物々交換コレコーレ

物々交換が出来る不思議なお店

世界に名が轟くこの二人を引き合わせることが出来た。

2010-11-30 06:37:15 | ブログ

当店に、店の応援になるからと言って、とても上質な品々を交換に頻繁に持ち寄って頂いている常連のご主人と鈴商の社長を引き合わせることになった。

残念ながら、私は体調を壊してしまいこの重大な瞬間を見逃さなければならなかった。
なぜ重大かというと、そのご主人は世界的に有名な競輪選手として名が轟いている人物であったからである。
特にその名を世界に轟かせたのは、競輪世界の奇跡、当時の状況からすれば、国内スポーツの奇跡とまで言われるような快挙の当事者の一人であったからである。

その快挙は、1986年USAコロラドスプリングス開催の世界選手権で起きた。その一つが金・銀・銅メダル全てが日本人というあり得ない成績であった。

さらに驚くのは、世界の競輪界でこの記録を破ることは不可能と言う10連覇を中野浩一が達成すると言う偉業を達成したことである。

その偉業をどうしても阻止しようと世界中の選手が猛アッタクした競輪史に残るデッドヒートの試合であり、そのヒストリーに絶対欠かせない人物が2位のが今回鈴商の社長に紹介した松井選手である。


車のレースも実はとてもハードな肉体と脳と身体に生死を賭けるスポーツであり、競輪もまったくの同様な生死を賭けるスポーツである。

スポーツの種類は、世の中に多くあれども、これほど命賭けのものは少ないんじゃないかと思う、そのような共通点をもつ二人であり、松井選手は東京モーター賞の熱狂的なファンでもあるために、その会話内容は、とても楽しみにしていたのだった。

しかし、残念なことに、今回の紹介は、コレコーレの店長の鈴木信子に任せ、私はしぶしぶと布団に戻ることになった。

4時間ほどたってコレコーレに松井選手と奥様が戻って来られた話が私の耳に届き、少しの時間でもと出向かせて頂きかろうじての挨拶が出来た。

松井選手は、コレコーレ恒例の逆さまの部屋で掲載の不思議な写真を撮ってくれた。
コレコーレ店には、松井選手から出していた頂いた品物を、特別に飾ってあるショーケースがあるのだがその中に早速飾らして頂く為のサインをお願いすることが出来た。

今後の入荷がますます楽しみになってきた。

松井 英幸

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E8%8B%B1%E5%B9%B8

世界選手権・プロスプリントにおける活躍 [編集]

1986年アメリカ合衆国コロラドスプリングスで開催された世界自転車選手権では、俵信之を準決勝で破り、決勝で対戦した中野浩一に同種目10連覇を許したものの2位。翌1987年、オーストリア、ウイーンで開催された世界選手権では、決勝で俵信之に前年の雪辱を許したが、再び2位に入った。また、1989年フランスリヨン)の世界選手権では3位、1990年の世界選手権(前橋)では4位に入った。

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世界に誇る公道を走れるフォミュラーカーの名車を作った人物の紹介。

2010-11-27 04:56:45 | ブログ

今日は大切な予定がある日だった。

コレコーレの常連の顧客の中でも世界に、その名が轟き渡るような人物は、滅多にいるわけではないがその中でも圧倒的な異彩を放つ人物の中から一人を私がラジオ番組に紹介する予定が入っていた。

番組の企画としては、物々交換コレコーレに集う顧客の中で、怪物や大人物を紹介する趣旨の要請に応えた紹介であった。

その人物がなぜ世界からそんなに注目されているのかというと、昨年の東京モーターショーに第2号の自作の公道を走れるフォミュラーカーを紹介したところから、さらに注目が集まっている人物であった。

http://<wbr></wbr>www.suz<wbr></wbr>usho.co<wbr></wbr>m/motor<wbr></wbr>show09/

2日前に当店へ来店されて、その幻の名車を今なら見る事が出来るという内容を伝えに夫妻で来店して教えに来てくれた。

そこで、早速、ラジオ番組のパソナリティーの芸人さんと合流して車の運転席に乗させていただくチャンスを得ることが出来た。

まだ、2号車のスパッセvは世界に目の前にあるこの1台しか存在しておらず、2台目もまだ30%も完成してない状態である。

その時の写真は、あとで上げることにするが、リンク先でその容姿が分かると思うが、実物は写真の比ではないほどに美しかった。

まさに男の夢の中の夢を実現した作品だった。
この作品がナンバープレートをつけて公道を走るのかと想像するとたまらないほどの興奮が湧き上がってくる。

このスパッセvを作ったメーカーの鈴商さんには、今までもずいぶんと驚かされてきたが、その驚きはそこの浅いものであったを、今回つくづくと思い知らされた気持ちだった。
たとえば鈴商の社長は、鈴木亜久里 - Wikipediaともレースをした中で、なんとアグリの上位の成績を記録したことがあるのである。

しかも鈴商さんの店先には鈴木アグリのレーシングマシンが無造作に展示してあったりするのである。

車の話にはまり込んでしまうと今日の日記が際限のないものになってしまうので、大きく省くいて本題へ

今日のラジオ番組で披露される内容で何を話すのかと期待でいっぱいの状態でラジオは始まった。

とても面白い話の展開で詳しくは近日文章起こしてブログに掲載する予定です。

40分が一瞬のように過ぎてしまった。

これは続編が是非、聞きたいと余韻が強く残る内容であった。

今日の目的は、この大怪物に、私が最も尊敬する人物と最も大切な人物を紹介する目的があったが、サプライズが続くことになった。

まずディレクターから運良く紹介して頂くきっかけとなった人物は、「寺田実」という陶芸作家の審査委員長をやっている人物とその子息さんである。

レセプションパーティーではあっため力の入った新作がずらりと並んでいた。

貴重な話をさせて頂く機会や写真を撮らせて頂くことが出来て寺田実氏のファンであるコレコーレの店長は、おおはしゃぎであったが、その日は、オンエアー後に約束があった。

先日ブログで書いた怪物が経営する超こだわりの店に、私の大切な幕賓と奥様、ジャパンフィールドネットワークの創業者を再会させる為に席を用意していたのである。

続きは明日書きます。


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奇跡が起きたのかな??

2010-11-24 12:14:12 | インポート

http://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E5%BA%97&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a

上のリンク先は、「日本でひとつしかない店」というキーワードの検索先ですが、
まずは、今年コレコーレの知名度を著しく上げて頂いた有名アーチスト、 タレント、芸人有名アナウンサーなど多数の方々のお陰や、

当社の社長の片桐健二と物々交換コレコーレを全国や海外へ3回連続で取材や放映していただいたお陰や民放各局、テレビ、新聞、雑誌など多くのマスコミからの露出などもあったのでしょうが奇跡的にもトップで検索されていました。

このキーワードはとても膨大で、5千250万件もの情報からの検索ですから奇跡としか言い様がないほどのことです。

改めて今年コレコーレの知名度を上げてくれた各有名人様やマスコミの方々、当店を取り上げてくれた皆様に心から感謝申し上げます。

はんにゃ(金田哲 川島章 )ブラックマヨネーズ(小杉竜一 吉田敬)坂東英二、石田靖 SKE48 ロッチ 我が家、どきどきキャンプ 熊田曜子 ギャル曾根 金子貴俊 やるせなす中村豪、天野良春 澤朋宏、野田アナウンサー、周富徳、ト・ゼンショウ、サハロフ教授、その他多数の著名人の方々とても感謝しています。

ブログで紹介して頂いた皆様に心より感謝します。

   
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「日本でひとつしかない物々交換の店」というキーワードで検索

2010-11-24 09:00:39 | ブログ

私のところへメッセージが続いている。

内容は、検索についてである。

いろいろなキーワードで皆さんが検索してくれているようで、

こんなキーワードでもトップに出ていたよとか、店だけでなく私の本名の「片桐健二」だけでも1番から3番まで連続して出てきたとか、ミクシーのハンドルネームの「ミクシー グローバル顧問」でもトップに出てきたなど、多くのメッセージが届いてきている。

 

面白かったのは、

「世界の片桐健二」「物々交換の片桐健二」でもトップで出ていたとのことであったが、
NHKの全国放送の前回放映では、私の本名を挙げて私の歩みがテーマになったことが一躍検索のトップに出てきたようである。

コレコーレや、物々交換のキーワードでは、コレコーレが圧倒的に検索に様々情報で出てくるようになってきた。

「日本でひとつしかない物々交換の店」というキーワードでもコレコーレが出てくるようになっているようで、「物々交換が出来る店」「物々交換をしている店」などと同様にトップで出てくるようになったようである。

コレコーレを取材にくる遠方のマスコミの方達が、いくらさがしてもコレコーレ以外に実際に店として物々交換を継続している店が見当たらないという話をして頂けるが、本当は、どうなんだろう。

確かに異常に経営が難しいのは事実で、チャレンジしても継続できないというのが実態なのだろう。





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さぁ~どうしよう  ゴールデンタイムのディレクターからの取材依頼!

2010-11-23 00:52:10 | ブログ

先日電話が入ってきたゴールデン番組の取材依頼について、今日ディレクターの方が来店して打ち合わせに来てくれた。

年末の特別番組枠への取材依頼とのことだった。

「はんにゃ」や「ブラックマヨネーズ」達の芸人取材をきっかけに

一気に加速してきているようにさえ感じられるほどの

コレコーレへの取材ラッシュは、

いよいよ、最後の打ち上げ花火の放映の依頼は、

年末特別枠番組という今回の取材話になりそうである。

12月はみんなで店を休んで旅行に行こうと言っているのに、

スケジュールがとても難しくなりそうだ。

しかもとても視聴率の高い番組への参加は、

後の影響が半端じゃない事になりそうである。

本当に今年は、

取材三昧で‥

店の状況を考えると、

どのように対応していくのか思案どころである。

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今夜10時50分からコレコーレの取材が放送される内容は、海外の多くの国で流れるらしい。

2010-11-19 20:14:04 | ブログ

本日のBIZスポのニュースは、金曜を除く平日と異なり30分ではなく倍の1時間の放送時間で、タイトルも「BIZスポワイド」になっていることが今になって分かった。

しかも、さすがNHK全国放送の看板ニュースだけあって、多くの海外でも放送される予定だとスタッフから聞かされた。

コレコーレのスタッフの姉さんがアメリカに居て、アメリカで見るからという連絡でわかった情報だった。

放送される予定の国々、

アメリカ・カナダ・ハワイ・アジア・オセアニア・中南米・ヨーロッパ(中東・アフリカの一部を含む)でコレコーレの取材が流される予定らしいよ!

スタッフが私のところへ飛んできた、「どうして分かったの?」

ほら!ネットの放送内容と時間スケジュールをみてくださいよ!

http://<wbr></wbr>www.nhk<wbr></wbr>.or.jp/<wbr></wbr>nhkworl<wbr></wbr>d/japan<wbr></wbr>ese/tv/<wbr></wbr>howto/j<wbr></wbr>apan.ht<wbr></wbr>ml

ふーん本当かな????

まぁ 姉からテレビを見た感想の電話が入ることになっているから分かりますよ!

とりあえず、私、片桐健二のマイミクは、世界中に多く居るということで私もミクシー上の日記で情報を流してみようということになりました。

万一、見る事があったら,メッセ下さい。

物々交換コレコーレ社長のmixiブログ(HN グローバル顧問)

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=2236149&from=navi

上記の内容をミクシーで掲載してみた、さて、反響はあるのだろうか??

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お久しぶりです! 153広場店 店長の吉田です。

2010-11-19 10:21:32 | ブログ
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コレコーレのブログをご覧の皆様、お久しぶりです。

この度、テレビ塔から歩いて1分の所へ移転する為、153広場店は1017日(日)に完全閉店致しました。その後は、何と閉店したはずなのに10月末に店内で無料提供し放題のショップを土日限定でオープンさせ、最後の最後まで皆様に応援のお言葉を頂き、次のステップへと向かうに相応しい幕の閉じ方でした。

閉店に至り、作業の手助けをして下さった方々、本当にありがとうございました。皆様一人一人の助けがあったからこそ、成し遂げることができました。

<o:p> </o:p>

お世話になりました皆様にいち早くご挨拶をしなければならなかったのですが、153広場店が閉店したと同時に、コレコーレ本店では急遽NHKさんからのテレビ取材要望があり、支店から移動してきた商品で本店の店内は勿論のこと、倉庫も商品で溢れかえっている中、落ち着く間もなく取材の準備に追われ、ご挨拶が大変遅くなってしまいました。申し訳ありません。

慌ただしく過ごす中、東京からわざわざ物々交換の取材の為お越し頂いたNHKさんの撮影も終了し、放映日は19日(金)に決定しており、NHK総合テレビ「Bizスポ」午後1055分から1150分の間で放映されます!皆様是非ご覧ください。ってもう本日です!

・・・・・と言い訳と告知で長くなりましたが、153広場店にご来店いただいた皆様、オープンしてから約5年間、本当にお世話になりました。

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153広場店は豊田と名古屋を結ぶバイパス沿いにあり、豊田方面、名古屋方面と、どちらからもお客様が集まり、わたし自身、たくさんの方からのお持込みの中、様々な方との出会い、そしてその方々を通して知ることが出来た数々の品から、たくさんの事を学び得る事が出来ました。

わたしが153広場店の新人店長として入ったのはコレコーレに入社してから2年程経った頃でした。まさかわたしが!!?と思いながらも、スタッフ全員の支えもあり、ここまで辿り着きました。

お店経営の経験なんて勿論なく、毎日と言っていいほど何度も何度も同じ失敗をしていた、どうしようもないわたしでしたが、店の長であるということがどう事なのか、店長としての自分の立場、役割、責任をどれだけ理解して、そしてお店と共に自分がどれだけチャレンジし続けることが出来るかを、来てくださったお客様、そしてスタッフと関わっていく中で、直接実践してその重要さを肌で感じて、毎日がチャレンジ、失敗の繰り返しでした。皆が、温かく言葉を投げ掛けて下さり、時には厳しいお言葉も頂き、皆様が未熟な自分に対して諦めずに接し続けてくださったことで今の自分が在ると思います。

153広場店は、オープン当初万博で話題が持切りだった2005年がスタートだったので、万博スタッフとも深く関わってきたコレコーレでは、何とスタッフが直接物々交換をしに来て下さり、世界遺産や超レア物も、153では扱わせて頂きました。その中にはスタッフが普段愛用していた食器など、他では絶対に手に入らないような物も物々交換をして日本の物と交換したり、万博ファンの方も何度もご来店いただきました。

そして店頭オークションも開催し、美術品や骨董品の入札を楽しむ方も増え、幅広い層のお客様がどこからか風のうわさを聞き153広場店へ足を運んで頂きました。

そして、わたしもやっと顔が覚えてもらえてきたかな?という頃に当時の社長が嫁入りし、子をもうけ、その事がきっかけとなり、初のチャレンジとなる子供服の取り扱いをすることとなりました。

このチャレンジはわたしにとって一番印象に残っており、地域の活性にも繋がり、なんと言っても当店の強みである物々交換が一番生かされる場となりました。

口コミは瞬く間に広がり、子供たちの来店も増え、子供たちからも「エコだね!」という声を聞くことができ、最後の最後まで子供服の入荷は途切れることがありませんでした。

<o:p> </o:p>

そして最終的に、子供服がメインの「2ドルショップ子供服」として、店内全て200円均一のお店を改めてオープンしました。

153のちょっとしたストーリーでした。

<o:p> </o:p>

様々なジャンルの品に囲まれ過ごした、153広場での毎日はあっという間でした。

泣いたり笑ったり、笑ったり笑ったり・・・笑顔いっぱいで皆様と過ごせたと思います。

今は栄へのオープンに向け準備中ですが、名東区のコレコーレ本店にて153広場店で出会った皆様とお会いできる事を楽しみに過ごしております。

わたしをコレコーレ153広場店店長として育ててくださった皆様、次のステップを踏み上がるため、今後もチャレンジ精神を忘れずに突き進んで生きたいと思いますので、変わらぬご指導を宜しくお願い致します。

<o:p> </o:p>

コレコーレ153広場店 店長 吉田朋子

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突然のNHKさんから全国放送向けの取材依頼で大騒ぎ!

2010-11-18 05:35:34 | ブログ

昨日は、大変でした。

先日、当社の社長の片桐健二がNHKさんから取材されて全国放送で2度も再放送されたばかりで、その反響にコレコーレ店では、騒動が連続していたにもかかわらず‥

またもやのテレビ取材!!

今度は、片桐ではなくコレコーレの店の取材と言うことで、東京からアナウンサーが自ら取材に来ると言うのである。
しかも、今度は、NHK総合テレビ(11月19日の夜10時50分~11時50分)の番組で全国放送とのことことであった。

しかし、コレコーレの店は、以前の反響やそれまでの取材の反響が続いており、とんでもない状態になっていたのでした。

店の状態は、取材どころではなく、早速、事態を調整する為の大騒動へと大騒ぎになりました。

とてもじゃないけど現在のコレコーレは、全国放送に流されることが可能な状態の可能な店になっていないのでした。

テレビ塔近くへ支店を移転させる為に閉店させたことから発生した大量の商品移動のしわ寄せ状況だけでなく、コレコーレ店が17ヶ月連続で取材されてきた状況の中で、物々交換の為に持ち込まれた品々が重なりまさに大量商品状態でパンクになっているのでした。

そのすごさは、先々月より、あまりの入荷のすごさに、倉庫も何もかも一杯状態で、一時的に、特別強化ブランド以外は、受け入れをストップにさせて頂くと言う非常事態になっていたのです。

しかし、その後もNHKさんの再放送が全国放送で2回も連続しての放映と言う結果も重なりになり、絞り込んだ特別強化ブランドさえもが、さらに大量入荷してくるような状況になって、コレコーレ店は、商品満腹のパンク状態で店は所狭しと商品が溢れ出ている状態で‥

さぁ~どうしようというあんばいでした。

しかし、困窮したときには必ず救世主が不思議と次々と現われてくるのが今までのコレコーレの不思議なところです。

まず救世主の第1弾は、トリアンナーレに参加していたアーチストでした。第2弾は、ご主人が私と30年以上前から付き合いのある人物の奥様で、しかも首相もお忍びで訪問してくると言う名古屋の知る人ぞ知る隠れ家の有名店専属の空間デザイナー兼服飾デザイナーの人物。
第3弾は、テレビにも頻繁に出ていたDNKYの有名マヌカンで最近話題になっているファション誌も手がけている人物。

私が30年以上前に、洋服屋の雇われ店長として始めてアルバイトとして採用したとてもバリバリの人物で、その後もファッション業界に関わり続けている有能な業界のお局からも援助があり、、

なんとかテレビに出る体裁を整えての店作りを追い込むまでには出来上がってきていた。

すると、NHKさんからは、テレビに出ても良いというお客様を用意できませんか?

連続17ヶ月の取材で無理を聞いてくれる方にも限度がある中で時間も無いと言う状況で、どうしたものかと思案していると‥

これも不思議で、偶然にも、来店してくれていた開店当時からのお付き合いだけでなく「哲学カフェ」の発起人にも名を連ねて実際に参加してその博学振りで多くの学びを与えてくれていた建築家の方が快く承諾してくれたのを皮切りに、美術品の有名コレクターで自宅にも私自身が伺ってコレクションを見させて頂いているお客様や、超名門の博士号とバレリーナという美の表現者という側面を持ち合わせる容姿端麗、彩色兼美のお嬢様等などが、

なぜか次々と了解を頂けると言うありえない奇跡がまたもや起きたのです。
驚きの快諾が各スタッフとお客様との会話の中で成立して行く中で、今度は多すぎるので精々4人までに減らして頂きたいとの申し出が出る状態になってしまった。
そこで、今度は快諾頂いたその外の方々には、丁重なお断り対応する事態となり、またもや大騒ぎになったのである。

なにやら、やたら騒々しい状況で、昨日の本番の取材が始まりました。

しかし、どうも今回の取材は、大臣級の進退問題が紛糾する事態への雲行きで、大幅なカットが予想される事態にもなってきてるようである。

失言問題は、想像以上に大きな進展へと発展しそうな勢いである。

前回のNHKさんの取材も史上初のペイオフ発動と言う大事件となった大銀行の倒産とばっちりかち合ってしまい、私が高級洋装店を経営していた頃からの長年の交際になっている名古屋財界父上の大切な嬢様の自宅へ訪問するという予定のわずか30分前になって、事件が発覚してドタキャンするというハプニングを経験したばかりである。

今回も、やはり予定が危ぶまれる状況になっていそうである。

報道ニュース枠の特集扱いは、信憑性が高く,特にNHKさんは、抜群の信頼度があるが、ニュース枠である以上は、事件とのバッティングだけは、どうしようもないことである。

私も最後にアナウンサーからインタビューされたが、使われる時間枠が残されるのか怪しい状況であった。

そこで、私のインタビューの分は、カットしてお客様の取材を優先してという展開へと話を進めてという昨日の取材となった。

さて、どのように料理されるのか?

おそらく前回のNHKの内容とは、大きく異なる状況になりそうである。

ただ、今回の注目は、ラストエンペラーの身内だった方が当店の常連として登場する可能性があるのでどのような応答なのかが楽しみでもある。

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いいとも風味になっているラジオ番組に、私が紹介した素敵な女性。

2010-11-11 07:32:36 | インポート

先日、「笑っていいとも」のラジオ版のようになっている芸人ひとみちゃんがパーソナリティーをしている番組で、約50分ほど話しぱなしになる番組に紹介を受けて出た。
その時に私を紹介してくれたのが、大正ロマン・昭和モダンを切り口に注目されている浅草の蛍堂のご主人からだった。

リレーが続くことを要望されていたので誰が良いのか考えてみた。
物々交換を面白がる人にはとてもユニークな人が多い。
特に私が通信業やファション業界での成功の果てに、全てをやめて物々交換を始めた馬鹿さ加減への興味も手伝ってかとんでもない人物達との交流が増え続けている。
結局、ただ有名人を紹介するよりも中身の濃い人物を紹介しようと言うことになり、「実は脱ぐとすごいんです。」ではなく「実は生き様がすごいんで す。」という人物が良いだろうということになり、当店の顧客の中からえり抜きの生き方をしてきている人物、日本を代表できるような怪物2人と、コレコーレ の歴史を作ってくれた恩人お一人であり、とても美形で素敵な生き方を全うしている憧れの女性社長を紹介しようとしていた。

本当は、ロータリークラブ会長などの公職を兼務している私や私の会社の「幕賓」と呼べる貴重な人物や、弁護士会の会長職を担っている歴戦研磨の当社の顧問弁護士も検討したのだがマスコミに出ることは、硬く辞退されてしまっていた。

ひとみちゃんからは、日本で初の完全オーダーメイドの車のメーカーを作り上げた人物や、シルクロード北ルート3000キロを歩いて渡ったり,南極 の温泉に入りに行ったという怪物的な老人を私が番組に紹介しようという申し出に強く興味をもたれたのだが、その怪物達に負けていない女傑にも興味を持って 頂いていた。

誰から紹介しようかと話し合っていたが、

天下の名声を轟かせる盛田さんが化粧品会社の社名の名付け親ということや、次々と判明してくる財界人脈の幅の広さと奥の深さが尋常でなさそうな理由にも興味が強く沸きだし、この際ラジオで明らかにさせてしまおうという目論見もあって先に出演していただくことになった。

番組の前宣伝にHPで写真を掲載しておきたいというひとみちゃんの申し出もあり、最近お気に入りのトルコ料理店に事前紹介のチャンスを作った。話 が盛り上がった後、アンティーク美術館のような自宅に出向き写真撮影を行ったのだが、ひとみちゃんと非常に話が盛り上がり、優先的にその美人経営者を番組 で紹介することが決まった。

ちょうどその美人経営者は、大須演芸場でもひとみちゃんを見ており会話が弾みやすいことも理由になったが、とてもいい感じの会話の進展状態がさらに弾んでようである。

実際、本番での進行状況は、とても滑らかでウイットが聞いていてとても面白かった。
冒頭でその美人経営者の同級生が「送り人」の監督であったことがわかりびっくりの切り口から様々な引き出しから面白い会話が次々と出てくる状態であった。

しかし、その番組の渦中で突然、耳を疑うような内容が、その化粧品会社の美人経営者から言葉が出た。

「片桐さんは、ちっともハンサムじゃないし‥」

てっきりいつものいじり会話がオンエアーされるのかと聞いていた。
すると、めいっぱい私を落としにかけたあとに‥

「だけどね‥、不思議なの、あの人となら一緒に生活が出来ると思えるのよね!」

・ ・・????????・・・・???

生活破綻者の代表格という自信すら持っている私に、あれだけ意味深長な理解の上に

ユーモアをさりげなく組み立てられる機微に富んだ稀有な人物から驚きの言葉であった。

もちろん番組をもち上げる為のジョークの会話である。

しかし、いつものジョークも、 電波の声で聞くと驚くほどにドキドキしてくる。

電波の力が生み出す心の作用は、とても不思議である。

普通なら、何も引っかかる要素のない笑いだけで終わっていくユーモア言葉であるが、

この言葉は、年齢を重ねてきた私には、また異なった意味合いで考えさせられた。


若い頃の「一緒に生活する」という意味は、とても単純な動機で、好きだから少しでも長
く居たいというだけで良かったのかもしれない。
また、好きという内容も、何が好きか、どれほど好きかと言う尺度と、生活を共にすると言う意味の重さとのバランスに対して、欲望だけが先行してあ らゆる思慮を都合の良い物だけに作り変えて、自身から湧き上がるあらゆる疑問を共依存の連帯感の正当性を合理化させるためにだけの理屈付けさせた答えしか 用意できなくなるものである。

たとえば、まだ、未熟で一人ですら生活できない者の目の前に、本当に好きな女性が現われたとしよう。

二つの答えがまず用意される。

1、 充分な力が付くまでは、一人で暮らし、いずれ生活力に自信が持てるようになっ       たら、一緒に暮らす方法へと発展させる。

2、 未熟だからこそ、一緒に暮らすことに意味がある。
次ぎ次ぎと起こるであろう苦労に、共に手を合わせていくプロセスにこそ生活の本質があり、人生を共に生きたと言える。

この二つの考えは昔からの普遍の親と子供の論争である。
親心としては、当然、前者を選ぶ男性にしか大切な娘を任せられないだろうし、

若者からしてみれば、後者の主張を通したいし、その主張に共感できないような娘とは、人生を歩いていけないというだろう。

この歴史的な論争のどちらがよりベストなのかを敢えて言及はしないが、老後に向かうこの年齢における「一緒に暮らす」というテーマなら考える価値がありそうである。

若者も老人も基本的には、「理念の一致」を求められるかどうかだと思うが、若いうちは「理念」すらも不安定であり、理念が持つ力の意味すら分からないでいるものである。

第一、好きということがどういうことかさえ分からないし、
好きといってくれたから、好きになったような気がしたり、
性欲を合理化する言葉としての好きであったり、
性への好奇心をカモフラージュさせる言葉が好きであったりする。

また、意外と勘違いされているのが、尊敬する人物が一目置いているから、その人物からの評価を得る代理行為として、手に入れたいと願っていることが好きという意味だったりする。
大体、友人や知り合いの人物を好きになったり、略奪しようとする動機は、ほとんどが自信を認知させるための道具としての代理満足の行為が好きの本質であったりする。

ただ、親から自立したいと言う動機を合理化させるために、好きという自己暗示の世界にはまる人間も多い状況で、若いときの好きは、実際のところ危ういものである。

たとえ、純粋に好きという思いが募っていたとしても、その人の考えを好きというようにはなかなかなれない。

せいぜい、自信の理想を錯覚化させてくれるに相応しそうな人物であるかどうかという身勝手な憶測から想像の産物に恋をしているだけのものが圧倒的であり、実際の相手を見ている状況での恋愛感情は、非常に少ないものである。

しかし、未熟な失敗の産物とは言えども、若さのエネルギーは、それが心の病気の恋愛であれ、未熟な競争心理や、脅迫観念から呪縛であったとしても、真剣にぶつかり合う動機にはなるし、傷つけあう力も生み出すことが可能になる。

それらの衝突の連続の中で、相手の変化だけを求めてきた自身に気づき、自分自身を知ろうと言う動機を生み出すチャンスも得ることが出来る。

そのような、熾烈な自身への戦いを、「好き」というきっかけから生み出すことが出来るような情熱があるような恋愛であれば、考え方の一致を生み出したり、二人が交際することの目的や一緒に暮らすことの目的や「理念」の持ち方などの共有を生み出すことも可能になってくる。

好きな相手と一緒に暮らす目的における「理念」とは、要するに物事に対する考え方のことで、常に変わらぬ考えとしてもっている選択肢の根拠となる考え方のことである。
どのように考えることが自身を本当に納得させられる考えであり、どのように考えることが、いかなる困難にも自身をあきらめることなく成長させ続け、愛する人間をあきらめずに見守り成長させられるのか?
という命の成長の本質そのものを示すものが「理念」である。
まさしく、人生において進化をさせても変えてはならない考え方のことである。

年を重ねてくると、よほどの事件がおきない限りこの「理念」を改善させていくことは、とても困難である。

なぜならば、「理念」とは、その人の人生を支えてきた土台そのもの示しているのである。

理念を改善するということは、自身を支える土台を改善しなくてはならないことであり、生きることへの情熱が冷めていくような人生の敗北者となって いる人物には到底出来ない、残念ながら高齢になればなるほどに、自信をあきらめるか、傲慢な自己正当が頑強に自身を蝕んでくるようなる。

何らかの成功を手にした老人は、自己のわがままがどこまで通用するのかを試すことだけが生きがいになってくる。

わがままが通るうちは、自身に価値があり、わがままを引っ込めなければならないようでは、自身の価値がなくなってしまったことを認めるようなもので、絶対譲歩は出来ないと信じ込んでいる老害症候群がすでに、老癌にさえなっている人物も多くなってくる。

その原因は、

「人は情熱と共に若く、」

「人は疑惑と共に老いる。」

名台詞が意図するように、全ての心の老いは、疑惑心からなのである。

いくら年を重ねても、いや、年を重ねれば重ねるほどに、「情熱」と言うエネルギーや情熱に火をともす勇気が必要なのである。

勇気の源は、想像力であるが、想像する力は、あきらめない心が支えるものである。
あきらめなくてはならない人生の末路の向かって、決してあきらめずに情熱を持ち続ける考え方を理念としている人物の人生に、生涯心の老いは訪れない。

私の信条に、「許」「諦」「寛容」「情熱」という言葉で作り上げた自身への約束がある。

生涯、諦めず
生涯、許さず

人生に「帝」を作らず
人を「午」にしない生き方を育む為に、

「寛容」を全身全霊の情熱で自身の中に創造し続けて、
よく生きることを全うする。


なぜ、考え方が人生の土台なのか?という質問を知人から受けることがある。

考え方は、

目的を生み出す原動力であり、

動機に意味をもたらす力を持つものであり、

選択肢に根拠を与え続けるものである。

考え方は、

人間に希望を生み出せる原動力である。

人間に勇気を奮い起こさせる原動力である。

人間の運命を変えさせることが出来る唯一のものである。

考え方は、

喜びを生み出すものであり、

恐怖を生み出すものであり、

悲しみを生み出すものであり、

悲しみを克服するものであり、

幸福を創出できる唯一のものである。

考え方で心は変わり、心が映し出す景色も喜びも不安も全てが変わるものだが、それぞれの人生で作り出してきた考え方に、条件反射のようにスイッチが入って同じような行動パターンを繰り返し続けていることがある。

しかし、それぞれの条件反射は、それまでの自身にとっては都合の良い反射であったり、それ以外の反射が怖くて出来ないようなものであったりする。

いずれにしても、その反射が、それぞれの人生で対処してきたある意味の知恵であったのである。
その対処の知恵が自身の人格になるまで侵食しているものが、結果としてその人の宿命に背負う考え方なのである。

そもそも性格とは、変えがたい考え方が支配している言動のスイッチの種類や引き出しの種類を分類しているものを示しているようなものである。

考え方の変更が出来なくて性格を変えられるということはありえないことである。
到底、自身の努力や思考の組み立てだけでは不可能に近いものである。
だからこそ性格分析や、プロファイリングなどのような犯罪捜査に力を発揮するのである。

しかし。若いうちであれば人生に自身の努力を超える圧力で性格に変化を生み出すチャンスがないわけではないないのかもしれない。

考えかたが違うとどのようなことが起きるのであろう。

たとえば山に登るという単純ことでも、

「理念」が違ったら、

上る手段も、
目的も、
ルートも、
見る景色も、
起こる問題への対処の仕方も、
満足を得ることも、
不満足に感じることも、
全てがまったく違ってしまう。

考え方の違いとは、山登りひとつとっても、一緒に居られるのか、居られないのか、という答えまでにつながってしまう、生命線の重さを持っている。

多様な個性と同じ考え方で山に登ると言う意味と、

一様な個性と多種多様な考え方で山に登るでは、

まったく意味が違うことなのである。

ましてや

多様な個性と多種多様な考え方で山に登るでは、
命がいくつあっても足りない危険な登山になってしまうのである。


よく国際結婚には、考え方の根本的な違いでの失敗談がある。

中にはとても怖い話があり、私を自身も身近に知っている。

名古屋の最高級住宅街を背景としたおしゃれなセレブから一世を風靡した超有名な「ザ・ステージ」というファションビルの中に、インポートブティックを私が経営していたことがある。
その店の隣の店の店長が殺されるという大事件が発生したことがある。

それは、一人の国際結婚の女性がアメリカ人のご主人に殺された事件であったが‥
私には衝撃的な忘れ難い事件であった。

その女性は、隣の店ということもあって、その店長さんから、よく国際結婚の困難さを私に相談してきていた。
その相談内容から問題の根本的な深さや危険性を私なりに理解していたこともあり、なんどもその女性に離婚のアドバイスを説得していた店長さんでもあった。

その女性の場合もそうであったが、言語の真意が充分に理解できず大半が想像で、このような意味で言ってくれているのであろうという都合の良い解釈で相手の考えかたが自身の理想と一致しているのではと言うような思い込みの錯覚を持ったままに結婚をしたケースであった。

結婚後に言語の理解が深まり伴侶の考え方の本質がようやく分かり出し、驚愕するケースは意外と多いらしい。
とんでもない考え方の相手と結婚してしまったことが判り、大変な後悔をしているという話は意外と多いものである。

前記の未熟な結婚と、用意万端の結婚のどちらが良いのか言及し難いというのは、

未熟だからこそ性格の変化を生みだす可能性もあるという考えもあり、
未熟さが取り返しのつかないことになってしまうと言う考えもあり、
用意万端という人間には、性格の変化は起きようがないという難問もあり、
用意万端という条件を認めるだけの関係に本当の愛は、成立し難いという問題もある。

などの理由もある。

本来、人間は弱いもので、条件を愛することが出来ても、他人を愛することは困難な動物でもある。その証拠になるのが裏切りという言葉が愛の中に生 まれようがないはずなのに、いとも簡単に裏切られたり、傷つけられたりという心理状態に自身を追い込みやすい弱さを誰しも持ちやすいものである。

期待する条件に適わない事象が起きれば、すなわち、それがその人にとっての愛の裏切りであり、傷付けられることであると信じて疑わない人間が異常に多いのである。

他人どころか、自身の子供でさえ条件を満たすことだけに価値を置くような接し方の自己正当として「愛」という言葉にすり代えようとするそうとする親が増え続ける人間としての弱さが目立ち始めているようである。

さて、本題の高齢者になってからの「一緒に生活したい相手」となると、もう変化をする気力も勇気もない年齢の相手との相性の話になる。

性格の変化や考え方の変化が望めない相手と決め付けて相手を見るとなると、割と簡単な面もある。若い頃と違い、相手の変化に下手な期待をしないで 済むことと、老いて醜くなっていく明らかな現実の中でも、それ以上に愛し続けるものがあるのかどうかという好奇心に対する自身の答えが導き出せればよいだ けというのは、割とシンプルである。

そして、相手の考えや性格がその年齢まで変わらずに居ながらも愛し続ける言う自信がもてるのであれば、あとは、自分自身がどこまで寛容の幅を持つことが出来るのかという自身の最後の人間としての成長という課題だけを見れば済む話になることになる。

成熟した大人の「一緒に生活する」というテーマにおける課題は、相互が「寛容」と言う課題だけをテーマに最後の人生を歩むと言うことなのだと思う。

私の信条への課題は、とても困難だが、諦めることだけはしたくないと思う。

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