter.web.fc2.com/expoafter2-17.html

レポドラ日記野田英里
http://blog.hicbc.com/blog/repodora/archives/13/

局へのアクセス人気ベストスリー(スーパーニュース東海テレビ調査)
http://friends.benigumo.com/archives/9954efe89b7d9011a92dbd9f102d6464.html

a la carte (ファッション)楽天ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/designfeti/diary/201003210000/

アージュドールの美人スタッフのブログ

http://ameblo.jp/agedor/entry-10625285119.html

増田喜子のオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/masumasunakayoshikoyoshi/entry-10439558717.html

多田えりかオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/erika-haniwa0114/entry-10288597410.html

エディタ・コミュニティ
http://community.edita.jp/blog_photo_display/m-4a1d49c43c471/blog_no-m/photo-4a90ad649c414
東京日記
http://akkiman12.exblog.jp/2085980/
A-tsuのMusic Pop
http://musicpop.exblog.jp/457658/
ひとみちゃんからミカハウスへのご招待
http://mujihi.blog.shinobi.jp/Date/201010/1.html

情報誌 愛知県漂流
http://hyouryu.fc2web.com/log.html

他にも、何か面白い紹介ブログがありましたら、是非ご紹介下さい。


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<まだ続いています>泥棒に入られたコレコーレに緊急宿泊した芸人ひとみちゃんが朝礼に参加するというハプ

2010-10-09 07:52:57 | ブログ

手荒な方法で泥棒が入った店に、なんと芸人のひとみちゃんも剣道2段の腕前を見込まれて連続泥防犯の暴挙を阻止するために、強力な助っ人として宿泊することになった。
そのお礼とばかりに、当店のとてもスペシャルなスタッフが特別なお招きで接待させて頂くことになったようである。

私は、すぐそばで即、熟睡に突入したために、詳細は分からなかったが明朝のひとみちゃんの反応を聞く限り大満足であったようである。

ひとみちゃんを癒してくれたゴッドハンドのコレコーレスタッフ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3736851&_fof

塗香菩薩さんこと菊池さんが、なぜゴッドハンドと呼ばれる程の腕前なのか?

川合塾が経営するトライデントの講師へのオファーを辞退してなぜか、コレコーレのスタッフとなっているかについては、また長い話になるので後日触れることとします。

翌朝、目覚めたひとみちゃんは、再び、店内の物色を再会しているところへ、是非、蛍堂のご主人同様に朝礼に参加して一言ご意見を頂きたいという要請をしたところ、喜んで引き受けますというご返事を頂くことができた。

昨日からのひとみちゃんとの15時間ほどのお付き合いの中で、只者でない人間の厚みを持っている人物ということがさらにわかってきていたので、是 非、泥棒に店が荒らされた翌朝という2度とおきないような状況に対する客観的なご意見を頂くチャンスとばかりお願いすることとなった。

その日の朝礼のメイン課題は、店に泥棒に入られたという事実に対し、どのように各スタッフは対応することが望ましいのかというか課題を話し合うというものであった。

まずは、コレコーレでは、朝礼10か条の唱和から始まる。
10ヵ条は、会社の従業員たちがかなり膨大な時間をかけて作り上げたものであった。
会社では、原理原則を学ぶ教科書として、言葉の語源を紐解くことからあらゆるヒントを得るようにしている。

「字」の「ジ」は、究極にぴったりとはまるべきものがはまったものを具現化したものという意味だそうだが、字の語源や、字の形の力や、音の力など調べれば調べるほどに面白いし、原理原則に肉薄する答えを返し続けてくれる。

どのような経緯で言葉の語源が誕生したのか、実際のところは、各研究者の答えがまちまちすぎて判別が困難であるが、言語の発達が必ずしも絶対ではなく、むしろアカシックレコード
http://homepage1.nifty.com/akashic/index1.htmlのような完全形を源にして、正確なテレパシーの意思疎通という歴史から権力者の都合により解釈を歪められてきたり、権力者からの圧力で意図的に言語を不用意に劣化させる協力をさせられてきたと言う考えも否定できないのかもしれない。

実際、日本では明治天皇が国民を国外との戦争に向かわせ続ける目的で、「禊」などの言葉を初めとする言語の解釈をいじることでいかなる悪行も許さ れることを意味する言葉を操って来た歴史や、近年では、戦後の占領下においてマッカサーが世界の最高権力者の意向を受けて日本から漢字を完全撤廃する計画 が実行された、最後の最後に良心の呵責に苦しんだ東京大学栄誉教授の柴田武氏の裏切りにより、GHQの将校ジョン・ベルセルとの最終協議においてぎりぎり の瀬戸際で日本語が守られた歴史がある。しかし、その漢字の解釈と言う意味では大きな圧力に屈し続ける日々が続き大切な言語の正確な解釈が阻害されてきた という内容を私を見舞いに来た国語の先生に聞かされたことがある。

世界を牛耳る最高権力者がなぜ、日本語をを目の敵にしたのかという疑問に対して、その教師は2つの理由があると教えて頂いた。
1つは、アメリカ人などと比べて日本人の平均的なIQが5点も高くなっている原因として日本語の文脈変換能力の異常な高さという特異性があること、
2つめは、原理原則を言語と言う日常にあまりにも深く浸透化させて副流水のように日本人魂が脈々と流れすぎているために、効果的な洗脳成果を引き出すことへの阻害となっていること。

世界のマスコミの報道方針や洗脳方針を決定していく、ある意味で世界最高の司令塔となっている英国王立国際問題問題研究所の下部組織タヴィストッ ク人間関係研究所の意向を受けて日本の戦後の洗脳計画を請け負ってきたマッカサーにとって、地政学的アジア戦略の絶対的な要となる日本をどうしても洗脳し やすい土壌に切り替えていく使命が与えられていたと教えられました。

真実のほどは、私の理解の範疇を大きく超えてしまうので、真相は闇の中ですが、

世間に知られている?。 GHQ将校ジョン・ベルセルと言語学者柴田武教授とのエピソード

日本が敗戦しGHQに統治されたとき
その改革は日本語にまで及ぶ。
1948年春、米軍将校ジョン・ベルゼルは
「日本語は漢字が多く難しいので国民の識字率が低い。
そのため民主化が遅れている。」

そう思いこみローマ字或いは英語を強制しようと
画策した。
そして国民一万七千人を抽出し
言語学者、柴田 武 氏に読み書き能力テストを
実施させる。
結果は
ベルゼルの思惑とは違い識字率は97.9パーセント
読み書きが出来ない人は2.1パーセントに留まった。
これは世界的に見ても驚嘆に値していた。
ベルゼルは柴田を呼び出すと
「識字率が低い結果を(ねつ造して)公表しろ。そうしないと困る」
と暗に迫るが柴田が断固拒否した。



上記の逸話も、その内容だけが全てではないとの事である。

いずれにしても、原理原則を会得することが、思考を発展させる上で何よりも重要であると言う考えから、当社では徹底的に語源に遡って学びを得ようとしている。

3銃士の掛け声から始まる1ヶ条2ヶ条に続き、社員たちが漢字源、字通、字統など語源を紐解く辞書などや各種文献を独自に調べて10ヶ条を作成した。

本来なら、もう少し踏み込みたいところであるが、現在の社員の理解力段階ということで、いずれの改良が加わるまで、現在の10ヶ条が当社の毎朝の唱和の言葉となって、毎日の営業へとつないでいくことになるのだろう。

1、一つ 一人は皆の為に、此処に集う事とする。

2、二つ 皆は、ひとりの為に此処に集う事とする。

3、三つ 人に言うとは、理解をし合う事とする。

4、四つ 信じるとは、言葉を形に現す事とする。

5、五つ 儲けるとは、信じるものと明日を作り上げる事とする。

6、六つ 理解とは価値を共有するためにイマジネーションを創造することとする。

7、七つ 創造とは、できないことへの挑戦が生み出す付加価値とする。

8、八つ価値とは、真直ぐに立った時にこそ計れる人々に役立つ特性の値とする。

9、我々の座標軸の値は、社会参与を通じた真の自由創造を示すものとする。

10、自ら由らしむ事を基本とする最良の自由を追求する同志として我々は此処に集う事とする。

 

朝礼10ヶ条を唱和した後、本題への朝礼が始まった

そして、コレコーレの朝礼は、泥棒被害への対処について、一人一人の意見の発表が始まった、おおよその意見が泥棒被害の事実に対しつまびらかにして、よく被害にあった会社が行なうような意図的に被害自体を隠すように動く言動にならないように勤めるという意見であった。

私からどのような対応がベストであるかと言うコメントは、行なわず、再度翌日までに、企業理念経営の圧倒的な力を、今まで理念経営を進めてくる中 で、何度も社員間で話し合われてきたジョンソン&ジョンソンの顧客から死亡者を多数出した事件において、世界に知らしめた有名なエピソードを私から再度披 露して、その議題ついては、さらに熟考させて明日意見交換して欲しいという内容で終えた。

そして、いよいよひとみちゃんへ朝礼の主役が移っていった。

私は、今朝の朝礼に備えてある資料を用意していた。

その内容は、私の外部ブログに掲載してある物だった。

泥棒に入られた翌朝の朝礼に備えたある資料。
http://corecolle.blog.ocn.ne.jp/info/2010/10/post_4014.html#more

医療関係や、製薬会社などは、万一に備えたマニュアルが非常に厳重で、その厳重さゆえに実際の応用には後手後手回りになりすぎてむしろ大変な問題 へと発展するケースが多いが、ジョンソン&ジョンソンには一切のマニュアルが存在せず、また、今後においても作成する予定もなければ、作成する意思もない ことを社員全員が誇りのしていると言われている。

ジョンソン&ジョンソンの企業理念
http://www.jnj.co.jp/group/credo/index.html

続く

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泥棒に入られた翌朝の朝礼に備えたある資料。

2010-10-09 07:23:49 | ブログ

*泥棒に入られた事への発覚までの時間およそ、5分以内。
*泥棒発見から警察までの通報時間およそ、30秒
*マスコミへの連絡の時間、4時間(担当者の出社時間へ合わせた時間。)

企業説明を考える資料として、下記のような内容をひつの参考にしている。
また、当社が理念経営を重んじるきっかけを作った大きな理由として、ジョンソン&ジョンソンのエピソードがとても重要になっている。



企業が何か不祥事を起こしたときに開かれる記者会見。経営のトップがうちそろって深々と頭を下げて謝罪するシーンは、前にも書いたように見慣れた風景に なってしまった。こうした会見におけるメディアヘの対応がまずく、ますますダメージを広げてしまい、ついには社長交代に追いつめられるという例も多い。
このような事態の場合、企業がもっとも避けなければならないことは何か?日本パブリックリレーションズ協会がそのアンケート調査を行なったことがあり、その結果はつぎのようになった。回答者はメディアの記者の人たちである。
断然多かったのは「会見でのウソ、隠蔽」と「マスコミの取材を一切拒否」の二つであった。次いで「トップが記者会見に出ない企業対応」「トップが情報を知らずに会見に臨む事態」であり、「ミスリードしたり、世論を誘導するような対応」の順であった。
先にジョンソン&ジョンソン社の危機対応の例を、成功したひとつの例として出したが、危機対応に失敗した有名な例としてフランスのペリエ社の事件がある。
一九九〇年、ペリエ社の飲料水にベンゼン混入の痕跡が見られるという報道がなされた。
このときペリエ社の経営陣は、ビンの洗浄段階で起きたたったひとつの例外的な事故であって、ベンゼンによる汚染は、北米地域で数本見つかっただけであり、「数日で忘れ去られるような些細なこと」であるという認識で、緊急の対策を何もとらなかった。
しかしその後、異物混人が認められるボトルが世界中で見つかり、ペリエ社の株価は、事態が発覚してから二十四時間経たないうちに暴落しはじめた。
アメリカ市場では自発的に製品回収の動きが出はじめたが、ペリエ社は「アメリカ人は弱腰だ」ときめつけ、アメリカでの回収の動きを、消費者に対する健康面 への配慮とは受け取らず、「フランスでは、消費者はこうしたことは気にしていない」というまことに驚くべきコメントを出しつづける始末だった。
ペリエ社としては、製品イメ-ジを損ないたくないためにとったメディアヘの対応であったのであるが、説明責任をまったく欠いたこのような乱暴なコメントが 報道されたことにより、ペリエ社の対応は消費者への気遣いがまったく欠けていると受け取られ、世界の主要市場で強い反発を招く結果になった。
結局、ペリエ社が世界市場から製品の回収を決断したのは、ベンゼンの混入発見後、四日を経過してからであった。その際ペリエ社は「回収措置が、全世界のペリエ社のイメ-ジを救った」
2
という声明を発表した。
しかしときすでに遅く、そのときにはペリエ社の商品イメージはすでに損なわれており、「ペリエ社は決断力がなく、問題の深刻さに対する態度に一貫性がな い」と見なされる状態に落ち込んでいたのであった。安全な飲料水を消費者に届ける責任を負う同社は、市場への説明責任を果たすのを怠ったのである。
事態発覚から対応までの相手側の視点に立った「双方向性コミュニケーション」が欠如し、また自己修正機能が働かなかったペリエ社の動向は、メディアから嘲笑されるところとなった。このペリエ社の例は、クライシス・マネジメントの代表的な失敗例といえる。
ペリエ社はこの事件のあと、数々の宣伝キャンペーンを行ない、問題となった飲料水の人気を回復することができた。しかしその人気回復に使われたのは、従来 の一〇〇〇ミリリットルのボトルではなく、七五〇ミリリットルのボトルであった。しかも新ボトルは元のボトルとまったく同じ値段で売られたので、ある意 味、ペリエ社の怠慢のツケを消費者が支払っているという見方もできるのである。
では、どのようなやり方が成功例であるのか、最近の身近な事件から拾ってみたい。
これは事件というようなものではないが、人気タレントの草彅剛さん(三十四歳)の、深夜?酔全裸事件は、ファンにとってはショックな事件だったろう。
「とてもいい人」として人気のある彼が、二〇〇九年四月二十三日の午前三時ごろ、自宅マンション近くの公園で?酔状態で全裸になり奇声を上げた。近所の人に通報され、駆けつけた警察官に反抗したので逮捕されたのだが、ひと晩留置のあと送検、処分保留で釈放された。
釈放後、すぐに記者会見を開いて、本人が自分の言葉で謝罪した。自分の奇矯な行動を世間にお詫びしたので、説明責任はいちおうセーフといえる。
なぜあのような突飛な行動に駆り立てられたのか、彼を追いつめた心の底の懊悩については、プライバシーに関することなので説明する必要はない。誰かに危害を与えたりしているならともかく、そうした事実はない。
ともかく、その誠実さが十分に国民に伝わり、事件発生後わずか一カ月ほどでCMも放映されテレビにも復帰したようなので、ファンの人たちもひと安心だろう。誠実さが感じられる説明は、人の心に訴える力があり、説明責任を果たすうえで、より大きな効果をもたらす。
その人の誠実さが、トラブルや危機に直面したときに表われるよい例である。
これまでは日本企業の悲観的な話をしてきたが、最近「説明責任」に目覚めはじめた経営者も現われてきたのは喜ばしいことだ。単に説明する責任を果たすだけではなく、説明したことについてもきちんと社会的責任を果たしている。こうした実例を紹介しよう。
最初の事例はアスベスト事件で、これは二〇〇五年に、農機具の大手製造メーカーであるクボタが、二〇〇五年にアスベスト(石綿)が原因で一九七八年度以降 工場従業員や外部業者など計七十九人が、胸膜や腹膜に起きるがん(中皮腫)などで死亡していることを自発的に明らかにしたことにはじまる。クボタは、発病 についての因果関係や法的責任の有無が確認されていない段階で、企業サイドの判断で見舞金の支給や亡くなった患者への弔慰金支給の内規作りなどの対策を進 めた。
厚生労働省は「周辺住民らの被害把握を急ぐ」狙いで、アスベストによる労災認定事業所を公表。名指しされた企業が戸惑いを見せる中でクボタは事実関係の把握作業にすでに着手していて、
3
社長自らが健康被害者に会うなど、矢継ぎ早で能動的な取り組みが行なわれ、遺族に弔慰金や見舞金の支払いを決めた。その後も地域住民に対して従業員並みの 補償の発表や、二〇〇六年に入っても、周辺住民に対して社員を上回る最高四千六百万円保証枠の提示や救済金支払いなどを決定している。
クボタの一連の対応には「説明責任」に目覚めはじめた経営者の姿勢がうかがえる。
パナソニック(旧松下電器産業)の関係者のあいだで、いまだに語り継がれているひとつの伝説がある。それは松下電器の創業者・松下幸之助氏が自ら先頭に立って、会社の危機回避に奔走するキッカケとなった『熱海会談』の一件である。
この『熱海会談』の物語は、「説明責任」あるいは「危機管理」という重要な要素を包含する、パブリック・リレーションズにおける対応の例として、後ほど再び紹介するジョンソン&ジョンソン社の成功例に、勝るとも?らぬ輝かしい成功例である。
その伝説的な『熱海会談』の経緯を「PHP Business Review 特別版 松下幸之助創業の心 Vol.2-難局を乗り切る理念と実践」をひもといて見てみよう。
一九六四年(昭和三十九年)といえば、あの東京オリンピックが十月に開催された年であったが、オリンピックを前にして日本の経済界は大不況に突入しつつあった。それまでの高度経済成長に急ブレーキがかかったのである。
松下電器(当時)も他企業同様、不景気の波に揉まれていた。社の苦境に危機感をつのらせた松下幸之助は、一九六四年七月九日に、全国百七十社の販売会社・ 代理店の社長たちを熱海のホテルに招き経営の実状を聞いた。これが「全国販売会社代理店社長懇談会」、のちの通称『熱海会談』であった。
松下幸之助はその会の開催の経緯をこう述べている。
「当時の日本は不況が深刻化し、企業の行きづまり、倒産も多くなっていました。電機業界においても同様で、一流といわれる会社が大きな欠損を出したりし て、非常に経営の悪化が広がっていました。それで私は、松下電器の販売会社・代理店の経営状況はどうかと気になり、実状を聞こうと懇談することにしたので す」
さて、販売会社・代理店の話を開いてみると、どこも予想以上の苦しい状況であった。利益の出ている会社は、百七十社中二十数社にすぎず、資本金の三十倍以 上の赤字を出している会社や、多額の手形を抱えて資金繰りに追われている会社と、どこも不況の波の中でアップアップしている状態であった。
「実状を聞かせて欲しい」という松下電器側からの問いかけに対し、出てくるものは松下電器への不平不満ばかりという状態であった。
「資本金が五百万円なのに、一億五千万円もの赤字が出ている。松下電器のいうとおりにやっているのに儲からん」
それからの議論は、販売会社・代理店側は松下電器に責任があるといい、松下電器側は、販売会社・代理店の経営に問題があるという非難合戦の様相を呈したのであった。松下幸之助は延々と演壇に立ちつづけて批判、非難の矢面に立っていた。
そして三日目が来た。演壇に立ちつづける松下幸之助の脳裏にある感慨が次第に醸成されていった。松下幸之助はこう述べている。
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「私はその場で出されている不平や不満をふり返って見ました。それらは一面、販売会社・代理店の経営に対する甘さからくるものだと見ることもできましたが、松下電器にもあらためなければならない問題があるのではなかろうかと思ったのです」
つまり、反省をしなければならないのは松下電器であり、知らず知らずに自分たちは慢心していたのではないか。それが今日の苦境を生み出した原因のすべてではないか。
脳裏に醸成された感慨は瞬時に確信に変わった。雷に打たれたようにそのことを悟った松下幸之助の口から、会場の人々に向かって陳謝の言葉が流れ出した。
「松下電器が今日の姿に発展したのも、みなさまが松下電器を育ててやろうとごひいきにして下さったおかげです。そのことを考えれば、私のほうから不足を申 し上げるのは間違っておりました。みなさまが損を出しておられるのは、松下電器の注意が足らなかったからです。今後は松下電器は、取り引きその他いっさい の点に根本的な改善を行ない、みなさまの経営の安泰のため、業界の安定のために努力しなければならないと感じております。ほんとうに申し訳ありませんでし た」
三十年ほど前に電球を販売するにあたり、「松下電器を育てると思って販売して下さい」とお願いし、それに応えて汗水流して必死に販売してくれた人々。その人々の真摯な姿を思い出し、そのエピソードを語るうちに松下幸之助の声は涙声になり、目からは涙がこぼれ落ちた。
松下幸之助が思わずハンカチで目をぬぐうと、それまでザワついていた会場がシンと静まり、会場の人々もまたハンカチで目をぬぐい、中には嗚咽を漏らす人もいるではないか。
このとき、壇上の松下幸之助と会場の人々は、何ともいえず心地よく、希望が湧いてくるような連帯感で結ばれたのであった。
やがてひとりの代理店社長が立ち上がっていった。
「考えてみると、松下さんとわれわれの間は、単なる金銭などで結ばれているのではない。もっと深い、精神的なつながりがあるのだ。これまで松下電器が悪いといって責めてばかりきたが、われわれも間違っていた。あらためることは多い」
それまで非難の応酬だった会場は、一転、心温まる感動の発露の場へと変わり、松下幸之助も会場の人々も、涙と笑いで顔をクチャクチャにしていた。
かくして『熱海会談』は幕を閉じたのであった。
『熱海会談』のあとの松下幸之助の行動は素早く激しかった。七十歳を迎えようとする老いの体にムチ打って、まさに八面六臂の働きをしたといっていい。
会談終了当日、販売会社や代理店の社長を見送ったあと、幹部社員をホテルに残し「われわれは反省から始めよう」といって、三年の間に販売制度をきちんと確立しようと決意を述べた。
その後は東奔西走、人々の話を聞き、販売現場に顔を出し、自社に足りないものは何かを追い求め、外国の経営実態を探り、変化の趨勢に敏感に反応するアンテ ナを張りめぐらし、その上でしきりに自己反省して、謙虚で誠実な初心に戻ることに努めたのだった。そして、『熱海会談』からたった八カ月後の一九六五年 (昭和四十年)二月には、新販売制度を全国で実施することに成功したのである。その新制度により、松下電器の企業としての体制は磐石となり、現在の隆盛を 招いたといえる。
松下幸之助のこの一連の動きはまさに、パブリック・リレーンョンズにおける重要な三原則「倫理観」「双方向性」「自己修正」をクリアした、見事な模範例といえるのである。
5
危機管理の成功例として、ジョンソン&ジョンソン社の例を、もういちどすこし詳しく見てみよう。
一九八二年九月に、アメリカのシカゴで同社の頭痛薬「タイレノール」にシアン化合物が混入しており、使用した人から死者が出たことが報道された。この「タ イレノール」は同社の主力製品で、社の全利益中の一五%を占めていた。報道の直後から同社は、カプセル錠剤の入った数百万ボトルの回収を始め、同時に製品 を特っている可能性のある、医師、病院、流通業者に対して、危険性を警告したのだった。そのあと、八百万カプセルをテストして、毒物混入錠剤を七十五個見 つけた。
この事件による死者は七人にまで増え、アメリカの全土に不安は広まった。事件後の調査によると、じつに全消費者の九四%が、「タイレノール」は毒物との関連性がある薬と答えているほどであった。
事件発生の直後、同社はジム・バーク会長を中心とした七人の危機管理チームを編成、緊急対策をつぎつぎに打ち出した。批判的な報道が出る中で、同社の素早 い対応は注目され、有力紙が「誰かをリスクにさらすより、自社が膨大な損失を被ることを選択した」と、その取り組みを評価する記事を書き、中には賞賛の声 すら紹介するメディアも現われた。
金額的に見れば製品回収コストは、流通コストの十倍近くかかるという専門家の見積もりもあり、同社が危険性の警告に要した費用だけでも、五十万ドル近いと見られている。また同社が、タイレノール危機から回復するのに、五千万ドル以上を費やしたとも推測されている。
ジョンソン&ジョンソン社の対応は「最悪のシナリオ」を前提にしていたといっていい。
製造過程での事故により毒物が混入した可能性はないか、製品回収の遅れが死傷者の増大につながらないか、顧客や消費者がどのような関心を持つかなど、それ ぞれ最悪の場合を想定したのであった。同社の信条は顧客第一主義であり、実態が不明の段階で即座に回収に乗り出し、誰もが毒物入り錠剤を使用する可能性が あるとの前提で警告を発した。
それにともなって、製造過程における毒物混入の可能性を検証し、製品テストも実施した。同社がとった一連の行動は、これは製品事故ではなく、何者かの悪意 による毒物混入であるという印象を消費者に与え、最終的には同社の企業イメージを保つことに成功したのだった。さらに注目すべきことは、同社は緊急事態発 生に対してスピーディな対応を通して積極的な情報開示を行ない説明責任を果たす一方で、主力製品の再発売を急がず慎重にビジネスチャンスを待ったことで あった。
その後の調査により、この事件は「悪意による毒物混入」であることが判明した。この頭痛薬は社の主力製品であるのだから、毒物の混入が製造過程の問題では なく、人為的な故意の混入であったことを考えれば、ふつうは再発売を急ごうとするものだが、ジョンソン&ジョンソン社はその気持ちを抑えて再発売を急がな かったのである。というのも、この時期、事件を受けて政府や薬品関係の所管当局(食品医薬品局)が、薬剤安全法制定に向けて動いており、ジョンソン&ジョ ンソン社はそこに注目したからであった。
その当時、アメリカの鎮痛剤市場は約十二億ドルであり、事件前にはジョンソン&ジョンソン社が三割以上のシェアを占めていたのだが、回収措置をとった直後 のシェアは、なんとゼロという有様であった。それにもかかわらず同社は、食品医薬品局の課した不正開封防止パッケージなどの諸規制を、他社に先駆けて取り 入れた上で再発売した。必要とされる「修正」を素早く行な
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ったのである。
新パッケージ導入の動きは大々的に取り上げられ、五カ月後の同社のシェアは事件前の七割にまで回復したのだった。シェアはかなり減?したものの、ナンバー ワンの地位を保った上、同業他社も不正開封防止パッケージ導入などの措置に、追随せざるを得ない状況を作り出したのであった。
ジョンソン&ジョンソン社とペリエ社の、事故対応の成功例と失敗例を見たが、パブリック・リレーションズにおける「説明責任」においてとくに重要なことは、「聞かれなくても常日頃、情報をコンスタントに出すという姿勢」であるといえる。
オープンで誠実な態度であるか否かが、前記の事故の場合でも、そのあとのダメージを受ける度合いの軽重にかかわってくる。
ひるがえって日本の場合を考えてみると、どちらかというと聞かれたら出すというところが多い。かなり口が重いほうである。日本の広報はどこも、メディアが きたらはじめて口を開いて説明する、という態度になっている。能動的ではなく受動的な姿勢をとる広報が多い。だから、彼らは白分たちで戦略性を持って動く ことができないといえる。
「説明責任」ということについても、メディア側はいつも、はっきりいってもらいたいと思っているのだが、情報を出す側が積極的に出さないから、メディア側 にもフラストレーションがたまってしまう。情報が出てこないから、メディアは情報に飢えているところがある。すると、「説明責任」とは無関係なことでも、 ときにはガセネタでも書いて報道してしまうという結果になる。「説明責任」の意識が弱い環境には情報がないわけだから、人々は情報に飢えている。そんな状 態のときに、「関係者」とか「何々筋」などというところから出てくると、そのあいまいな情報に飛びついてしまうということになる。
その情報が正しい情報かどうか、もちろんメディアも吟味はしているのだろうが、新聞などのメディアは、一刻も早く伝えるということを要求されているので、 結果的に踊らされた記事を書いてしまうということもままある。情報操作されやすい環境が生まれてしまうことになるわけだ。
危機管理においてもっとも重要なことは、メディア対応がうまく機敏にできるかということだろう。
事故が起きたとき、警察や消防などへの連絡だけでなく、メディアヘの連絡も非常に大事である。この連絡に時間がかかると、マイナスの憶測を呼ぶことになり、メディアの論調は原因解明前から批判的になることが多い。
メディアの情報収集能力はかなり強力でスピーディなので、企業が把握している以上の事実を知ろうとする。メディアに対しての初動対応が後手にまわると、企 業の対応は受身になる。するとメディア側は「不利な事実を隠そうとしているのではないか」、「現在進行している緊急事態に対する認識が甘いのではないか」 という疑いを抱くことになる。
企業にとって不利なニュースであっても、事実を隠そうとせず、説明責任を明らかにし、適切で素早く取材に対応する体制を整備することが大事である。取材が集中する場合は、積極的に会見を行なうなど、メディアヘの情報提供には、守りではなく攻めの姿勢で臨むべきである。
一般的にいうと、メディアヘの第一報は、危機発生後三十分以内にしなければならないといわれている。
工場火災などが発生した場合、本社など、意思決定を行なわなければならない部署は、消防、
7
警察などの関係当局への連絡をすませ、現場から火災発生状況や詳しい経過を把握し、場合によっては、付近の住民の避難誘導などの対策を講じ、それと並行し てメディアヘの連絡を行なわなければならない。この一連の行動を三十分以内にすませなければならないということなのである。
現実には、メディアからの問い合わせがあってはじめて、企業本社の意思決定部署が、危機発生を知るというようなことが多いようで、短時間で上記のような対応態勢をとることはかなり困難ではある。



[出典:井之上喬 著「『説明責任』とは何か」(PHP研究所、2009)]一部省略した部分がある。

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<続き>泥棒に破壊された自動扉で、無防備となった深夜の店の宿直人は、なぜか芸人ひとみちゃんが!!

2010-10-08 01:00:41 | ブログ

芸人ひとみちゃんへプレゼントした世界遺産のヴェリチカ岩塩鉱の岩塩の塊を、滅多に出会うこととには、なりそうもない桁外れの度量の豪傑の主人から頂いた「有名作家のぐい飲み」との物々交換を実行するために、一度はひとみちゃんへ差し上げたヴェリチカ岩塩鉱の岩塩を取り上げたお詫びにさらに大きな岩塩の塊を進呈するために、
コレコーレの本店へと車を走らせる事とした。

私たちが店から未練を残して帰ろうとしているところへ、その御主人から、今から焼き物のとても有名な作家と一杯やりに行く予定だが一緒にどうだ?

との誘いを頂いたが、さすがに泥棒が入って店の扉が壊されたままで出向くわけにもいかず、無念にもその誘いをお断りすることとなったのだが、ご主人と友人同様に交際があるという人物の名前にも驚きであった。ほとんど中古市場には、出回らない人気を誇っている作家名がご主人の口から出てきたのである。

茶碗なら50万円前後は、普通の価格でつきかねないその有名作家は、コレコーレの中でも特別高価買取にしている喉から手が出るほど欲しい作品を次々と出している人物で、その人物との直接交流はとんでもないチャンスだっただけに、泥棒への憎悪が膨らんだ一瞬でもあった。

今日の宿直は、私が担当すると決めていたので、あまり遅くならないうちに帰らなくてはならないと考えていたが、すでに遅い時間となっていた。

それにしてもひとみちゃんからは、かけがえのないご主人との出会いを演出して頂いたのである。

私が通信業という店からかけ離れた仕事から「店」を行うようになったのは、ファッション業界で作り出してきた「店」というものの本質的な力をある程度知っていたことや、運良く本当の「店」というものであった感動を知っていたからであった。

「店」の漢字は、家屋を表す言葉と、どれにするかを決定するという意味を示す「占」という意味と、占有を粘り強く継続し続ける意味を兼ね合わせ文字である。

「テン」は、簡潔に纏めれば、掌握しきるという意味であり、

「ミ」は、美であり、羊審判善による絶対的な物事の決定であり、絶対法則による成果としての「果実を」示す言葉であり、果実は、万物を引き寄せる解き放つシンボルとなる言葉であり、
「セ」は、果実を得るために課せられる試練であり、切磋琢磨、洗練、学びの課程を表す意味を示すと教わってもいます。

店は、

「見せる力を実せるミセ場所であり」
「魅せる力を実せるミセ場所であり」

「美せる力を実せたミセ場所である」

そのような格言を実現しようとしている「店」に出会うことや、
ごく稀ではあるが実際に実現していると確信させてくれる店に出会うことがある。

店の力は、外観にあるわけではなく、その品揃えだけにあるわけではなく、
その店員や、接客技術やご主人のカリスマ性にあるわけではないということに、
この年になってようやく気がつきだしている。

店は、店に集う顧客の存在感や、顧客のいかなる面を引き出すことに
成功させている店であるかと言う問いに、常に明快な答えを用意しきっている店であり、
その答えに対し、あらゆる事が、関わる物や人がひたむきに向き合っている姿勢や、
その姿勢から、何らかのエネルギーを受け取ることに、共感の輪を広げる一員として、
顧客自身さえも店に参画しているような空間を維持し続けている店である。

そのような「店」の究極ともいえる店に、幸いなことに遭遇したことが、
イタリアで一軒と、フランスで一軒と、日本での一軒、
を体験しているが、そのような空間に自身の身を置く体験をすると
店というものをいつか極めて見たいとか、
店を極める過程に学びを得てみたいという衝動に駆られるものである。

たとえば、日本の一軒は、骨董通りという日本でも中心的な場所にあるのだが、
その店の事を知っている人は、ほとんどいないほどにある意味で無名である。

無名の理由は、誰もその店名を口にしないことも理由だが、
店の入り口でオーナー自身が入店させる丁寧に満席を伝えて、
お帰り願うかを、常にオーナー自身が決めているからでもある。

かの有名な豪腕の首相たちもことごとく満席の洗礼を受け続けていて、
いまだに店内の様子すら知らないようである。

幸いなことに、私はそのオーナーから将来の有望ぶりを買われて、とても優遇されてその店に出入りしている天才的なデザイナーに連れられて、何度か足をお運ぶことができたお陰で店の力とはいかなるものかと言う私にとっては大きな問いに対して、
当時のファッション界では、とても小さくて、もっとも偉大な集合が実現されていると言われるスイスの中にあるイタリアの町で私が体験した「店」の壮絶なパワーや、パリで同じように衝撃を受けてきた「店」の力の不思議さへの問いへの答えを、
日本のこの店が実際に身体に翻訳して、胆識として理解させてくれた店でもあった。

その店が行ってきたのは、店構えの贅沢さでもなければ、綺麗に着飾った女性の存在でもなければ、人の存在すら邪魔と言いたくなるような調度品や自身の動きにいかなる緩みも与えないような緊張の空間でも、虚栄を満足させるいかなるものも存在しない空間なのである。

その店名を店の外では、一切口にしなくなったいきさつは、店側の意向から始まったのか?
常連たちの暗黙の了解として始まったことなのかは、いまだに分かてはいないが、実際に誰もが店名を口にしないこと、その店で出合った人々の交流を店の外へと持ち出していかないこと、
それらの暗黙のような約束は、鉄の約束のように顧客全員に認知されていることで、その条件を満たすことが確約できる人物しか同伴させていないようであった。

そのような暗黙の約束が実行されているにも関わらず、店内の空気は老人化することなく、常に若々しいエネルギーが何の拘束も受けずに自由に開放されている空間であり、常に新しい顧客の参加に寛容であり、あまりにも寛容すぎることが、店のオーナーの老婆心が店先へのオーナーチェックの必要性を生み出しているのだろうと納得ほどであった。

実際、私が十代から育て上げてきた最高の店長と自負していたブティックの伊東店長の誕生日に、その空間での感動を身に焼き付けさせておきたいと願い、デザイナーに誕生日にその店に連れて行く約束を取り付け、その店に出向いた事があった。
やや、その店長が若いこともあり、オーナーチェックを通らせてくれるかについて不安がないわけではない、せっかくの誕生日に心を傷つける可能性のあるチェックを受けさせることにどうかな?という不安を一瞬くらいは沸かせはしたが、すぐに否定できた。それほどにその店長の人間性は奥が深かった。

結果は、その場にいた全員と、伊東店長自身が初対面にも関わらず、
知らないうちにその店のオーナーが用意してくれた誕生セレモニーの主役となってのパーティーを体験できたのである。

その日の感動が今の伊東店長を作っていった大きなきっかけとなったことは、とてもよく判ることである。

実際、念願のフランス人の人生を生きるために、気難しいことで有名な大女優の岸恵子さんの自宅への同居生活経験して、とても厳しいマナー洗礼を受けるチャンスを得てさらな飛躍に生きている事実が、私にとっての、この店の存在理由の証明であり、生涯をかける価値との出会いに確かさを与え続けていてくれるエピソードでもある。

そのようなエピソードをこの店は、いくつ生み出したのであろうと創造すると、ただの金儲けに人生を費やしてしまう愚かさをいつも叱咤されてきたような気がするのである。

そのような満足感や、感動を知らないコレコーレのスタッフたちに、物々交換と言う地獄に向かうか?天国に向うか?という答えがもっとも分かりやすく出る業務に身を置かせる事は、かなりの大きな壁にぶつかり続ける連続に心身共に限界に生きるような過酷さがある。

今は、まだ何合目と言う言葉すら出せないレベルだが‥いつか伊東店長が感動した世界に身を置かせてあげたいものである。

話は戻すが‥
ひとみちゃんから紹介された店は、確かにそのオーナーの店作りとは、表面的には事なる部分が多いが、道は違えど、やり方は違えど行き着くところ、目指すところは同じなのではないかという考えからはずれ難い出会いだった。

そのような至福の時間を堪能して、今朝泥棒が入ってまだ自動扉が割れたままという「現実の世界」、「問題の渦中」というリアルにひとみちゃんごと入り込むこととなった。

しかし、ひとみちゃんは、泥棒のことは忘れたように、店内を夢中で物色し始めるのである。

もちろん、その場にいたコレコーレのスタッフを紹介した後の事ではあるが‥

店にかなり興味を、持って頂いている様子と、是非ひとみちゃんの人物に見込んで朝礼に参加して頂き、率直な意見が欲しいという願望が湧き上がっていて、

お願いの結果、

ひとみちゃんのお泊り決定がなされたのであるが‥

泥棒に自動扉を破壊された前に、

万博の際にオーストラリアのVIPルームで使用されていた長めのソファーを置き私が眠り、

ひとみちゃんは何人か有名人が突然宿泊することになった茶室で眠ることになった。

ひとみちゃんの疲労も相当のようで、当店のゴッドハンドと言われている不思議な力を持った癒しの達人からある申し出がなされた。

    私に触らせてください。

    どこに?

    身体に、

    え!?

    まずは脱いでください。

    ど、ど、どこで‥

    茶室はいかがですか?

    などと言う会話の果てに、二人は茶室に入っていきました。

    私はソファーの上で、今日収録し生放送で流された内容を聞こうと

    ラジカセから流れてくる放送内容を聞こうかなと思っているうちに、

  眠りについてしまいました。



    ひとみちゃんを癒してくれたゴッドハンドのコレコーレスタッフ
    http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3736851&_fof

塗香菩薩さんこと菊池さんがなぜゴッドハンドと呼ばれる程の腕前なのか?

川合塾が経営するトライデントの講師へのオファーを辞退してなぜコレコーレのスタッフになっているかについては、また長い話になるので後日触れることとします。


  続きは、明日書きます。

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あとわずかで、大泥棒との大捕り物という劇的ドラマをブログにできたのに!!残念‥

2010-10-05 06:52:32 | ブログ



http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1593527280&owner_id=2236149&org_id=1594701901

 

 

 

昨日の大事件は、私が朝の450分頃に急に胸騒ぎがして、あわてて「物々交換コレコーレ」の本店に出向いたことから発覚した。

店の前まで来ると、2階部分は暗いのだが、1階部分が明るく電気が付いてたのである。

昨日の店の宿直は、私だったのだが、ちょうどその時間は、
1
時間ほどシャワーを浴びに店の3階へ行っていて店から離れていたのであるが1階部分はレジ周辺以外の電気は消していたはずである。

そして、私の赤いはず血液が煮えたぎるように頭に血が上るように感じる決定的な瞬間が目に飛び込んできたのである。

私は、非常時に備えて用意してある泥棒対策グッズの木刀や携帯電気ショックなど各種用意してある中から、登山用のアイスピックを手にした、そして110番に電話して泥棒が入っているであろう状況を説明した。

私は、無残にも車の窓が割られた時のようにとても小さく粉々に割れる特別な強化ガラスで作られた自動扉へ向かおうとすると、店先に2本の種類の異 なるタバコの吸殻が落ちていた、店先は私が掃き掃除をしたばかりであったことと、場所と方向性が明らかに店に進入することを前提とする捨てられ方であっ た。

おそらくは、1階のレジ周辺が電気がついていたことから、実際に店内に人がいるのか、防犯目的で電気をつけているのか割を少し探る動機で、タバコを吸って見張りを行う者二人と、その見張り以外の一人が背をかがめて店内の様子を伺っている様子が瞬間的に頭に浮かんできた。

どうやら最低3人から5人ほどの複数犯による泥棒である此処と、かなりの度胸が据わった泥棒であると言うことが、状況的に察することができた。

大半の泥棒は、店先で堂々と見張りを立てる方法は行わないということは、心理学的に判るかなりなれた泥棒でも緊張で、店先の近くで小便やウンチなどをするような生理的な異常さを残すような行為があったとして、本当の意味で冷静に対応できることは難しい。

ましてや、会社の方針で泥棒に入られないようにするよりも積極的に捕まえるようにして、社会の安全に貢献しようという合意があり、店先にはあえて、複数のダミーと本物の監視カメラを混ぜる方法で、実際の証拠を取り押さえるようにしていたのである。
しかし、なれた泥棒であれば、そのダミーと本物の防犯カメラの役割は、分かるはずであるにも関わらず堂々と進入したのである。

自身の画像が残されることを承知が店内の明かりの状況からでも分かるはずであるにも関わらず堂々と、その正面から非常におきな音がする自動扉を叩き割って進入したのである。

深夜と言えども目撃される可能性や、その音を聞きつけて警察へ通報される可能性は非常に高く、現に多くの電話が110番されたようである。

ちょうど割られた自動扉の場所は、太鼓のツボとなるような位置になっており周辺のマンション一帯に音が数倍になって共鳴するという特殊な立地条件になっていたのである。

よく店先で「はんにゃ」や「ブラックマヨネーズ」などを始めとする芸人の当店での物々交換実体験の様子などの録画を店頭で流すことがあるのだが、その音の反響効果で、店前の交通量が多いにも関わらず、周辺のマンションまで音が届いてしまうような特殊性がある場所に、割られた自動扉があったのである。

かなりなどが来店してが高い交通量と、深夜3時過ぎまで営業している店が2件も店の前で開いていて目撃者にもっとも発見されやすい環境。

店の3階から上には、住人が住んでいるマンションで異常を発見しやすいようにしてあったり、店へ進入するための非常口の音は、どれほど小さい音でも24時間、聞こえるようになっている仕組みになっている。

まさに、泥棒の立場からすれば、もっとも無防備に見えて、もっともガードが固いようになていることこともあって店内に泥棒に入られることはなかった。

実際、今までこの店では、泥棒される直前に捕まえることに100%成功していてある意味で入られないことへの過信があったのも事実である。

そのような中で、今回の泥棒たちの動きは、非常に面白い動きをしている。

簡単に言うと、
入る前の冷静な慎重で大胆な入り方に対して、進入してからは、面白いくらいに一転して異常なくらいに動揺した動きとなっているのである。

<続きは、あとで書きます。>

泥棒に破壊された自動扉で、無防備となった深夜の店の宿直人は、なぜか芸人ひとみちゃんが!!

 

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1594701901&owner_id=2236149&org_id=1593527280


私の遺書日記の目的からすると、今回のような事件をどのように分析して、どのような対応策を行うべきかを思考してみる良い機会ではありましたが、
本件は、非常にあらぽい手口で、犯人を特定しやすい条件がそろっている事件のようで、私が今の段階で、あまり詳細に踏み込んだことを書くのは、芳しくなさそうな気配なので、一旦、犯人が捕まるまで本件の詳細の記述することは、回避することとします。

いずれ、犯人逮捕後において本件の真相を明らかにできることを期待したいと思います。

とりあえず、確定していて捜査に差し障りない内容は、当日3件の泥棒を行い最後の店として当店へきたようで、時間を逆算すると、私が当店のある階 上にある部屋でシャワーを浴びている最中に、大きな物音で割られて店舗に進入したようで、運悪く頭を洗っている最中で、その大きな物音を聞き逃したようで あった。
それでも胸騒ぎがしたのは、記憶にリアリティーはないが、どこかで耳にその大きな音が届いており、店舗のことが気になり、店に出向いたような状況であったと考えられる。

その意味で、犯人が想定外の自動扉破壊音の反響効果に、驚きあわてて店舗内から再び出てまでの時間が異常にまでに短くなったことが、私との遭遇チャンスを逸することになったと察することができるようである。

本来であれば、泥棒に入る前の下見の物色で目をつけていたものを手馴れた手はずで持ち出す計画のままで店舗内に留まっていれば、かなりの確立で私 と遭遇し、また異なる展開へと発展したかもしれませんがその結末が吉となったか凶となったかは、神のみぞ知るとこであったかもしれません。

店の宿直をなるべく私が行うようにしているのは、危険を承知で犯人逮捕になるべく肉薄できる最善策を思考し続けて行く方針を変える気がないのは、 私なりの持論があってのことであるが、その考えに社員を極力巻き込みたくもないことから、私がとる行動とは正反対の行動を取らせている。
たとえ犯人を見つけても決して直接逮捕になるような動きを行わず、身の安全を最優先にして、ひたすら情報だけを集めることに専念させるようにも教育している。

結果としては、微妙な差異で、人命的には無事に事なきを得ることが出来ました。

結果として荒ぽい進入の割には、微細な被害で済ますこともでき、最も大切にしたいアンティークや骨董品、人間国宝など一点の被害を受けることなく、定時には店を通常通りにオープンさせることができました。

事件当日は、前回のブログに上げたように、ラジオの取材があり、その取材をきっかけに、その泥棒事件以上に個性的な展開へと話題が弾んでいきました。

そのことについて、明日の日記に書きたいと考えています。

 

 

 

 

泥棒に破壊された自動扉で、無防備となった深夜の店の宿直人は、なぜか芸人ひとみちゃんが!!

 

さて、泥棒騒ぎは、スタッフたちの手際の良い片づけで営業時間には、通常の店の風景を取り戻した。

しかしながら、裏舞台では、被害にあったものの残務処理に追われ、あっと言う間に、ラジオの生放送の時間が訪れた。

わりとぎりぎりながらもサテライトにつくと大きな窓越しから、パソナリティーがラジオトークの渦中であった。

やがて、予定の5分ほど前に、スタジオ前の部屋で簡単な打ち合わせをした後に、いよいよスタジオ入りすることになった。

http://www6.ocn.ne.jp/~mujihi/hitomi.html

ラジオ放映の詳細は、また、「洗浄のカメラマンが実況放送」することになりそうなので割愛することとして、無事に放映が終わりました。

パソナリティーの「ひとみちゃん」は、実は彼のリンク先をクリックした方は、すでにご理解頂けているように男性です。

私を「ひとみちゃん」に紹介してくれた人物が以前の日記で書いた浅草の名物店主となっている蛍堂の主人であり、万博でもとても有名になったクロアチア舘のエドワード氏に次いでコレコーレの茶室に泊まって行った大正ロマン・昭和モダンで名を上げようとしている稲本氏である。
稲本氏もまた、恒例のコレコーレへの朝礼への外部参加をして頂いた人物であり、先日のNHKの取材の際にコレコーレの朝礼風景にテレビに映っていた海外にも紹介されているアーチストについで朝礼に登場した人物である。

稲本氏は、マイミクにも参加してくれているので、是非どのようにしてその伝説となっていく蛍堂が作られていくのか知って頂きたい方が、私のマイミクの中には多数いることが分かっているためにリアルの輪が広がるきっかけになれば嬉しいと考えている人物でもあります。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=328474


また、コレコーレでは様々な変わった物々交換が成立し続けてきています。

音楽アーチストが突然店内でお客様達に演奏を始めてくれたお礼に店の品との交換を選んで頂いたことがきっかけとなって、現在計画が進んでいるミニコンサートのプランと物々交換や

無農薬野菜を店先で販売する権利と交換に、コレコーレスタッフの食健康との物々交換をお願いしてきていたり、

センスが抜群な人物や話題性が抜群な人が来店の余暇の際に、店内のボディーの陳列などを交換してくれると、そのお礼に交換ポイントを発行するなどしてきている方は、非常に面白い経歴の方が多数いて我々にいつも新鮮なディスプレーの考え方の提案を頂いているのである。

たとえば、コレコーレをブログ紹介してくれたことがきっかけで非常に仲良くなってきているカリスマ、ブロガーランキングナンバー1のこの方もその 一人であり、連日そのファンの方が店に来店してきてくれたり、そのボディーの洋服アクセサリまでを丸ごと買っていかれる人がいるほどである。
http://ameblo.jp/okanaru828/theme6-10017623150.html

現在、あいちトリエンナーレ 現代美術展 国際芸術祭として大きな発信を遂げているイベントにも参加しているアーチストには、店のディスプレーや朝礼でのアドバイスだけでなく、
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1582119
http://artholicfreepaper.blogspot.com/2006/06/88.html

「体現集団φアエッタ」を創始であり、画家という枠を超えた作者そのものの生き方がすでにアート化している人物で、さらなるアートのきわみに挑み続けている西島一洋さんをマイミクへと導いてくれた陰の恩人ともなっている。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1591619742&owner_id=3743223
http://www.tamon.co.jp/artcontact/artists/03_nishijima.html

先日は、ニューヨークファッションとして世界に、名を馳せていたDANY店のスタッフとしての経験を生かして現在非常に注目されるファション視点 の活動のリーダー的な役割をしているとてもチャーミングで頭が切れまくりの人物にも、非常にセンスの良いボディー演出を行ってくれたばかりであった。
皆さんもセンスに自信と余暇が作れたら、変わった交換を体験してみてください。

さて、余談から話を戻して、 


稲本氏は、浅草で偶然に再会したひとみちゃんから、ラジオ出演の依頼を受けたことから、私を紹介してくれるという経緯があったのだが 

ともかく、ひとみちゃんに私のことをただ事ならぬ力の入りようで稲本氏が大きな誤解もあるのだが紹介したことから今回の出会いが始まることとなった。

是非、出演して頂けたらと言う気持ちになっていたところへ、ちょうど、コレコーレの鈴木店長が局に電話を入れてディレクターの方に蛍堂の主人とひ とみちゃんの番組内容の録音を聞いてみたいと言う申し出お願いした際に、「実は私もコレコーレ店には行ったことがあり、」コレコーレに興味があったので社 長さんにラジオを出てくれるように話してくれないかという逆オファーへと発展していたのである。

たまたま、蛍堂のご主人とひとみちゃんの放送内容の録音の入手に成功することとなった、私が鈴木店長の報告も受けていたことから、ある考えがあって電話することになりました。

相次ぐ取材と放映が続いている中で、基本的には、今回のラジオ取材は、ご遠慮させて頂かないと店がパンクしかねないという考えがある中で、ひとみ ちゃんのラジオの展開にラジオ版「いいとも」のような人から人へとつないで行く可能性の確認と、パソナリティーにひとみちゃんを指名し続けられるかどうか という希望に応えてくれるなら出演してみようと言う考えがありました。

なぜ、パソナリティーにひとみちゃんを指名しようとしたのかと言うと、ただのお笑い芸人以上の人間的な度量と知識を持っている人物であると言う判 断ができたことと、私が出演した後に紹介しようとしている人物がかなりの桁外れの話題展開と信じられない交流関係に身をおく人物と、NHKのテレビ取材で ひときわ深い見識と説得力で物申す美人経営者を紹介しようと考えたからである。

結局、ディレクターから申し出があったパーソナリティーではなくひとみちゃんをパソナリティーに快くして頂いたことから、今回の放送が実現した次第だった。

結果は、1時間を多少切る物になったが、想像通りの展開のラジオとなって、安心して大切な人を紹介しても大丈夫という気持ちにもなっていたところへ、

ひとみちゃんから「面白い店があるから、一緒に行きましょう」という誘いを頂くことになった。
一瞬泥棒に入られた当日に、ラジオまで出て、芸人と食事はどうだろうと言う迷いも一瞬よぎりはしたが、ひとみちゃんが説明する面白い店のオーナー が半端じゃない人物ということが一瞬で掌握できるような説明がひとみちゃんから語られたために、即、一緒に同行することになった。

その店は、かなりわかりづらく定連さんしかたどり着けないような場所に店を構えていた。
しかも、その敷居の高さも、あんたは入らなくてもいいと言い放っている風体の店構えとなっていた。
へぇ~今までのわずかながらの私のグルメ体験でも、この店の味は間違いがないと確信がもてるようであった。

店に入って、ひとみちゃんから紹介されたご主人は、人相も店構え以上にふてぶてしく、一切人にこびるようなことは、俺の人生には縁がないとでも言いかねないようであった。

やがて、お任せのようにして次々と料理が出始めるのだが、これが想像以上にうまい味であた。

此処で、本当はこの店に来るのをやめようと思っていた理由をひとみちゃんに明かした。
実は、今朝かなりあらぽい泥棒に入られて自動扉が割られているので、ラジオだけにして食事はご遠慮しようと考えていた話に触れたのだが、芸人のひとみちゃんは、ここぞとばかりに店内のお客様を巻き込んでの泥棒談義へと発展させられてしまった。

私自身もそれらの話がどう料理して伝わろうがあまり気にしないところがあって、割と便乗しての泥棒談義となった。

すると、その場所には、某局の支局長やら、大きな会社の経営者がいることが判明してくる事態へと発展して行った。

しかも、その支局の支店長は、コレコーレのお客様でもあることが判ってきた。

カウンター席が基本のその店には、100%近くが常連のようで、大体がツーカーの仲で話が進みそうな勢いの店でもあった。

その中で、物々交換屋のオヤジという変わった職業と、泥棒談義は、酒の肴に、ちょうどいい加減だったのかもしれない。

とつぜん、店のご主人が「これをもっていけ!」と言ってある有名な作家のぐい飲みを差し出してきた。

「いや!私は物々交換屋のオヤジでただで物をもらっては商売ができなくなるので

ちょうど、ひとみちゃんにプレゼンしていた「世界遺産のヴェリチカ岩塩」を一旦、回収して交換にとプレゼントさせて頂いた。

泥棒談義と交換談義、そして帝王学談義へと話は弾むに弾むうちに、閉店の時間が近づいてきたのだが、無愛想とふてぶてしさで迎えてくれたご主人の顔は、「破顔一色」となって面白い話を次々と聞かせてくれることになった。

実は、昼間は有名な会社の社長をやっているが月に一度しか会社には行ってないこと。

昼は、うどん屋をやっていてそちらにも顔を出すときがあると言うこと。

今から、1年後には、完全に会社を後継者に譲り、熊野古道へ店も家も引越し、新たに社会福祉の事業を起こし晩年を真っ当する計画を進めており、その家の建築に協力している社長が私の隣席の人物であること。

上げたらきりがない中身の濃い話であったが、7時頃から入店した店があっという間に閉店時間になるようになって、到底新参者のお客を店の外まで出向いて見送りなどするはずがない人物が信じがたい破顔で見送って頂くこととなった。

この店は、前回の蛍堂のご主人とひとみちゃんの生放送の跡にも同様に立ち寄った店とのことで、なんと!食事代を受け取らないでご馳走するというエピソードを作っている御仁である。

私は、人生観として、いかなるときもおごられることは受けないという持論があることを承知して頂いてようであったが、あとで知ることとなったその料金のあまりの安さにまたもや驚愕、もう一度戻りなおさねばと考えるほどであった。

結局、近日に私の幕賓級の知人を紹介することをかねて再来しようと言う考えで帰途に着くことにした。

その店のご主人の眼光は、初対面から人並みはずれすぎているとは感じていたが、その眼光でひとみちゃんの可能性や蛍堂のご主人の可能性を見抜いた ご主人の人間観察力にも敬服したが、そのおすそわけを頂くこととなったひと時の中での濃厚な時間は、朝から始まった不吉話を帳消しできるものでもあった。

本題は、これからなのだが、

続きはあとで書きます。

 

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