夢父のお店
おかげさまで
開店39年となりました
開店当時
夢父も若かった
毛もあるし(笑)
開店時は
1985年8月12日
地元群馬県上野村
日航機墜落事故当日
墜落した時間が
開店時間少し前
その後、数か月
警察関係者や報道関係者も
お店に来てくださり
お話を聞くことも多く
あの事故は生涯忘れられません
開店記念の日時と
事故の記事を投稿すると
必ず不快なコメントが入れられ
即削除
真実は解りませんが
この方の記事で
少し気が晴れました
==あの時あれに乗らずに生き残った わたくし
JAL123便事故 わたくしなりの原因究明4か月==
直接の事故原因
垂直尾翼取り付け(ヒンジ)上側方向舵下部と下側方向舵上部が噛み合い、両方ともヒンジが外れた。
これに伴い一瞬に減圧が起こり垂直尾翼の大部分が吹っ飛び圧力隔壁も損傷し油圧装置も機能を無くした。
遠因
尻もち事故修繕の際、見た目の圧力隔壁損傷は修繕できたが機体全体の「ゆがみ(張力と圧縮力の偏在)」を取り除くことは出来なかったし、機体全体の修繕すら考えてもみなかった。思いもつかなかった。
「ゆがみ」を抱えたまま高高度飛行での大きな気圧変動の離着陸を繰り返し、継続的に機体を傷み付けた。
その「ゆがみ」が『上側方向舵下部と下側方向舵上部が噛み合う』まで最大顕著となり、それが直接の原因となった。
# もともとこの試作機は軍用輸送機として開発されたが、競合に負けて「民間機」に改造されてB747としてデビューした。その際15トンの減量を施し、それに伴い脆弱な機体となった。
機体デザイン(フォルミング)の理想は円筒形であるべきだったが、原設計のままとしコレをアッパーデッキとして客席を設けた。上空で機内与圧を掛けると圧力の値が分布する(偏在する)「シロモノ」だった。つまり、欠陥機。
# B747は国際線用としてデビューしたが、JAL.ANAは客席を大幅に増やし、さらに離着陸を小刻みに運行し、飛行高度を高く、機内与圧を大きく設定した。
つまり、ボーイング社の運航規程を無視して機体を酷使した。
・・・ボイスレコーダ中に「機体ゆがみが限界を超えているアラートと表示オレンジランプ点灯」らしきものが確認される。
・・・事故捜索隊の報告の中で「特異な臭い」があるのは、正規の航空燃料を使っていなかったからだ。
・・・この機体番号8119運航パイロットは口をそろえて「まっすぐ飛ばない」「他と比べて燃料を食いすぎる」「後部トイレのドアが上空で開け閉めできなくなる」など、整備担当部署に不具合を報告し続けたが、無しのつぶてだった。
結論;儲け最優先主義のJAL経営の結果である。
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巷にはびこる陰謀論・都市伝説・トンデモ論を、JALはさぞかし喜んでいることだろう、なぜなら、真相=儲け最優先主義のJAL経営 について国民の目をそらす事が出来るから。
犠牲者はウカバレナイ!!
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蛇足;JAL ボーイング社 運輸省・日本政府はグルだった。
陰謀論・都市伝説・トンデモ論者はそのグルの片棒を担いでいる。
最近、御巣鷹山墜落事故とプラザ合意などを結びつけて日米間国際政治を論説する輩たちが蔓延るようになったが、笑止千万、売名行為も甚だしい。
=>追記;
垂直尾翼や上下の方向舵などが相模湾で発見されたにもかかわらず引き揚げられなかった、という情報が有る。
これらを引き揚げれば当然ながら解析しなければならない。
そして解析結果を公表しなければならなくなる。
内容は、事故調査委員会の調査報告書と当然ながら違う結果となってしまう。
引き揚げないということは、自らの落ち度を公表する事になるのでは、ありませんか。??
事故の犠牲者のご冥福を
改めてお祈りいたします
未だコロナ騒ぎの影響も残る
地方都市前橋の当店ですが
元気で
40周年を迎えられますように
頑張れ 夢父

